迷信と宗教
序言頁一
序言
我邦は今日尚ほ迷信盛んにして、宗教も其の雲に掩はれ、精神界は之が為に暗黑なる有樣なれば、余は人文のため國家の為に迷信と宗教との別を明かにし、有害なる迷信を除きて、正しき信仰の本に宗教の光明を發揮せしむるの必要を感じ、一片報國の微衷より本書を講述するに至れり、
本書の目的は高等教育を受けたる人士を相手とするにあらず、中等以下の社會或は小學卒業の程度の
序言頁二
人にして、迷信の海に漂ひつゝある人に示さんとするにあれば、高尚の學説を加へず、煩雜の論理を避け、平易にして了解し易きを主とせり、
本書は家庭教育の教訓材料、社會教育の講話材料に供給せんとの豫想にて、出來得るだけ例話事實談を多く引用することゝし、また成るべく興味に富めるものを撰拔することゝなせり、而して其の談話は古人の書より抄錄するよりも、余が内外各國の實地を踏査して、直接に見聞せしものを多く掲記したり、故に教育家及び宗教家は勿論、茍も家庭の父兄たる
序言頁三
ものは、如何なる社會を問はず、本書を一讀して教訓講話の資料に採用せられんことを望む、
大正五年二月
著者しるす
目次頁1
迷信と宗教目次
第一段 迷信の定義 一
第二段 西洋の迷信 五
第三段 露國の迷信 九
第四段 印度の迷信 一六
第五段 支那の迷信 一九
第六段 朝鮮の迷信 二三
第七段 臺灣の迷信一(生蕃人) 二八
第八段 臺灣の迷信二(本島人) 三一
第九段 琉球の迷信 三六
第十段 離島の迷信一(伊豆七島) 四〇
目次頁2
第十一段 離島の迷信二(壹岐對馬五島) 四三
第十二段 九州の迷信 四七
第十三段 四國の迷信一(犬神) 五二
第十四段 四國の迷信二(他種) 五六
第十五段 山陽の迷信 六四
第十六段 山陰の迷信一(人狐) 六八
第十七段 山陰の迷信二(他種) 七四
第十八段 京畿の迷信 七八
第十九段 東海の迷信一(東京以西) 八四
第二十段 東海の迷信二(東京以東) 八七
第二十一段 東京の迷信 九一
第二十二段 東山の迷信 九五
目次頁3
第二十三段 北陸の迷信 九八
第二十四段 佐渡の迷信 一〇二
第二十五段 奧羽の迷信 一〇六
第二十六段 北海の迷信 一一〇
第二十七段 全國共通の迷信一(怪火) 一一三
第二十八段 全國共通の迷信二(天變) 一二三
第二十九段 全國共通の迷信三(天狗) 一二九
第三十段 全國共通の迷信四(幽靈) 一三八
第三十一段 全國共通の迷信五(妖屋) 一四五
第三十二段 全國共通の迷信六(鬼門) 一五一
第三十三段 全國共通の迷信七(方位) 一五四
第三十四段 全國共通の迷信八(卜筮) 一五七
目次頁4
第三十五段 全國共通の迷信九(人相) 一六七
第三十六段 全國共通の迷信十(家相) 一七一
第三十七段 全國共通の迷信十一(緣起) 一七四
第三十八段 全國共通の迷信十二(日柄) 一七九
第三十九段 全國共通の迷信十三(禁厭) 一八二
第四十段 全國共通の迷信十四(奇方) 一八六
第四十一段 全國共通の迷信十五(呪願) 一九三
第四十二段 迷信の利害一(無害有利) 一九七
第四十三段 迷信の利害二(無害無利) 二〇一
第四十四段 迷信の利害三(有利有害) 二〇四
第四十五段 迷信の利害四(無利有害) 二〇九
第四十六段 迷信の利害五(利少害多) 二一三
目次頁5
第四十七段 迷信の原因一(道理と運命) 二一九
第四十八段 迷信の原因二(經驗) 二二二
第四十九段 迷信の原因三(論理) 二二六
第五十段 迷信の原因四(偽怪) 二三〇
第五十一段 迷信の原因五(誤怪) 二三四
第五十二段 迷信の原因六(學理) 二四八
第五十三段 迷信の原因七(好奇) 二五二
第五十四段 宗教の眞相一(運命) 二五九
第五十五段 宗教の眞相二(絕對) 二六三
第五十六段 宗教の眞相三(信仰) 二六六
第五十七段 宗教の眞相四(良心) 二六九
第五十八段 宗教の眞相五(宗教) 二七四
目次頁6
第五十九段 宗教と迷信 二七八
第六十段 歸結 二八二
第六十一段 餘論 二八七
(一) 妖怪學と諸學との關係 二八七
(二) 卜筮論 二九〇
(三) 死論 二九二
(四) 恐死病を治する法 二九四
(五) 戰爭論 二九七
(六) 運命論 三〇〇
(七) 天災論 三〇二
(八) 安心稅 三〇四
(九) 養神論 三〇七
目次頁7
(十) 妖怪學と美術との關係 三一〇
(十一) 妖怪學上宗教と哲學との位置 三一三
(十二) 妖怪學の本尊説 三一五
(十三) 哲學的守札 三一七
(十四) 幽靈談 三二〇
第六十二段 附錄 三二八
第一節 宗教上の妖怪 三二八
第二節 通俗の宗教論 三三五
第三節 感情論の批評 三四一
第四節 神祕論の批評 三四九
第五節 余の宗教論 三五一
第六節 宗教の種類 三五六
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第七節 靈魂生滅論 三六三
第八節 靈魂不滅論 三六七
第九節 靈魂の狀態 三七〇
第十節 生靈死靈人魂魂魄遊魂の解 三七九
第十一節 靈魂論の歸結 三八五
第一二節 幽靈の說 三九〇
第十三節 幽靈の種類 三九九
第十四節 幽靈論の歸結 四二一
第十五節 靈魂說の歸結 四二三
迷信と宗教目次終
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迷信と宗教
文學博士 井上圓了著
第一段 迷信の定義
此に迷信と宗教との關係を述ぶるに當り、先づ迷信とは何ぞやの定義を知らなければならぬ、然るに迷信は其の範圍甚だ廣く、且つ其の種類頗る多くして、精確なる定義を與ふることは困難である、只普通の見解によれば、道理なきこと又は道理に背きたることを道
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理あるが如く、又は道理に叶ふが如くに誤つて信ずることであらう、其の外に為し得べからざることを為し得べしと信じ、是れに依つて己の私情を滿たし、僥倖を望む意味も加はつて居るやうに思ふ、
先年文部省にて編纂せられし國定小學修身書に迷信の課題が掲げてあり、又迷信の種類も列してあつたから、是に依つて凡そ迷信とは斯るものかといふを知ることが宜しからう、先づ尋常科の注意の下に、
迷信は地方により種々雜多にて、四國地方の犬神の如き、出雲地方の人狐の如き、信濃地方のヲサキの如きは特に其の著しきものなり、
とあり、又其の次に左の八項を掲げて之を諭すべしと書いてある、
(一)狐狸などの人を誑し、又は人につくといふことのなきこと、
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(二)天狗といふものゝなきこと、
(三)祟りといふことのなきこと、
(四)怪しげなる加持祈禱をなすものを信ぜぬこと、
(五)まじなひ神水等の效の信賴すべからざること、
(六)卜筮、御鬮、人相、家相、鬼門、方位、九星、墨色等を信ぜぬこと、
(七)緣起日がら等にかゝはることのあしきこと、
(八)其の他すべて是等に類するものを信ぜぬこと、
次に高等の方には本文中に、
世には種々の迷信あり、幽靈ありといひ、天狗ありといひ、狐狸の人を誑し又は人につくことありしといふが如き、いづれも信ずるに足らず、又怪しげなる加持祈禱をなし、卜筮御鬮の判斷をな
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すものあれどもたのむに足らず、凡そ人は知識をみがき道理を究め、是によりて加持祈禱神水等に依賴するが如き難儀の起りしとき、道理を辨へずして妄りに卜筮御鬮等によるが如きは、いづれも極めて愚なることゝいふべし、
と説いてある、此等によりて迷信の如何なるものかを知ることが出來る、
迷信を述ぶるには是非とも妖怪の話を交へざるを得ない、何故なれば此の二者は殆ど同一の關係を有し、妖怪は卽ち迷信、迷信は卽ち妖怪と云つて宜いほどである、世間多くの人は妖怪ならざるものを妖怪と信じて居る、是れ已に迷信である、又其の迷信に更に種々の迷信を附會して、妖怪を解釋する有樣なれば、此に迷信の題下に各種の妖怪をも併記することにする、
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是より先づ西洋の迷信より説き起し、我内地の迷信に及ぼし、終りに迷信の説明を結ぶに當つて、宗教と迷信との相違を述べたいと思ふ、
第二段 西洋の迷信
心燈を挑げ來りて天地の活書を讀めとは、余が妖怪學講義の巻頭に題したる語である、之と同時に迷信の妄雲を拂ひ去つて、宗教の眞月を觀よとは、余が世人に警告する所である、西洋は如何に文明が進んで居ると云つても、今日尚ほ宗教中に迷信の加はり居ることが決して尠くない、就中耶蘇舊教に至つては迷信といふよりは妄信といひたいことが多い、西班尼國の首府マドリッドの人民は、其の
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地位が歐洲各國の首府より海拔最も高いといふ點より、天國に最も近いから天帝より愛護を受くること一層大なるに相違なしと申して居るなどは、笑ふべきの至りではないか、伊太利地方の寺院を見るに、信者群をなして堂内のマリヤの像の足にキスして居る、乞食も紳士も、癩病者も令孃も、打ちまじり互に前後してキスする有樣は、衛生も何も有つたものではない、普通の僧侶の指までも爭うてキスして居るやうな有樣である、
ひとり舊教國のみならず、新教國にも迷信が澤山ある、基督が金曜日に十字架上で殺されたといふより、一般に金曜日を不吉の日として、今でも其日に人を招くことを避け、旅立も成るべく見合すやうになつて居る、又西洋では一般に十三の數を甚だしく嫌ふ、是れも耶蘇教から起つた迷信であると聞いて居る、十三日、十三番地、
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十三番室などは大に嫌はれものである、就中十三人同時に食卓に就て食事するのを最も不吉としてある、余が先年英國滯在中、避寒の為に南海岸のポンマウスといふ地に移り、一ヶ月計り下宿して居たことがある、其の下宿屋の客が丁度十三人であつた、そこで食事毎に其家の娘が一人お客に加はりて食室へ列席することに定めてある、若し客中の一人が或は病氣或は外出して食堂へ出席せぬ場合には、急に娘を食卓より退席させる騒ぎが起る、而も其家は新教信者であつた、
其他耶蘇教には關係のない事で、而も一般に避け嫌ふ迷信がある、例へば食卓の上に鹽をこぼすを不吉とし、ガラス窓の中より新月を望むを不吉とし、朝起きて上靴の右と左とを間違へて穿くを不吉とするの類が多々ある、之と同時に吉兆として喜ぶ迷信も尠くない、
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例へば路上にて落ちたる蹄鐵を拾ふのを吉事とし、之を持ち歸つて大切に保存して置く、夫故に西洋人の居宅には、時々室の入口やストーヴの上などに、蹄鐵を掲げて置くのを見る、此類の迷信中最も福運があるとして喜ばれるのは、出産の時に赤兒の頭が薄い膜にて包まれて生るゝ場合である、其子には將來非常の福が來ると信ぜられて居る、余が先年愛蘭土のベルフッスト市にて新教の牧師の家に寄留した時に、其家の娘が膜に包まれて生れた福人の自慢話を聞かされたことがある、其の由來は第一世ナポレオンが此の吉相を以て生れて來りしより起つた迷信であると傳へて居る、又此膜其物が色色のマジナヒの效力があるとて、高く賣ることが出來るさうだ、
此くの如く西洋にも種々の迷信があり、又其迷信が宗教中にも混じて居るけれど、之を東洋に比するに大なる相違がある、雙方對照
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して見ると西洋の方は迷信がないも同樣であつて、東洋には頗る多く、宗教其物が殆ど迷信によつて成立つて居る程である、
第三段 露國の迷信
西洋といへば固より露國も其中に含まれて居る譯だが、其實露國は西洋と東洋との間の子のやうなもので、餘程東洋に近い所がある、就中迷信の狀態は東洋と格別違つて居らぬ、余は先年露國漫遊の際、人民の信仰の程度を見るに、過半は迷信であると思うた、地獄極樂の圖は英國や米國にて見ることが出來ぬけれども、露國にては數回之を見た、又眼病を醫し、齒痛を治するに、一心を込めて偶像を禮拝するなども中々多い、近頃東京朝日新聞に露國の迷信を掲げてあ
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つたから、參考として左に轉載して置く、
信仰と迷信とは正反對でなければならぬが、實は仲の善い鄰人である、露西亞はお寺の多い國である、宗教上の祭日の馬鹿々々しく多い國柄である、隨つて國民はそれ丈宗教心の強い人民である、宗教心が強いにも拘はらず、迷信に至つては尚更に強い、日露戰爭後に革命の氣運が一時に昂つた時分なども、ガボンなどと云ふ坊主が何か一つ怪しげな事を唱へると、民心がそれへ響應すると云つた風で、今度の戰爭に際しても佛蘭西のマダム、テップの豫言などと云ふものが直に露譯されて、飛ぶが如くに賣れたものである、露西亞にはツイガンと云ふ一人種が居るが、此の人種に限つて女性は卜者で運星見と定つて居る、恰度日本の巫子と云ふ風で、ツイガン人特有の黑い髮を打ち捌いて、金銀貨や玉石の類で幾
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條となく頸飾を巻付け、大概は赤の著物を纏うて、街の辻に立つたり又は家の裏口から這入つて來て賣卜を強ふるのであるが、露西亞の無智な民衆の間には中々にツイガンの占が歡迎されるのである、又私が是迄實驗した處によると露人は却々盛んに御幣をかつぐ連中である、然もそれは有識者と無識者を通じての習俗である、私は露國では一流の記者數人と露軍の戰線へ從軍中、或日晩餐の食卓で、隣席のノーウオエ、ウレーミヤのK君が一寸手の届き兼ねる所にある鹽を取らうとして居るのを見たから、何氣なく私はそれを取つてやらうとしたら、突然非常な劍幕で手を振つて「いけないいけない」と拒絶した、理由が全く分らずして呆れてゐると、外の人が微笑しながら「露西亞では食卓の上で鹽の取り遣りは非常に忌むことになつてをる」と話されて始めて合點が行つたが、
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その忌む譯だけは一向に分らずに了つた、又露都に有名な日本好きの寡婦が居るが、私も平素非常に世話になつて居つたので、其年の復活祭に何か贈物をしようと思つて種々案じた末丁抹の陶器を擇んだ、これは北歐の一名物で、多くは種々な動物の置物であるが、其の細工の精巧なると藥のかけ具合の面白いので有名である、さて私は何氣なく象と駝鳥の置物二つを買つて、マダムの許へ持つて行つた處が、初めは大喜びで嬉しさうに早速その紙包を解いたが、中から最初に駝鳥が出るや否、マダムは一目見たばかりで、これはとばかりにオツ魂消た、私も何事かと驚いた、魂消ながらマダムの語る所を聞くと、「妾は寡婦である、駝鳥は子供を持ち來すものである、これは大變だ、アー大變だ」と云ふので暫時は泣かんばかりだ、贈物の主は呆然自失せざるを得なかつた、
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迷信は概ね斯る程度にまで有識者、無識者を通じて露人の頭へ染み込んでをる、日本でも鼬の道切を忌むやうに露西亞人も亦黑猫が道を横切れば非常に惡い兆であると云つて大騒ぎをやる、此の種類のもので、私の知つてをる中の興味のある若干を左に書き付けて見よう、
一、寢臺から起きた時は右足を先に床に下せ、
一、鳥が室に入つたのは死魂が來た印、
一、黑い油蟲の夢を見た時は許婚が出來る、
一、蠟燭は三本立てゝはならぬ、必ず二本か四本立てよ、
一、熟した果實の夢を見れば戀文が來る、熟せぬ果實を夢みれば涙の種、
一、牛の群が夕方家に歸る時、赤牛が先に立てば翌日は好天氣、
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一、旅立の前刻には家人總て一旦椅子に著け、
一、新月を見た時直ぐ財布を握れば金が手に入る、
一、靨は誕生の際愛の女神のキスした痕故、靨のある人は永久に愛を享く、
一、右の眼が痒き時は泣くことあり、左の眼が痒ければ嬉しい事あり、
一、十三の數は不仕合せ、
算へ立てれば數限りがないが、是等は皆眞劍に受取られてをるので、百も二百もある此種の迷信は常に露西亞人の為に悲喜の種を作つてをる、
露曆四月一日は嘘をつくことの公許された日としてある、樂天的で小供らしい所のある露西亞人の事であるから、二三日前から
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趣向を凝しておいて當日になると熾にだまし合をやる、親戚知己の間は勿論、遠隔な土地に居る者をすら電報でかつぐことがある、まだ床の中にゐる時分に、電話で誰某が急病で危篤だなどとくると、不圖四月一日であることは忘れてしまつて、自動車位で駆け附けて見ると、危篤の病人が眞先に出て來て握手をして、家族一同でお客を笑ひ倒すなどといふことは、此の日露人が往々やる惡戲である、大人には赤兒の心ありと唐人も言つてをるから、露西亞人は大人又は哲人であるに相違ない、
右の記事にて露國の迷信が如何に東洋に似て居るかを知ることが出來る、
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第四段 印度の迷信
東洋の迷信としては第一に印度を舉げなければならぬ、印度には種々の宗教あるも、婆羅門教が八九分通りの多數を支配して居るから、重に婆羅門の迷信を述べて置かうと思ふ、此教派にては牛を神樣の動物として貴んで居る、恰も我邦にて狐を稻荷樣のお使として貴ぶと同樣である、何人も印度へ行き土人の室内を見て驚かぬものはなからう、彼の室内には壁や天井や柱に牛の糞をベタベタ塗り付けてある、是は何の為かといふに、牛は神樣の動物であるから、其の糞までが病氣災難を防ぐに尤も效力があると信じ、魔除の為に塗り付けるのである、或は牛の糞を乾かして、爐中に燻して居ることもある、實に不潔の迷信といはねばならぬ、或は又ガンジスの河に
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は神が住んで居るから神川なりと稱し、其の水中にて溺死するは目出度いやうに思ひ、一たび其の水にて手足を洗へば六根清淨となり、身心の穢れが一時になくなると信じて居る、婆羅門教にて神都といはるゝベナレス市には毎年大祭の際に信者が四方より集まり、其の傍を流るゝガンジス川にて沐浴するのは名高い話である、又其の川の水を携へ歸つて水瓶にたくはへ、年中何時でも不淨と感じた場合には、たとひ其の水が腐敗して居ても構はず、之を灌ぎ掛けて穢れを拂ふことになつて居る、
余が印度漫遊中に實見したことだが、印度人は己の影が食中に入れば、其の食を棄てゝ決して喰べぬ、是は彼等の迷信であるさうだ、また印度人が己の髯を毛拔器を以て一々拔き取るのを見た、是も彼等の迷信で、顔面に剃刀をあてることを嫌ふとのことだ、
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印度にては婆羅門教が最多數を占めて居るけれども、其の外にマホメット教、火教等が並び行はれて居る、此の異なりたる宗教の間は啻に結婚を交へぬ所ではない、全く受けず施さずであつて、茶一杯水一碗でも施すものでない、又受けることも出來ぬ、若し之を受ければ先方の魔が付いて病氣災難を招くと信じて居る、夫故に旅館も茶屋も病院も學校も皆全く別置してある、
婆羅門教にては誰も聞いて知つて居ることだが、四民の階級が別れ、第一階級を婆羅門種と申し、一般より非常に敬ひ貴ばれ、食物を獻ずれば斯く斯くの福德利益がある、金錢を差上れば天國に到ることが出來るなどの迷信は頗る盛んなものである、之を要するに印度の宗教は迷信の結晶體と申して宜い、
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第五段 支那の迷信
次に支那の迷信は如何といふに、是れ又驚くべきもので、決して印度に負けぬ程である、彼國にては罪人を死刑に處するに、市街の四辻の如き人の最も輻湊する場處に於て行ふことになつて居る、是れは衆人に示して何人も罪惡を犯せば、皆此くの如き運命に遭ふことを知らしめ、且つ戒むる為である、然るに支那人は婦女子に至るまで平氣で而も喜んで死刑執行を見に行く、其時には罪人を坐せしめ、首を垂れさせて背部より刀を下し、後頭部を撲つて殺すことになつて居るが、罪人が斃るゝと同時に生血淋漓として地上に流れだす、此時見物の人々が、やがて携帶し來れる饅頭を出して其の血に染めるさうで、殊に婦人が我先きにと爭うて血染を行ふといふこと
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である、是れはもとより彼等の迷信にして、其の血染饅頭は萬病の良藥と信じ、大切に保存し、偶々家族中に腹痛を起すものあらば、忽ち其の饅頭の一端をちぎつて服用させるさうである、我邦の婦人は其の話を聞く丈でも身震するであらう、
我邦の狐狸の迷信は支那傳來であるが、さすが本家だけあつて、狐狸談も澤山ある、最近の大連發行遼東新報に白狐の怪異と題し、左の通り記載してあつた、
日本人には隨分馬鹿げた話だが、數日前南山の裏山で銅子兒の遣り取りに餘念の無い苦力六名の傍に、何處から來たか全身白毛の小狐が飛び出した、それ生擒れと追ひ廻つた末、狐はとある岩蔭の穴に逃げ込んだ、卽座の頓智に苦力等は附近の枯松を折つて穴の前で燻べると、子狐は烟に咽せて四苦八苦の折柄、アヽヽラ不
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思議や審かしや眞上の岩上にスックと立つた年經し白狐、恨めしき形相物凄く苦力等を睨めた、元來白狐を神と崇めてゐる支那人の迷信が急に怖氣を呼び起こして、苦力等は雲を霞と老虎灘に逃げ歸つたが、其の中の一人は家に歸り著くや大熱を起し、阿修羅の如く荒れ狂うて憎き者共吾子の仇、七生まで祟り吳れんなど囈語を吐くより、五人は生きたる心地もなく再び南山に取つて返し、狐の穴に叩頭百拝の詫言宜しくあり、歸れば大熱の苦力はケロリと直り居るに、一同申し合せて村内に之を傳へ、十二日には狐の祠を建てんと協議を凝らし前祝として爆竹一萬發を大連より買ひ來り、狐明神社の地鎮を為したりとは嘘のやうで眞の話なり、
其の他八卦方位も支那が本元であるから中々盛んだが、緣起御弊かつぎも支那が本場と云つて宜い、余が先年歐洲より歸る際、佛國に
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在勤せし支那公使館書記官の歸國するのと同船したことがある、書記官は妻子を伴れて乘船して居た、其の子供は二三歳位で時々甲板の上を步いて居る、其時同船せる羅馬教の尼僧が其の子供を抱かうとすると、子守が大急ぎで奪ひ取つて去つてしまふ、其譯を聞くと子供に尼僧の手が觸れると緣起が惡いとの迷信があるさうだ、
右は支那人の迷信の一例を示したまでゝあるが、其の國の宗教に至つては全く迷信の雲に閉ぢられて居ると云つても宜い、余は北清及び南清漫遊中に數回寺院を訪問せしことがある、其の堂内に出入する支那人は、何れも私慾を充たす為の祈願ならざるはない、一體支那人は慾の深い方で、而も其の慾は冥福を求むるのではなく、全く目前の方であるから、神や佛までを其の目的を達する道具に使つて居る、誠に情ない有樣である、
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次に西藏の迷信、其の他東洋諸國の迷信に就きても、色々聞き込んで居る話があるけれども、略して置き、先づ日本新領地の迷信を紹介することに致さう、
第六段 朝鮮の迷信
余が先年朝鮮に漫遊した時、京城市外凡そ一里計り隔りたる處に開運寺と名づくる寺院があるが、之を尋ねて意外の感を起したことがある、余が其の寺の門に近づかんとする時に、朝鮮の一紳士が威儀堂々として門より出で來るを見た、其の時に案内者に彼の紳士は何の用あつて此の寺に來りしやを尋ねしに、彼は官吏にならん為に祈禱を願ひに來たのであると聞いて驚いた、此の時は朝鮮が未だ日
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本に併合せられぬ時であつた、役人になることまで神佛に祈願して助力を請ふなどは恐らくは他國になからうと思ふ、其の後平壤に參り、日清戰役の古戰場たる牡丹臺を尋ね、更に其の山麓の大同江に面する永明寺を訪問した、其の時日本の禪僧旭某氏が住職然として出でて應接したから、貴方は此の寺の住職になつたかと尋ねたれば、イヤ住職ではないが、住職以上であるとの答である、其の譯はと問へば、曰く此の寺は實に風景に富みたる名刹であるが、住職は極めて愚物で、余は(旭氏自ら云ふ)初めて此寺に來り、住職に毎日酒代を恵むことを約し、自ら此の寺に入り、住職を小使の代りに使うて居るとのことを聞いた、其の住職は酒を呑むより外に藝もなく慾もないさうである、僧侶が已に此樣な愚物であるから、一般の知識の程度は大抵推測することが出來る、
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朝鮮人の迷信中にて最も不潔に感ずるのは、小便(尿)を藥の代用にする一事である、又婦人などは己の小便を口に含めば齒が強くなり、顔を洗へばキメがよくなると信じて居るさうだ、昔時は王室に於て藥用の尿水を取る為に、わざわざ子供を育てゝ置いたことを聞いて居る、其の子供には一切肉食をさせず、平素野菜のみを食べさせて置き、其の尿を取りて天子樣の藥用に供したなどは、實に驚き入りたる次第である、一體朝鮮人は不潔を不潔と思はず、普通の井戸水にも多少の尿分の混ぜぬものはないといはれて居る、朝鮮人は路傍へ勝手に小便をするのに、井戸は至つて淺く、雜水の集りたるを汲むのであるから、尿分の混ずるは當然である、依つて尿を藥用にすることなどは毫も不潔とは思はない、
始めて朝鮮に入るものゝ眼に第一に觸るゝものは墓地である、す
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べて山がかりたる小高い處は一面に饅頭形の墓場を以て滿たされて居る、斯く墓場の多くなる原因は一人毎に別々に墓を設くる為である、一家族中に於て一人の死者あれば其の度毎に賣卜者に方位をうらなはせ、吉方を聞き其の方角に向つて墓地を定むるから、一家の墓地が四方に散在して居る、是れも朝鮮人の迷信より起つたものである、
日露戰爭の後、日本人が續々渡韓するやうになり、其の翌年梅雨の期節に雨天が平年よりも長く續いた、さうすると朝鮮人が申すには、日本は雨の多い國であるから、日本人が其の雨を持ち込んで來たに相違ないとて大に不平を訴へたことも聞いて居る、是れも迷信の一例である、
又朝鮮にては賣卜豫言の類が大に行はれて居るが、丁度我邦の市
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子口寄の如きものありて、一切の占法を引き受け、方位、運氣、家相、緣談等の吉凶を豫言することになつて居る、是れ卽ち朝鮮の巫女である、此の巫女は一二歳位の捨子を拾うて來て、之を大瓶の中に入れ、一切食事を與へず、只其の赤ん坊の手の届かぬ處へ握飯をつるし、見せかけて置くのみである、さうすると赤ん坊は手を伸ばし、全身の力を指先に注ぎ、握飯を取らうとし狂するが如くになる、斯くして飢死せんとする所を剪刀を以て其の指先を剪り取り、之を箧中に祕藏して人の運命を卜ふさうである、實に殘刻を極めたる迷信ではないか、先づ朝鮮の迷信は此位にとゞめて臺灣に移ることにしよう、
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第七段 臺灣の迷信一(生蕃人)
臺灣に居住するものには内地人、本島人、生蕃人の三通りの別がある、其中にて先づ生蕃人の迷信を述ぶるに、其の種類が幾通りにも別れ、隨つて其の各種が風俗習慣を異にせる故、一括して論ずること難きも、もとより大同小異なれば、余が臺灣客中傳聞したる點のみを掲げて置かうと思ふ、
蕃人の宗教は祖先崇拝の方である、彼等は人死するも靈は滅せぬものと信じ、祖先の靈は山林に集りて今現に存して居ると信じ、蕃地には神山神林があつて、其の樹木は一枝たりとも伐採することを禁じてある、又大樹の老いたるものにも神靈が宿つて居ると申して崇拝して居る、又彼等の口碑に傳ふる所によれば、先祖は山上の岩
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窟の間より生れ出でたりとも、或は天より降り來れりとも申して居る、
祖先の靈につき右の如く信じて居るは宜けれども、之を祭るには必ず他人種の生首を切つて備へなければならぬとて、祭の前には必ず首狩に出掛けることになつて居る、實に野蠻至極の風習である、彼等は夜中時々幽靈に出會し、又非常に幽靈を恐るゝさうだが、其の幽靈が日本内地の幽靈と全く反對して居るのは面白い、内地の幽靈は頭があつて足がないが、生蕃の幽靈は足があつて頭がないさうだ、是はつまり首を切つたときの形が、幻覺の上に現はるゝ故である、
蕃人は父母の死したるときに其の屍骸を床の下に埋め、目印に石を建てゝ去り、其の家は自然に頹るゝに任せ、他家に移住するとの
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ことである、葬式には神詞の如きものあつて讀み上ぐるさうだ、或は又死者あれば家人相集りて哭泣の禮を舉げ、屍體に新衣を著け、之を鹿の皮か布に包みて土中に埋め、其の地には決して近づかず、又死者のことを語るを嫌ふ種族もあるさうだ、此點は北海道のアイヌによく似て居る、
彼等の平常生活に於ける迷信の風俗に就いて傳聞する所によると、夜中犬の遠吠するを聞くときは、家族中に必ず死するものあるべしとの迷信より、祈禱して厄拂をすること、又旅行中嚏すれば大凶事ありとして、急ぎて歸宅すること、又自宅にて一人嚏すれば、他の者が祈禱を行ふこと、又婦人は幽靈を怖れて夜間外出を為さざること、隣人の食物に觸るゝことあれば、眼病を患ふるの兆ありとすること、又牡雞の日の暮るゝときに鳴くを不吉の兆とし、直に其の雞
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を殺すこと等が生蕃の迷信である、或る一種族は妻が懷姙すると其の夫が謹慎し、愈々臨月に近づけば妻は外へ出でて働くも、夫は家内に閉ぢ籠つて決して外出せぬさうだ、是は面白き迷信と申さねばならぬ、
又或る種族は出産の時に自宅にて兒を産むを不吉とし、村外に産室を設けて産婦を入れ、家人一切之に近づかぬ風習もある由、又或る種族には巫女ありて、すべて病氣の祈禱を引受くるとのことである、又或る種族は鳥聲を聞いて吉凶を判じ、獵の有ると無しとは神助の力なりと信じて居るさうだ、
第八段 臺灣の迷信二(本島人)
臺灣にて本島人と稱するは、支那系統の人種のことである、是れ
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に福建省系統と廣東省系統との別があるが、此には二者を合して論ずることにしよう、
本島人の宗教は支那就中南清の宗教である、都會の地には文武南廟がありて、文廟には孔子を祭り、武廟には關帝を祭つて居る、又佛教の寺もあるが、其の本尊には奇々怪々のものゝある中、觀音が一般に信仰されて居る、民家にても必ず佛壇の如きものがある、之を正廳と名づけて居るが、其上には親祖先の位牌の外に觀音の像を掛けてある、然なければ關羽の像を祭つて居る、又最も多數の崇信を得て居るのは媽祖と名づくる女神である、或は又街路の四辻に當れる場所に小なる石室が建てゝあり、其中に我邦の大黑に似たる福神が入れてある、而して此等を崇拝信念するのは全く現世目前の福利を得んとする慾望に外ならぬ、
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本島人の死後に就いての觀念は矢張り靈魂不滅説にして、其の魂に三個ありと申して居る、其の第一魂は幽界に入り、第二は墓下に止まり、第三は家中に住するものと信じ、幽界の魂は僧侶をして慰めさせ、墓下と家中の魂は子孫が之を慰むべきものと定めてある、然し彼等の神佛崇拝は全く一身一家の冥福にあらずして現福を祈るのである、
神佛に祈願するときには竹紙を燒くことが盛んに行はれて居る、竹紙とは名の如く竹にて製したる黄色の紙にして、之に金を塗り付けたるものと銀を塗り付けたるものとがある、而して手輕の祈願には銀紙を燒き、重大の祈願には金紙を燒くことになつて居る、之を燒くと其の金銀が神佛の方へ届くから、此方の祈願を叶はせて戴けると信じて居る、卽ち天國へ贈る郵税為替に當る譯で、頗る面白い
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考である、此の金紙銀紙は皆南清より輸入するさうだが、其の年額五十萬圓以上に達すとは驚かざるを得ない、
彼等の迷信を利用し、之によりて生活して居るものが亦澤山居る其の名稱に法師、道士、生佛、僧侶、亂童の五種がある、此中には我國の修驗巫女卜者の類が悉く含まれて居る、是れ皆祈禱除災豫言の專業者である、其の中僧侶丈は佛教に屬し、他は佛教にあらず、生佛も佛教と關係なく、彼は經を知らず字を解せざる愚物にして、只豫言をなすのみである、或は清水一碗を取り、之に涎を吐きて人をして飲ましむることがあるさうだ、亂童は童子にして種々のマジナヒをするものである、其の行ふ所の方法中に我邦の修驗に似たことが多い、彼は火渡りも行うて居る、之を過火と申すさうだ、
其の他本島人の迷信とすべきは、道に死人があるときに其の脳味
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噌を取り出して食するものがある由、是れは彼等の一種の迷信に本づくといふことだ、又人の名に鬼とか糞とかいふ實名がある、是れ亦迷信より起つて居る、鬼には病魔が恐れて近づかぬ、糞は不潔なるが故に同じく來り侵さぬと信ずる結果であるとのことだ、
今一つ馬鹿馬鹿しい迷信話は昨年臺灣に暴徒の起つた原因である、其の時の主謀者が愚民を煽動するに最も力ありしは、某地に耳の長く垂れて肩に掛れる子供生れたるが、是ぞ日本を驅逐して臺灣の王たるべき人なりと、五百年以上存在すと稱する豫言者の語りしに因れる由、臺灣よりの通信中に見えた、先づ臺灣人の迷信の程度は此等の諸例によつて、十分測り知ることが出來る、
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第九段 琉球の迷信
臺灣の次には琉球の迷信を述べなければならぬ、先づ琉球の宗教を見るに祭天教と祭祖教である、祭天としては時々天祠の祭を行ふことになつて居る、毎年舊曆十二月末には天に報告する為に大祭を行ふ、又隨時迷魂を天に送り込むために祭をする、例へば災難のある場合に之を迷魂の所為に歸し、天に祭り込むことになつて居る、又各間切(村のこと)にヌンドンチと名づくるものがある、是は社に當る、之に奉事して居るものをノロといふ、神官のことである、其の社内の本尊は三箇の石にして、竈の形を取り、火の神を代表したものと申して居る、
次に祖先崇拝としては琉球ほど墓場に金を掛ける處はない、一つ
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の墓場でも安くて二三百圓、高いのは五六千圓といはれて居る、而して其の祭が實に頻繁である、其の外各戸には必ず靈位と稱して位牌を安置する一室が設けられ、毎日禮拝をすることになつて居る、
以上の天を祭り祖を拝するは決して迷信といふ譯ではないが、之に附帶して色々の迷信がある、先づ琉球名物のユタを述べて置きたい、ユタは内地の巫女に當り、死人の消息を語り、運命の吉凶を告ぐるものである、其の仕方は米を掴んで占ふとのことだ、一家に病人のあるときにユタに占はせ、何代目の祖先のタヽリと知りたらば、盛んに其の靈に對して、お祭をすることになつて居る、又死人のある時には四十九日目にユタを呼んで亡者の消息を語らしめ、犬や雞の鳴聲の惡しきときにもユタを雇つてお禳をなさしめるなどは琉球の迷信である、
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臺灣にては金紙銀紙を用ふるが、琉球にては紙錢を用ひて居る、紙錢は白紙に錢の形を印したるものである、琉球人は墓場に於て祖先の祭をするときには此紙を燒く、さうすると其の錢が冥途へ届くと信じて居る、
死人の魂が火になつて現はるゝといふことは、琉球にても傳へられて居る、毎年舊曆八月八日より十五日までの間に、タマガリを見ると稱して幽靈火を見に出掛ける、之を見る為に山上に臺を造り、其の上にて望む、若し死人や災難のある家には、必ず此火が見ゆると信じて居る、
人が水中に入りて溺死するときには、前に死んだものゝ靈が引付けるのであると解して居る、人が家を出でて山の中や林の間でさまようて居るのを物が持つといふ、物とは妖怪のことである、又妖怪
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を除く法として食物の中へ藁を結んで入るゝことがある、又子供が途中にて仆るゝときには魂を地から拾ふ眞似をして、之を懷に入れることがある、之をマブイをコメルと申して居る、マブイとは守りの義にして、身を守る魂の意味である、
火事は附火を除くの外は、すべて天火と稱して、天より罪を受けたるものと定めて居る、家が燒けかゝつて幸に消し留めたる場合には、假に小さき茅屋の形を造つて之を燒く、其の事を火返しと申して居る、又屋根瓦の中に獅子の面貌をなせるものがある、是れは防火のマジナヒであるさうだ、路傍の樹木に七五三繩を張り、其の上に豚や牛の骨をかけて置くことがあるが、是れは疫病除のマジナヒである、
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第十段 離島の迷信一(伊豆七島)
次は伊豆七島の迷信談に移る、七島の宗教は御倉島を除くの外は概して佛教なるも、信仰は皆無である、只祖先崇拝は盛んに行はれて居る、夫故に墓場を大切にする風がある、例へば七島中の新島や神津島は墓場を清潔にすること甚だしく、毎朝嫁の仕事は墓場の掃除である、女子が嫁に行くとき持參する第一の要具は、墓掃除の手桶であるさうだ、又七島中に神社もあつて島民は之に參拝するが、賽錢の代りに大島では米を投げ、八丈島では海濱より清淨なる砂を取り來つて投げる、而して神や佛に祈願するのは、冥福を祈るのではなく、現福を願ふ目的に外ならぬ、
七島には巫女を信ずるもの多く、就中八丈の附屬島の靑島は巫女
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の多いといふ點を以て名高い、其の島には約八十人の巫女あつて、病氣はすべて之に祈禱を行はしむるきまりである、尤も此の島には一人の醫師なく一戸の藥店もないから、巫女が其の代用をして居るさうだ、
大島の神社の境内に御幣を木の下に立て、茅を以て之を圍んであるものがある、是れは島内の安全を祈る為の祠代用であるとの話だ、又立木に釘を打付けてあるを見たが、是れは人を呪ふのであるとのことだ、
七島には狐が居らぬから狐惑や狐憑の話はない、其の代りに大島では鼬にだまさるゝと申して居る、又八丈では山猫にだまさるゝとの説がある、而して附物としては死靈の話が傳はつて居る、其の外「風オリ」と名づくる怪事がある、例へば婦人が急に發熱して夢語を
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發し、何某の死したるは何々の祟なりなどと言外することがある、之を風オリといふ、卽ち内地の狐附である、
大島の迷信談中に日忌のことを忘れてはならぬ、毎年一月二十四日より二十五日を日忌と唱へ、其の夕は船幽靈が襲ひ來ると信じ、晝間より戸を閉ぢ、決して屋外へ出でぬ、又牛を戸内に置くことを忌み、必ず之を海の見えざる山の蔭へ繋ぎ置く、其の由來に就いては、或はむかし人民を虐待せし代官を殺して、海に流したることありとも、又豊臣時代に耶蘇教を信じたる婦人を殺して流せしことありとも、種々の俗説傳はり居るも、はつきりした原因は分らぬ、此の風習は只今にては大島中の泉津だけに殘つて居るさうだ、
又新島にては海上に魔女が現はるゝとの迷信がある、傳説によると時々海上に緋の袴を著けた美人が現れて、漁船に妨害を加へると
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のことである、漁夫は大に之を怖れて居る、其の由來を聞くに、むかし藤原時代に此島へ漂泊した船があつたが、其の船には食物が盡きて船中の人々は餓死せんとする有樣で、男の連中は一人の女子を船中に殘し、食物を探りに出た儘歸つて來なかつた、つひに其の女子は恨を呑んで餓死した、是より其の靈魂が海上に現れ、男子を苦しめて復讐をするのであると信ぜられて居る、但し此談は新島中の合浦に限るとのことだ、
第十一段 離島の迷信二(壹岐對馬五島)
朝鮮なり臺灣なり琉球なりは日本の新領土にして、其の住民はもと別種族であり、且ついづれも支那の風俗を傳へて居るから、迷信
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の頗る多いは當然である、又伊豆七島は元來我々の同胞なるも、絶海の孤島にして、内地と交通すること少なく古代未開の遺風を存して居るから、是れ亦迷信の多いは止むを得ない、然し日本内地は文化の程度も高く、知識もよく普及して居るから、右樣の迷信はないと申したいが、殘念ながら内地の迷信も決して彼の新領土や孤島に負けぬ、或は却つて夫れ以上のことがある、是より内地に於ける迷信を述べる順序として、西南の離島たる壹岐對馬五島より始め、次第に東北に及ぼしたいと思ふ、
壹岐と對馬は朝鮮支那に接近して居るから、彼の風俗が入りまじつて居る、同時に迷信も似て居るやうである、然し今此には成るべく特殊の迷信を掲げたいと思ふ、偖て此二州は風俗習慣とも大同小異にして、雙方共通の迷信が多い、余は專ら壹州に於て聞き込みた
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る迷信を述ぶるつもりである、
此の兩州の宗教は佛教なれども、其の實祖先教である、人が寺へ參詣しても、本尊に禮拝せずして、己の祖先の位牌だけに禮拝して歸る、又各戸に佛壇があつても、位牌を入れて置く為で、其の所謂佛とは死んだ人の靈を指すのである、故に佛寺あつても、佛教はないと申して宜い、五島も稍之に類して居る、
壹州の民家には必ず神棚と佛壇と荒神とを設けて置く、而して其の荒神は家中の土間の處に懸けてあり、家を出でて旅行をするときに、必ず之を禮拝し、之と同時に鍋釜の蓋を頭上に戴く風習がある、是は旅中の病災を除くマジナヒだといふことだ、癩病患者などに接し、又は其者より品物を受取りたる場合には、己の手に唾を吐きかくる習慣である、是れは手を清むるマジナヒだとのことだ、又家を
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明けて出づるときに、戸口の外に
の字を張り付ける、是れは盜難除のマジナヒであるさうだ、其の他北と西との方位を避くる迷信あつて、著物を晒すにも枕をするにも、其の方角を避くることになつて居る、
壹州には狐が居らぬから、狐附はない譯だ、其の代りに河童附がある、又田川村には狸將の怪がある、村内に病人あれば、此の狸將に惱まさるゝと申して居る、是れが狐附に當ると思はる、又野狐がつくといふ風説もある、然るに對州には野狐も狸將もない、只附物は河童のみであるが、死靈生靈が附くといふことは申さぬではない、
五島には狐も狸もないが、河童に就ては名高い話がある、方言で之をガツパといふ、卽ち富江村の海岸に河童の築きたる城が今以て存在して居る、むかし其の村の大工に河童が附きて、一夜の中に造
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り上げたものとの傳説である、又五島には山ウロと申すものが居る、其の形は目に見えねど、夜中に石を落す音や、木を伐る聲をさせ、又雪中に其の足跡を見ることがあると申して居る、是れは他の地方の所謂天狗の所為に當るかと思ふ、又五島にては船幽靈の説が一般に信ぜられて居る、海上船なき處に船の形を見、或は櫓の聲や人の呼聲を聞くことがあるさうだ、之をすべて船幽靈と申して居る、
第十二段 九州の迷信
對壹兩州及び五島の迷信を述べたる以上は九州内地の迷信を説かなければならぬ、先づ九州特殊の迷信としては河童であらうと思ふ、河童一名河太郎は水中に住する怪物にして、人の尻を拔いて殺すも
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のなりとは、いづれの國にても唱ふる所である、其の形なども畫に描いて傳へてあるが、十歳位の小兒の形を成し、頭上に凹處あり、之に水を蓄へて居る、其の水盡くれば力も亦盡き、其の水存すれば如何なる力士と雖も之に勝つこと出來ず、よく人を水中に引き込んで殺すものなりとは、何人も聞いて居るが、九州の河童は其以上に人を惑はし、或は人に附く作用ありと信ぜられて居る、其の事は前に五島の下にて述べたる一例にても分るであらう、斯る話は九州中にても肥前肥後方面に多い、佐賀の方言にては河童をカワソーといふ、之を川僧と書いて居るけれども、獺から轉化したる語かと思はる、又日州にては河童をガクラと呼んで居る(四國山陽などでは河童をエンコウといひ猿猴と書く)熊本邊でも狐は人を惑はし河童は人に附くものゝ如くに申して居る處がある、又熊本縣下の葦北郡邊にては河童と山童とは同種に
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して、春の彼岸より秋の彼岸までは川に入つて河童となり、秋の彼岸より春の彼岸までは山に入つて山童となると信じて居る、其の地の方言にて山童を山ワラフといふ、或はガゴともいふ、但しガゴは寧ろ妖怪の總稱に用ひられて居る、山童の舉動を尋ぬるに、形を見ることなく音聲と足痕に觸るゝのみ、足痕には三爪の痕を留め、音聲は鋸を引くが如き響であると申して居る、或は又樵夫が樹木を背負はんとするに重くして舉らぬ場合には、山童を呼んで賴むと輕く上るといひ、運搬するにも其の手傳によれば輕く動くとの風説である、是れは他府縣の天狗談と同じやうに思はる、筑前にては山より歸つて熱を起し、或は痛を感ずる時に、之を風と唱へて居るが、之と同樣である、又鹿兒島にては夜中河童の鳴聲を聞くと申して居る、或は之を野狐の聲ともいふが、水中に於ける千鳥の聲らしい、又天
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草にては河童の災を除く法として、十五社に祈願を掛ければよいと信じて居る、此十五社は天草の各村に祭つてある、
河童の外に狐或は野狐の迷信も九州各所にあるが、略することにし、余が旅行中見聞せしマジナヒを列舉してみたいと思ふ、熊本市中に戸口に鎮西八郎為朝宿の張紙あるを見て、其の理由を問へば、天然痘をのがるゝマジナヒであつた、又筑後旅行の際、道路の四辻に當る處に木の杓子へ人の顔をゑがいて立てゝあるのを見たが、是れは百日咳にかゝつた時、其の顔を千人の人より見て貰へば治するとの迷信であるさうだ、百日咳を方言にて千コヅキと申す、又肥後にて芋畑に人の手を印したる板を立てゝあるを見たが、是れは芋を盜むものゝ手が腐るといふ迷信に本づいて居る盜難除のマジナヒである、又筑前にて柱に「今年より卯月八日は吉日ぞ髮長蟲を成敗ぞ
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する」の歌を倒に張り付け置きたるを見たが、是れは九州に限らず蟲除のマジナヒとして何れの國にも行はれて居る、又薩摩大隈では道路の衝當りに石敢當と刻したる建石がある、是れは琉球に殊に多く立てられて居るが、支那より傳來せし魔除法である、
筑後の善導寺といへば淨土宗の一本山として名高い寺である、其の寺へ産婦が參詣して祈禱を乞ふことになつて居る、若し門内に入りて初めて男子に會すれば、胎兒は男と判じ、女子に遇へば女と判ずとのことだ、又堂の戸を開くときに、其の戸重ければ難産、輕ければ安産と判ずるさうである、
佐賀縣三養基郡綾部八幡社に毎年風神の祭を行ふ例がある、舊曆六月十五日に幡を上げ、秋期彼岸に之を下すに、其の幡の巻き方によつて風災の有無を判定することになつて居る、又北茂安村千栗八
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幡社にては、正月初に粥をたき、舊二月初卯の日に其の粥の狀態を檢して豊凶を判知することにきまつて居る、此くの如き例は全國到る處にある儀式にして、決して珍らしくなけれども、九州旅行中に聞いた話であるから此に紹介して置く、
大分縣方面にては犬神の迷信が多いが、是れは四國より傳來せしものなれば、後に述ぶることにしたい、又外道と唱ふる迷信もあるが、是れは犬神の種類である、又余が豊後にて聞くに座頭、物知りなどゝ唱ふる吉凶禍福の豫言するものが多いとのことである、
第十三段 四國の迷信一(犬神)
次に四國の迷信として第一に犬神の話をせなければならぬ、實に
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ての飯を畜生如きに食はせるは惜しいと、首を突き退け淺猿しくも皆々寄つて集つて飯を平げて了つた、けれども飯に籠つて彼等の體内に収められたる犬の妄執は遂に其の人々に乘り移つて、彼等は遂に人間ながらの犬と化し去つたなどと傳説に傳つて居る、
伊豫の犬神の由來に就いては未だ傳説にも口碑にも之を聞かぬが、其の發作する動機の多くは耳目の慾に曳かさるゝので、他人の衣服若しくは食物に一念動けば忽ち其の一念、我とも知らず先方に通ずるのである、之は南豫のさる家の出來事であるが、或日一人の來客があつた、折から家内一同何の祝いか、重箱に詰められた赤飯を茶碗に移しつゝ、連に舌鼓を打つてる最中、不意の客來に皆々慌てゝ食具を背後に隱した、座に招ぜられた客は、チラと此の體を見たが、さあらぬ體で四方山の話を為始めたが如何も重箱
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に氣が蒐ると見えて、物言ふ中にも連に主人の背後へ卑しい視線を送るのであつた、其を知るや知らずや、主人は別段重箱を取り出す氣色もなく、唯お茶抔汲んで待遇して居た、すると客は俄に腹を抱へて「ア痛たゝゝゝ」と苦しみ出した、サア大變といふので家内の者皆寄つて來て介抱したが、發熱さへして油斷ならぬ重態、ウンウン唸つて虛空を掴むといふ騒ぎ、ソレ醫者といふので、小僧が尻捲りして飛んで行く、迎へられた醫者は暫く脈を見たり胸を叩いたり、形の如く診察したが、小首打傾けて不審の體、「餘りと云へば突差の病氣、全體何病でおざりまする?」と主人が醫者の顔を覗き込んだ、「薩張り解りませぬ、愚老も是まで種々の病氣を診ましたが、此樣な病氣は、遂ぞ診たこともおざらぬ」と眤と病人を諦視め乍ら暫く考へて居たが、ハタと膝を打つて「何う
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も樣子の可笑しき處⋯⋯若しや是が世に云ふ犬神ではおざるまいか」と言ふ言葉も終らぬ内、病人は俄に顔色を變へ、慌てゝ拇指の爪を隱した、早くも其に眼を付けた娘の一人は逸早く「アレ爪を⋯⋯拇指⋯⋯」と大聲舉げたので皆々氣味惡げに顔と顔とを見合せた、主人は隙さず枕頭に膝行寄り「扨はお前は犬神だつたのぢやな、ゼ全體何處の犬神ぢや、何處に住んでけつかるのぢや、サ其から吐せ⋯⋯」と殊の外の立腹、「其から目的は何ぢや、大方臺所でも荒しに來たのぢやらう」と疊みかけて問ひ詰める(以下略之)
右は伊豫の話であるが、土佐阿波は殊に犬神の迷信が強い、余が曾て土佐にて聞きたる話に、犬神を使ふものは人の美食を見て、我も食はんと欲すれば、忽ち犬神が彼の食する人に取り付き、其の食を我に與へよと口ばしる、其の時に食物を犬神の家に贈れば、取付き
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たる犬神が離れて正氣にかへる、此の犬神を有する家とは他人結婚を避け、交を結ばず云々と申して居る、又阿波よりの報告は左の通りである、
我が阿波の國には從來犬神と稱するものありて、一種の國産の如く世人に傳へられしが、元來犬神なるものは代々家に傳はり、血統相續するものとして、社交上擯斥せらるゝこと甚だしく、往々結婚の妨害となることあり、故に其家に生れたるものは、たとひ未だ狂態を示さずと雖も、人旣に之を犬神と稱し、共に社交を結ぶを恥づ、豈不幸と謂はざるべけんや、思ふに犬神は一種の精神病にして、狐憑狸憑等と更に異なる所なきが如し、唯此に注意すべきは犬神となりて狂態を演ずるものは、大抵女子にして、男子は千人中僅に一二人あるに過ぎず、故に犬神の血族中にても妻子
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は皆犬神と呼ばれて擯斥せらるゝに拘らず、男子は概ね此稱を受けざることゝ、犬神の人に忌まるゝは主として食物に關せざるはなく、從つて皆貧困者にして、士族又は富裕の家に犬神ありしを聞かざることゝの二事なり云々、
阿波の池田町は四國中の犬神の本場と唱へられて居るが、余は兩度まで此町に遊び、犬神の實況に就いて委しく聞いたことがある、昔は毎年犬神附が澤山生じたが、近年は次第に減じ、殊に小學校卒業者に附いた話を聞かぬと申して居る、
第十四段 四國の迷信二(他種)
四國には犬神の外に狸附と天狗附とがある、例へば讃岐の如きは
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犬神もあるが、寧ろ狸附が多い、然し狐附は全くない、むかしは四國には弘法大師が封じたと稱して、狐が居なかつたさうだから、狐附のないのは當然である、但し近年は狐も居るとのことなれども、まだ狐附がないのは古來の傳説のない為である、次に天狗に至つては四ヶ國に共通して信ぜられて居る、余の四國巡遊中にも度々天狗話を聞いたことがある、只此に奇なるは四國にて平民は犬神に苦められ、士族は天狗に惱まさると申して、士族の家には古來犬神の入りたるためしなく、平民の人には天狗のつきたる例がないさうだ、要するに犬神は無學のものに限り、天狗は知識あるものに限るといふのである、
高知縣にては柴天と名づくる妖怪談がある、其の形小供に似て野外に現はる、非常の強力を有し、何人も之と相撲を試みるに、仆す
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こと出來ず、他地方の河童に似て同じからざるものである、大抵其の時には立木などを相手にして相撲を取つて居るさうだが、自身は其の事を覺えぬとのことである、
其の他の迷信としては愛媛縣道後近在を通過せし時、田間に石地藏が立つて居るが、之に通行の人が泥を打ちかける、夫故に全身泥を以て滿されて居る、其の意味を尋ぬれば此の地藏は泥打地藏と稱して、人より泥を打ちかけらるゝのが地藏の本望なれば、泥を打ちかくれば地藏は滿足して其の者に幸福を與へて下さるとのことである、又道後村にも之に類したる粉付地藏といふのがある、參詣するものが皆オシロイの粉をふりかくることになつて居る、斯くするときは子なきものに子を授けて下さると信じて居る、一説に粉付とは子好き卽ち子を愛するといふ語より轉じたとも申して居る、
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伊豫の宇和島には和靈社といふ名高い社がある、關西の佐倉宗五郎と呼ばるゝ山邊清兵衛の靈を祭つた處だ、此の清兵衛の芝居をするときには必ず雨が降ると一般に信じて居る、丁度東京にて毎月五日の水天宮の緣日には必ず雨がふると言ひ傳へて居ると同樣だ、
伊豫にて大人が子供を畏すときにガンガウが來るといふさうだが、ガンがウとは恐ろしい化物のことらしい、又地震のときにカーカーカーカーと呼ぶといふことも聞いて居る、カーカーは雷の時に於ける桑原と同じく、地震除のマジナヒらしい、之に反して岡山縣にては地震の時にトートートートーと呼ぶさうだが、纔に海を隔てゝ其の呼聲に父母の相違あるは頗る面白い、
又愛媛縣にて聞いたが、人の死することを温泉郡では廣島へ綿買にゆくといひ、越智郡では廣島へ茶買にゆくといひ、新居郡では廣
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島へ煙草買にゆくといふさうだ、是れは死といふことを嫌つて遠方へ行くといふ意味であらうけれども、廣島と限つたのはをかしい、然るに廣島縣の方面にて聞けば、人の死するを長崎へ茶買にゆくといふさうだ、是に就いて思ひ付いたる話があるから序でに述べて置かう、愛知縣では病人が危篤に陷つたときに高宮行と申すさうだ、其の譯は江州高宮町の近在に新平民至つて多く、時々尾州地方へ牛馬の病死したのを買入に廻ることより、高宮へ行くといへば、死ぬであらうとの意である、之と同時に高宮行といふ語が旣に緣起の惡いことになつて居る、曾て尾州の一僧侶が本山より江州高宮の寺へ轉住を命ぜられしに付き、俄に妻を迎へて出發せんと思ひ、諸方聞き合せたる結果、或る家と緣談相整ひ、將に結婚式を舉げんとするに當り、先方にて高宮行といふを聞き、それでは緣起が惡いとて破
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談と申し込まれたといふ面白い話がある、
第十五段 山陽の迷信
四國の次には其の對岸なる山陽の迷信を説くのが順序であるから是より山陽に於ける特有の迷信を探るに、先づ山口縣には犬神説大に行はれ、食物が腐敗したり、料理が出來損ふと、直に其の原因を犬神に歸することになつて居る、是れは四國より傳來したる迷信なること明かである、次に安藝のトウビヤウ、備後の外道、備前のチウコなどは山陽獨得に相違ない、安藝のトウビヤウは一般の説では蛇であると申して居る、卽ち蛇附である、已にトウビヤウの正體と唱へられて居るものは、蛇の卵であるさうだ、次に備後の外道は其
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の實物としては犬神の如く不明であつて、何物か分らぬけれども、民間にて是れが外道だと稱して居る實物は、一種の變形動物である、卽ち小鼬に似て居る獸類である、其の物が人に附いて精神を狂はせてしまふ、又外道の住んで居る家がきまつて居る、余の備後巡回中に起つた出來事を話さうが、或る家の嫁が急病にかゝり、一晝夜非常に苦んで絶命した、さうすると其の親父が此は病死ではない、某家の外道が來つて咬み殺したのであるから、葬式を行ふことは出來ぬと言ひ張つて居たと云ふことを聞いた、其の話によれば全く惡魔の如くに思うて居るらしい、
備前のチウコとは空中に見る怪火にして、他地方の狐火、火の玉などを總稱した名稱である、其の原因は狐に歸するからチウコといふ、チウコとは宙狐とも中狐ともかくが、空中に狐が火を點ずるの
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意から起つた名に相違ない、或は天狐中狐とも云つて、其の火の高く飛ぶ方を天狐と稱し、低く動く方を中狐とも申して居る、
次に岡山縣の名物はカンバラである、カンバラは他地方の所謂巫女のことで、人の依賴に應じて種々の豫言をなすものだが、其のカンバラが非常に信仰せられて居る、又へイツキ(幣付)と名づくるものがある、是れは神前に立つて幣を持つの意味で、他地方の中座と稱するものに當る、是れ亦相應に信用せられて居る、
神社に關しては安藝宮嶋の七不思議といふものがある、龍燈、拍子木、松明、潮穴等、いづれもむかしは神力の靈妙作用によつて起りしやうに考へられたが、今日も同樣の信仰を持つて居るものが多い、又岡山縣にては古來三大不思議と唱へられて居るものがある、第一は備中の釜鳴、第二は備前の田植、第三は美作の夜櫻にして、
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此三者は各其の國の一の宮にある奇瑞と言はれて居る、夜櫻は一夜の中に自然に櫻が開くのである、田植は一夜の間に自然に田植が出來るのである、余は此二者を實見せざれども、今一つの釜鳴は現場を拝觀した、是れは備中の吉備津神社の境内にあつて、家族に病人あるもの此に來つて祈禱を乞へば、其の癒るや否を釜の鳴聲の如何によつて判斷するのである、釜の鳴るの理は物理學上の研究に屬することゝ思ふが、若し其の聲が眞に神の命令である、神は口なき為に釜をして言はしむると信ずれば、迷信と謂はねばならぬ、
其の他播州には明石に人丸神社がある、此の神社より古來火除と安産との守札が出ることになつて居る、もとより守札其の物は迷信といふ譯ではないが、其の社は柹本人丸を歌神として祭つて居る處で、火除安産と全く關係がない、何故に斯る御札を出すかと尋ねて
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見ると俗人は神社の名がヒトマルだから、火が止まるに相違ない、又ヒトマルは人生ると音相近きより、安産に效あるべしと信じて居ると聞いたことがある、果して斯る理由より起つたとすれば、滑稽的迷信といはねばなるまい、
十六段 山陰の迷信一(人狐)
山陰の迷信としては第一に出雲名物の人狐の事を話さねばならぬ、此の怪物の住する家が必ず定つて居、其の家は血統を追うて相續するといふ點は、四國の犬神に同じきも、犬神が平民の家に限るに反し、人狐は士族や富豪の家に多いといふ點は全く相違して居る、今此に余が妖怪學講義中に引用せし出雲人よりの報道の一節を掲ぐる
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ことにせう、
いづれの地方にても結婚の際には雙方互に其の血統を質すを通例とす、是れ癩病其他の家系を避けんが為なり、然るに島根縣地方には他國に未だ曾て見聞せざる一種の家系ありて、結婚の妨害を為すこと甚だし、そは卽ち人狐持と稱するものにして、人狐を使役する家系なり、卽ち此家系に屬する人は能く之をして厭忌する所の人に憑かしむといふ、此の如き狐に憑かれたる人の言行は頗る奇怪なるものあり、今其一例を示さば、人若し汝は何處より來りしかと問はゞ、彼はまさに前日某件にて我主人を苦めし故、主命に從ひ其の讐を報ぜん為め來りしなりと答ふるなるべし、又若し汝此に來るとも何の要もなかるべし、速に歸れといはゞ、彼は君の意に從つて歸る代りに、君も亦我意に從ふことを肯んずるか
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と反問せん、由て其の欲する所を問はゞ願はくは小豆飯、豆腐汁、及び鯛の味噌漬を得んといふを通例とす、故に之を與ふれば喜び食ふ、其の狀全く狐に異ならず、暴食し終りて且つ曰はん、我未だ滿足せず、更に當家所有の土地一ヶ所を與へよ、然らずんば此人(被憑者)の命を奪はんと、此時我先づ鍼灸を以て汝を殺さんといひて狐憑者を捕へ、其の腹を按じて塊あらば、其處に鍼灸せんに、彼は必ず請ふ免せ、今將に去らんとす、但し少時君此處を去れといはん、依て其の言の如くせば狐憑者窓を開け苦しき聲を發して倒れ、始めて平氣に復するを得べし云々、
右の報告の如く人狐の住する家がある、之を人狐持といふ、其の人狐は己の住する家の恨を晴さん為に他の家人に取附くものと信じ、又は人狐持の家では人狐を遣つて、己の欲望を滿さしむると信ぜら
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れて居る、若し其の形體に至つては犬神や外道と同じく判明せぬけれども、普通人狐の正體と定められ居るものは鼬の一種である、或は雌鼬といふ説もある、其事に付き人狐辨惑談の書中の一節を轉載して置かう、
伯州雲州人狐と呼ぶもの漢名未だ詳ならず、先年松江侯この獸を京師に上せ、漢名を尋ねさせ給へども知る者なかりきと傳へ聞く、又ある人、小野蘭山先生に尋ねければ、黄縣志の皮狐にちかしと答へられしとなり、雲伯の俚俗、此ものゝ人を惱ますことを言へども、人を惱ますものにあらず、其辨下に詳なり、和名人狐と呼ぶべからず、名正しからざれば人の惑となる、雲州には山みさき又藪いたちと云ふものゝよし御觸ありしとなり、本藩まゝ小いたちと呼ぶ者あり、予が邊にては水邊の石垣などの内に住みて山に
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はすくなし、又藪に居ること多しと云ふにあらず、形鼬に似て鼬より小さく、尾鼠より短くして毛あり、形狀を以て云はゞ小鼬と呼ぶところ相應せり、色おほむね鼠色にして黄色を帶べり、或は鼠色より黑色濃くして黄色なき者もあり、其の黑色こき内にも亦濃淡あり、又黄色をおぶるにも亦濃淡あり、或は稀に斑なる者もありと聞けども、予未だ之を見ず、ある時親四子をつれあそぶを見しに、子はみな鼠色より黑色こくして黄色なし、愚按するに、子は皆黑色こくして黄色なく、長ずるに隨つて黑色薄くして黄色をおび、老ゆるに隨つて黄色こきが如し、さて諸國のことを傳へ聞くに、九州には河太郎と云ふものあり、四國には猿神と云ふものあり、備前には犬神と云ふものあり、亦備前中に日御碕と云ふものあり、備中備後にトウビヤウと云ふものあり、何れも人に
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附いて人を惱ますことを云へリ、其の人を惱ますと云ふところを通考するに、其の名異なりと雖も其の實は一なり、人を惱ますと雖も何れも其の形見えざれば、人狐と云へば人狐なり、河太郎と云へば河太郎なり、猿神と云へば猿神なり、犬神、日御碕、トウビヤウも皆然り、國々の俚俗その實をしらず、其の呼ぶ處を異にす、何れも其の名目あたらず、予を以て之を觀るに、皆此者の所為にあらず、其の實は病症なり、然るに國々の俗これに迷ひて、禍となること少からず、雲伯二州は迷ふこと甚だしく禍となること最も多し云々、
此の人狐談は出雲にて今より百五六十年前に始つたと傳へられて居る、今日にても此の弊害頗る多く、一たび人狐持を以て目せられたる家は其の女子を他に嫁せんとするも謝斷せられ、田地を賣却せん
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とするも買手がないといふ程に社會から排斥されて居る、一般の迷信にては人狐持の家には七十五頭の人狐が同棲して居、若し之れと結婚し又は其の家の田地を買ひ入るゝと、其の人狐が移住して來ると申して居る、
第十七段 山陰の迷信二(他種)
人狐の迷信は出雲に限るが、其の餘波が隱岐に及ぼし、隱岐の前後二島中、島前には盛んに行はれ、其の影響が政黨にまで關係するに至るとのことである、卽ち選舉競爭などに人狐派非人狐派があるとの風評を聞いた、然し堂後の方には人狐附の代りに猫附といふものがある、其の地には古來野狐が多く居て人に妨害を加へたことが
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原因となつて、猫附の迷信を起すに至つたとの説だ、
石州には人狐はないが、山口縣に隣接して居る為に犬神の迷信が傳つて居る、又廣島縣にも接近して居るからトウビヤウや外道の迷信も幾分かある、又濱田邊では獺附の迷信もあるさうだ、其の他海濱には船幽靈の話が澤山ある、其の話に難船の後には海上に呼聲を聞き、又光りを見ると申して居る、又舟夫は梅干の核を水中に投ずることゝ、船中に柹の核を燒くことを嫌ふ迷信がある、又市子口寄もあるが之を「教へ」と呼んで居る、
因幡の迷信としてはトウビヤウである、其のトウビヤウは藝州のとは違ひ、人狐に近い方で、手の爪が二重になつて、一手に十付いて居る、又耳も二重になり、胸に白き斑文を有する妖怪的動物と申して居る、むかしはトウビヤウ附を政府へ呼び出し、裁判所にて其
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方は畜生の分際として人に附くなどは不埒千萬である、早く出て行けと云つて叱り付けたものださうだ、是れも人狐持と同じく一定の家があつて、其の家に七十五疋棲んで居るとの説である、
伯州にては西部は出雲の影響にて人狐の迷信行はれ、東部は因幡の關係にてトウビヤウの迷信がある、此に伯州にて狐附を退治するマジナヒを聞いたが、大章魚を乾し、之を當人に抱かしむるか、若くは敷布團の下に入れ置くさうだ、然るに出雲にては梅木の鞭を狐附の室に置き、或は其の鞭にて室を打つといふことである、
天狗の話も山陰方面に尠くない、因州には天狗巖といふものがある、其の場處は網代浦である、奇石怪巖海中に突出屏立して、山陰第一の勝地なるも、何人も未だ之に雅名を付けたるものなしと聞き、余は仙巖浦と名づけしが、其の巖の中に斷崖百丈の處がある、此の
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巖頭より誤りて海中に落下したものが、何等の負傷もせず、全く無事であつた、是れは天狗が助けたのであると信じて、其の巖を天狗巖と呼ぶことになつたさうだ、
次に神社に就いては出雲の松江市を距ること一里半許の處に八重垣神社がある、神代の出雲八重垣妻籠にの舊跡としてあるが、婚姻を求むるもの遠近より此に來りて祈願をすることになつて居る、其の社畔に小池があるが、其ほとりの木に紙をひねつて結び付けたものが無數ある、聞く所によれば己の思つて居る相手の名をかいて結び付けるとのことだ、斯くすれば心願が叶ふと信じて居る、其の外錢一文を紙に封じて池中に投じ、直ちに沈めば願事叶ふとも信じて居る、又境港の對岸に美保神社といふがある、其の社より穀物の種子を出すことになつて居る、農家は諸穀を植ゑる前に此に參詣して
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其の種を受けて歸る、之を田畑にまけば必ず其みのりがよいと信じて居る、然かのみならず其の一種類の種が何種類でも望む所の植物に變化すると信じて居る、
又寺院の方にては伯州東伯郡の山間の或る寺より金を借りて商法すれば、必ず大當りであるとて、諸方より此寺に參詣して金を借り、一年の後に之を二倍にして返納する處があると聞いて居る、但し一人に對して貸す金高は五十錢のきまりださうである、
第十八段 京畿の迷信
我邦の三都といへば文明の程度最も高く、迷信などは少かるべき道理なるに、實際は其の反對で、蓋し三都位迷信の強い處はない、
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京都は我邦の宗教の中心であるにも拘らず、神社佛閣の參詣者は一身一家の目前の福利を授かりたいとの志望が多い、大阪ももとより同樣である、
此に京都の迷信の一例を舉げんに、余が明治三十九年の春、大和地方を一巡せしことがある、此年は丙午に當り、丙は十干の方にて陽火である、卽ち火氣の強い方である、午は十二支の火の氣の盛んなる方である、正南を午の方角とし、晝十二時を午の刻とするのも、火の氣の強い意味から起つて居る、然るに歳の廻りが丙午となつては干支共に火の氣の最も強いものが重つた譯であるから、其の年は必ず大火事があるであらうとの評判が一般に京都中に行はれた、一體は火事の少い土地であるから、隨つて火事を恐るゝことも甚だしい、故に年が丙午で大火事があると聞いて市中大に騒ぎ、各戸皆寐
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ずの番をする有樣である、そこで京都の有志者が余の巡回先へ尋ね來り、大和よりの歸路に是非京都に立寄り、市民に向ひ丙午は恐るるに及ばぬといふ意味の演説をしてくれよとの依賴を受けたことがある、此くの如きは京都人ばかりではなからうけれども、思ひ付いたから迷信の一例として話すのである、
又大阪神戸地方に就いても色々聞いたことがあるが、其の一を舉ぐれば先年此の地方に天然痘が流行しかゝつたことがある、丁度其の時余は攝津地方を巡回して居たが、天然痘を免るゝには種痘すれば宜いのに、之を行はずして敦盛樣の墓へ參詣するものが日夜斷えぬといふことを聞いた、京阪地方にては敦盛樣に願へば天然痘にかからぬといふ迷信が傳つて居るらしい、而して其の參詣者が團子を持つて行くとかいふことであつた、
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京阪の迷信と共に畿内の迷信も併せて述べて置かうと思ふ、先づ泉州堺市の南宗寺といふ寺に利休の碑があるさうだ、其の形は雪見燈籠の如くにして、其の火袋に直徑六寸餘の圓き穴がある、人若し其の穴に耳をつけて聞けば、忽ち蝉の聲の如く松風の音に似たる響がする、之を利休が茶の水を沸かして居る音だといつて居る、此事は京都の大德寺にもあるさうだ、
攝州有馬の鳥地獄や、同じく川邊郡昆陽池の片目魚の如きは、むかしは迷信を以て説明したけれども、今日は格別之を怪しむものがないやうになつた、又奈良の猿澤池の不思議も餘り喋々する人もないが、大和の大峰山上には今以て迷信談が傳へられて居る、此の山に登る途中の急阪の上に平坦の場處がある、登山者は其の阪を登り窮りて平坦部に出づると、數十間の間は立行することを禁じてあつ
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て、誰にても皆匍匐して進むさうだ、其譯は此處に盲天狗が手を出して、人の携帶品を探つて居る、若し立行して彼の手に觸れたらば、所持品を奪ひ取らるゝを恐るゝ為であるとのことだ、面白い説を傳へたものではないか、
河州富田林の近在に燈明松と名づくる妖怪松がある、毎年正月元日には其の松の枝上に燈明が自然に點ぜらるゝとの口牌なるも、古來高德の人にあらざれば其の光りを見ることが出來ぬとの説を傳へてあるも面白い、
又大和の吉野の櫻木明神社に林中の樹木の幹枝ともに疱瘡を發せしが如き小瘤が見えて居る、故に古來此木に信願すれば疱瘡を免かるゝと云ひ傳へて居る、之に均しき迷信が關東にもある、卽ち相州三浦郡大津村に信誠寺といふ眞宗の寺院があるが、其の境内に蓮如
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上人の杖を地に挿れたのが生育して銀杏の大木となつたといふ古木がある、其の枝の節々に乳の形をなせるものが現はれて居る、民間にては此木を信念すれば乳がよく出ると申して乳の少なき婦人は此木に參拝するとのことだ、
又大和國大峰山の麓に洞川の彌勒堂がある、其の境内に直徑五寸許りの卵形の石があつて、之を撫でさすりたる上にて持てば軽く上り、打ち敲きて後上げんとすれば急に重くなつて容易にあがらず、其の石に神靈が宿りて此くなすが如くに信じられて居るとのことだ、是れはもとより精神作用だが、豆州修善寺の御伺の石も其の一例である、修善寺には源賴家の墓があつて、其の上石が一般に人の吉凶禍福を卜することになつて居る、若し一家に病人があれば、先づ此に至つて其の石を舉げ、輕ければ病が癒り重ければ癒らぬと信じて
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居る、是は賴家の靈が知らせてくれるものと思つて居るものが多い、畿内の話が東海道に移つたから、東海の迷信談をすることにする、
第十九段 東海の迷信一(東京以西)
東海道には三河の豊川稻荷、小田原の道了山を始め、三尺坊や半僧坊などの祈禱專門寺院が多く、且ついづれも大繁昌であつて、而も其の信者は己の欲を滿たし利を得んとする祈願が多いのを見て、凡そ迷信の程度を推測することが出來る、余が或る祈禱專門の寺に就て聞いたが、近來は昔にない一種變りたる祈禱の依賴がある、勸業銀行にて債券の應募者に鬮を引かせ、其の一等に當りたるものには千圓づゝ與ふることになつて居る、そこでどうか千圓の鬮の中る
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やうに祈禱して下さいといふのがあるさうだ、斯る願には神も佛も閉口せらるゝであらう、
附物としては東海道特殊のものはないが、先づ狐が附くといふのが普通である、而して四國の犬神や出雲の人狐のやうに家系を有するといふことは全くない、其の中參遠地方にては蛇の話がある、附きものは必ず狐、たゝるものは必ず蛇などと申して居る、
奇異の迷信としては此に二三を舉げて見よう、志州の波切に靈汗地藏といふものがある、其の體は石地藏なるが、村内に變事のある場合には必ず全身に發汗して豫告なさるといはれて居る、石佛は死物であるから發汗する理由なけれども、石の質により氣候の變化する場合には水蒸氣が其の體に觸れて凝結するのに相違ない、丁度ガラス戸や水差の外面に水蒸氣の凝結すると同樣だ、然るに之を地藏
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の豫告と思ふのは迷信である、
三州八名郡内にては古來牛村馬村と稱する迷信がある、甲の村は牛村であるから馬を飼ふことは出來ぬ、乙の村は馬村であるから牛を飼ふことは出來ぬ、若し此きまりを破つたならば必ず其の村に災害あるべしと信じて居る、なんと奇體なる迷信ではないか、
相州鎌倉の某寺に裸體地藏がある、家族に病人ある者は衣類を携へ來り、其の地藏の前に供へ且つ祈願して云ふには、病氣を癒して下さらば此の著物をきせて上げます、若し願を叶はして下されぬならば、著物を取つて歸りますと申すさうだ、是れも面白い迷信である、
今一つ鎌倉の迷信を申さば錢洗辨天の一話である、鎌倉の山手の方に佐介稻荷があるが、其の手前の巖窟の中に小さき石像の辨天を
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安置して居る、其の前に清水の滿ちたる小さき井戸がある、何人も此に來りて辨天を拝し、其の水にて錢を洗へば金がたまるといはれて居る、余も鎌倉客中に尋ねて見たが頗る幽邃な巖窟である、斷えず信者が來て參拝すると見えて蠟燭が澤山あがつて居た、余も金がたまるやうにと思うて懷中より銅貨を出して洗うてみたが、兎ても其の願は叶ひさうもない、
右の如き話は各所にあるから一々舉げることは出來ぬ、先づ東京以西の迷信談は此の位に切上げて、以東に移ることにせう、
第二十段 東海の迷信二(東京以東)
東京以東に狐に就いての話は到る處にあるが、只此に一つ特に紹
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介せなければならぬのは、埼玉縣下に於けるヲサキの迷信である、此の迷信は埼玉縣のみならず、群馬縣長野縣などにも弘まつて居る、ヲサキとは俗説によると尾のさけた小さき狐であるとのことだ、やはり人狐の如く一種の變形動物と見て之れがヲサキであると言ひ觸らしたらしい、是れは或る家にて特に養ひ置かるゝものと信じ、其の家にて之を使うて己の欲するものを他の家より持ち來らせるといふ話である、然し出雲ほどに甚だしき社會制裁を受けて居らぬらしいが、大體に於てはよく似て居る、此の迷信のある地方は養蠶の最も盛んなる處なれば、ヲサキが蠶を盜むといふ騒ぎが時々起る、時によつて一夜の中に蠶棚の蠶兒が幾分か失せることがある、さうすると直にヲサキが盜んだといふことになる、其の場合にはどこのヲサキが盜んだかとの詮議が始まる、大抵一ヶ村に四五軒位ヲサキを
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遣ふ家と目されて居る家があるから、何某の家でヲサキを遣うて持ち去つたに相違ないなどといふ判斷を下す、たとひ鼠の盜み去つたのでも、皆ヲサキに歸してしまふ、此の迷信は今以てなくならぬ、
其の他の迷信に就いては別段著しいものはないが、余が千葉縣巡回中に出逢つた面白い出來事がある、時は明治四十二年の春であつた、千葉縣にて東京方面より傳はつて來たと申して居るが、今年は婦人の厄年に當り、若い婦人は必ず病氣にかゝる、其の厄拂をするには赤飯を携へて石の鳥居を七ヶ所くゞり、各所へ赤飯を差上げねばならぬといふところから、若い婦人は毎日誘ひ合せて石の鳥居を尋ね廻はる騒ぎの最中であつた、其の原因は不明なれども、其の年の初に彗星が見えたことがある、多分之に就いて右樣の俗説を生み出したかと思はる、いづれにしても迷信家の多いには驚かざるを得
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ない、
之に類したる話は余が近年埼玉縣秩父郡内を巡講するとき、其の地方の村々にて熊谷方面より化物が襲うて來るとの傳説が盛んに傳はつて居た、是れは後に聞くと、余は世間にて妖怪博士と呼ばれて居るから、妖怪博士が入り來るとの風説が誤傳したのであつたさうだ、實に抱腹の至りである、
序に今一つ面白い迷信談を申して置かう、埼玉縣大里郡内に妻沼といふ村がある、此村に聖天を祭つて居る名高い寺があつて信者も頗る多い、其の氏子に屬する村落にては雉子を崇敬することと松の木を忌み嫌ふことが甚だしい、其の原因は明かならざれども、俗説によると雉子は聖天樣の愛する鳥といふことだ、又松に至つてはむかし聖天樣が松の葉によつて眼をつかれ、御惱みになつた事がある
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といひ、或は聖天樣は願を掛ければ、すぐに福を與へて下さるから、待つには及ばぬといふことより松を嫌ふやうになつたとも申して居る、兎に角此の村にては松の木は一本もなく、若し他より持ち來つたならば、早速之を棄てゝ御禳をするといふ有樣である、
東京以東の迷信談は此の位に止めて、是より東京市中の迷信に話を移さうと思ふ、
第二十一段 東京の迷信
東京の迷信は中々盛んなもので、緣起といふことが最もやかましい、先づ其の一例を舉ぐれば、スルといふ語を嫌つてアタリといふ、例へば硯箱をアタリ箱といひ、摺小木をアタリギといひ、摺鉢をア
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タリパチといひ、鯣をアタリメといふの類である、又ハタキをサイハヒといひ、梨をアリノミといひ、猿をエテといふも皆緣起のよきを望む為である、又東京人は茶を嫌ふこと甚だしい、年始の贈物に茶をやつたならば緣起が惡いとて御禳をするほどである、是は茶は葬式の贈物といふことから嫌ふのである、今一つは人を茶にするといふことからも嫌はれる、そこで茶のことをデバナといふ、
又東京にては電話の番號までに緣起が八釜しい、其の中に一般に嫌はれるのは四九八九、是れは四苦八苦、三七八六、是は皆病む、三七四二、是れは皆死に、四二七九、是れは死に泣くといふので、嫌はれるさうだ、むかし哲學館で電話を願ひ出でた時に、外の番號は他に取られた後で、只殘つて居るのは四四四であつた、此の番號は誰も嫌つて斷るとのことで、哲學館は緣起を構はぬから其の番號
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を取ることにした、
人相、家相、八卦、方位、日の吉凶なども東京人が最も信仰して居るやうだ、又御鬮なども中々滑稽である、尤も此話は下等の無教育のものではあるが、神社佛閣の御鬮を探るに、初めに賽錢一錢を投じて大凶といふ鬮が出ると、更に二錢を投じて再び探る、若し猶ほ凶が出ると更に三錢を投ず、次第次第に金高を多くして大吉の出るまで御鬮を探るさうである、
先年某新聞に見えたが、或る商店の小僧が主人の金を盜み、自ら發覺せんことを恐れ、深川の成田山に參詣して一心に發覺せぬやうにと祈つて居たさうだが、神佛を愚弄するも此に至つて極まれりと云はねばならぬ、
更に東京下等社會の迷信を舉ぐると、本所業平橋の南藏院といふ
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寺に石地藏がある、心願あるものが此に來り繩を以て其の地藏を縛り、若し我が願を叶はせて下されば此繩を解いてあげますと申すさうである、又疾瘡を患ふるものが兩國橋の中央に至り、飛騨の國錐大明神と念じて北の方へむかひ、錐三本づゝ川中に投じつゝ禮拝すれば平癒するとのマジナヒもあるさうだ、又京橋の欄干にて北側の中央なるギボシを荒繩を以てくゝり、頭痛の願掛をすれば、必ず治すること疑なしとのことも聞いて居る、但し是等は維新前の話である、今一例を舉ぐれば小兒の頭髮を剃るに、目黑不動の瀧の水を汲んで來て髮を浸せば、小兒は頭を動かさずして剃り易いと申して居る、其の譯を聞けば本尊が不動樣であるから動かぬといふも滑稽である、東京は實に文明の中心であると同時に迷信の中心と謂はなければならぬ、
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第二十二段 東山の迷信
東山道の迷信は順序として江州より始めんに、家相に就いて聞いた話がある、其の地方にては四六疊三へッツヒ家相構はずと申す由、卽ち四疊と六疊と三個のへッツヒが備つて居れば、如何なる建方でも其の家には災難なしとの意である、若し之を缺かば災難があるから御祈禱を願はなければならぬことになる、また江州の瓦屋根も煉瓦の處を態々二つに割つて置く家がある、是れはやはり家相の惡い災難除であるとのことだ、
次に美濃の迷信としては石地藏の吉凶判斷を舉げなければなるまい、先に洞川の石、修善寺の墓に就いて申せしと同樣に、石地藏の目方の輕重によつて病氣災難等の可否有無を前知する迷信である、
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其の地藏が稻葉郡鏡島村にあり、同郡北長森村にもあり、揖斐郡谷汲村にも、同郡大和村にもあつて、頗る多いのは其の地方の特色と見て宜い、若し美濃の山間部に入れば犬神人狐同樣の取付病と名づくるものがある、其の家は取付筋と稱して他人之を遠ざけ、結婚することを嫌ふことなど出雲と同樣である、
飛騨の國にも此の取付筋があるが、飛騨では午房種との異名を付けて置くのは面白い、彼家は午房種だといへば狐附の家柄といふことになる、其の異名の意味は午房の種子はちょッとさはつてもすぐに附くもので、取付筋の家も「さはればつく」といふのであるさうだ、又飛騨にはテテと稱する家柄がある、其の家は穢多とも違ふが、一般に社會より擯斥せられ、他と結婚が出來ぬ、其の魂は獸類より來れりなどゝ申されて居る、
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次に信州木曾地にては管狐の住する家ありと申して、美濃の取付筋と同體異名である、而も其の家には七十五疋住すと信じて居る、余が巡講中に聞いたが、尾州人にて木曾地に來り成功したものが、都合上其の地を引拂ひ、鄕里に歸住せんとしたが、其の家屋田地を買ひ受けるものがない、何故なれば其の家には管狐が住んで居るとの風評がある故である、丁度出雲の人狐持と同樣だ、又伊那郡にても或る天理教信者の家にて管狐を使ふとの評判が立つて、其の家を八分にするとの騒ぎが起つた、八分とは其の地方の方言にて絶交する意味である、信州は地方地方により管狐とも白狐とも飯綱ともヲサキともいふが、いづれも同體異名に過ぎぬ、
次に上野下野方面にてはヲサキの迷信があるが、其の有樣は先に述べたる埼玉縣と同樣である、只一つ群馬縣の特色としては達磨市
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である、毎年養蠶の始まる前に目なし達磨の市が開かる、其の市場より達磨を買ひ來り、之を棚に上げ置き、豫め若し蠶がよく出來れば目を入れてあげますと達磨に申し上げて置くことになつて居る、つまり養蠶のマジナヒである、
栃木縣にはワカを信ずるものが多いさうだ、ワカとは他府縣の市子口寄のことで、種々の豫言をするものである、又天狗に就ては名高い古峰が原があるも、此には略して置く、
第二十三段 北陸の迷信
北陸は概して眞宗の盛んなる丈あつて、迷信が比較的少ない、然し全くないではない、むかしは本願寺の御門跡樣といへば、活佛と
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いはれて居つたが、北陸御巡化の時には信者が浴水を貰ひ受けて歸つたことは事實である、時により御門跡樣は入浴を見合せなされ從者が代つて入浴することがあるさうだ、信者は其の事を知らぬから、やはり浴水を汲んで歸るとのことだ、此の迷信だけは近年はなくなつたらしい、余は備後にて大社教の管長に就いても之と同じ話を聞いて居る、
越前國池田地方は山間の僻鄕であるが、先年日清戰役後浮塵子が發生して、殆ど収穫皆無のことがあつた、其時の風評に戰爭中は山山の天狗が皆滿韓へ渡つて日本軍の應援をした御蔭で、百戰百捷の大勝利を得たのに、其の後天狗に對して何等の禮祭を行はぬから、天狗が大に立腹して浮塵子を放つたのであるとの妄説が傳つたとの話もある、
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伊豆の妻良港は市街の形が自然に水字狀をなして居るから、古來火災の起つたことがないと申して居る、其の反對で越中の氷見町はむかし火見と書いたさうだが、餘り火災が頻繁に起ることより皆々申すには、是れは町名が惡いからである、若し氷見に改むれば必ず火事がなくなるだらうとの衆説で、氷見町と改稱することになつた、又越中の井波町は街路の形が自然に風の字に似て居るさうだが、實際非常に風の強い町である、其の原因は市街其物が風字に似て居るからだと申して居る、此等は面白い迷信の一である、
越後の直江津の海岸に五智如來と稱する名高い寺がある、或る期節に於て海上に澤山の海豚魚が郡をなして五智の方へ押し寄せて來ることがある、其の地方にては海豚の五智參りと唱へ、彼魚が如來樣へ參詣に來るのであると申して居る、又越後の南魚沼郡に八海山
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と名づくる高山がある、舊曆八月一日は其の山神の祭日にて、多數の信者が山上に登つて通夜することになつて居る、其の時山上より望むと無數の火光が谷間より上り來るを見るさうだ、之を各戸に山神に獻ずる燈明が傳はつてくるのだと申して居る、
古來不可解として傳へられたる越後の七不思議は、今日ではもはや不思議ではないと知られたが、只今日猶ほ妖怪の作用に歸せられて居るのは鎌鼬である、此の怪事が越後地方に最も多い、例へば道路を步いて居る時突然恰も鎌にて切られたと同樣の疵が出來ることがある、其の疵口ひらけども血は流れぬ、之を鎌鼬に切られたと申す、其の道理は今日にては理學上より説明せられてあるから妖怪ではないが、多くの人は空中に人目にて見えざる一種の怪物が居る故だと申して居る、今一つの妖怪は蓑火である、是れも越後に多い、
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暗夜雨を侵し無提灯にて旅行するときに、蓑より滴る雨が火に見えることがある、之を蓑火とも蓑蟲ともいふ、俗説にては狐の所為と申して居る、
余が越後の北魚沼地方に巡講せしときに珍らしい雷除のマジナヒを見たことがある、其のマジナヒは旅行者が菅笠の上に大道寺孫九郎と大書して置く、此の文字を書いて置けば途中にて雷が頭上に落ち來ることがないと申して居る、是れは余が未だ他地方にて見ざる迷信なれば此に掲げて置く、
第二十四段 佐渡の迷信
北陸道といへば佐渡も其の中に含まれて居る譯なれども、佐渡に
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は一種特別の迷信があるから、項目を別置して掲ぐることにした、
其の所謂特殊とは貉附の妖怪である、是れは家系を有するのではないが、各所に之に關する有名なる舊跡がある、其の中にて最も評判の知れ渡つて居るのは二岩團三郎である、已に二岩神社として祭られて居る、余も佐州客居中之を訪問して見たが、相川より半里許隔つる山頂に天然の岩窟がある、其中に二岩團三郎と稱する貉の巨魁が住んで居るとの傳説である、之に關する歷史的怪談多々ある中其の一を舉ぐれば、明和年中仁木與三と申す人、遠方より歸り來り、偶々月夜其の嶺を越えかゝりしに、遙に鼓の音が聞ゆる、漸く近づき見れば一頭の老貉が月に向つて腹鼓を鳴らして居る、與三は忽ち一石を拾つて投げたれば、其石正しく貉の背部に中つた、さうすると貉大に驚き、一聲叫んで逃げ去つた、與三は一大快事とし得意然
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として歸宅した、其の家は相川市中にあつたとのことだ、愈々宅に著して見ると、家内のもの出で來つて、主人は先刻已に歸つて、只今座敷に食事して居らるゝが、今又主人が歸られた、いづれが眞の主人であるかと云つて惑うて居る、そこで與三は座敷へ行つて見ると、果して己と寸分變らぬものが食事をして居る、與三は之を見て妖魔の變化に相違ないと思ひ、刀を拔いて一打に斬り殺さんとせしに、其の魔物の申すには我は二岩團三郎である、先刻石を打ちつけられた復讐に來て、食事を賜はつたのである、已に御馳走を澤山いたゞいたから、もう是れで澤山といひながら、忽ち其の形が消えてしまうたとのことだ、佐渡には貉に就いて斯る怪談が澤山ある、獨り二岩のみならず、加茂湖畔の湖鏡庵、赤泊町の東光寺にも有名なる貉の話がある、
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佐渡は從來狐も狸も一頭も居らぬ、只鑛山があるので、昔は鞴に貉の皮を用ふる為に、態々内地より貉をつれて來り、之を山林に放ちて繁殖せしめた、其の後貉が澤山居るやうになり、内地の狐にだまされ、又は附かれたといふ話の代りに、貉の迷信が流行するやうになつたのである、隨つて種々の怪談を産み出したに相違ない、
二岩團三郎は神社として祭られてあり、且つ其の所在と稱せらるる岩窟には斷えず參詣者があつて、赤飯や餅などを供へて置く、或る時相川の靑年二三人づれにて此の岩窟へ尋ねて來たときに、搗立の柔かな餅が石の上に供へてあつた、之を見た靑年は團三郎が居るなどとは全く迷信であるといひつゝ、其の餅を喰べ盡し、猶ほ其の上に穴の中へ小便を放ち込み、若し眞に團三郎が居るならば早速我我に罰を與へて下さいと云つて、有無をためしたものがあつたとい
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ふことを聞いた、いかに團三郎の怪談は迷信より起るとしても、小便を放ち込んで試みるとは餘り亂暴の舉動である、
第二十五段 奧羽の迷信
福島縣にて聞くに毎年二月初午の日に茶を呑むことを嫌ふとのことだ、其の由來はむかし此日に茶を呑んだ為に大火がありし故だと申して居る、又信夫郡の仙鄕といはるゝ土湯村に聖德太子を祭れる堂がある、其の像の腹の邊に斑文があるさうだ、依て村内の人々に必ず腰より上の處に此の斑文に類したるアザの如きものがあるとのことだ、之を聖德太子より授かりたりとて皆々喜んで居るといふ話を聞いた、余は未だ之を實視せざれども、もとより迷信である、
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福島縣にても市子口寄を信ずるものが多いとのことなるが、其の種類に、ワカと名づくるものとアガタと名づくるものとシンメイと名づくるものと三通りあつて、其のやり方も各々幾分か違ふと申して居る、
山形縣米澤地方にては人の旅立するときに、其の袂の中に茄子を入れさする由、是れは病氣災難を免るゝマジナヒとのことなるも、其の意味は分らぬ、
余が羽前の上の山温泉に行きたるとき、旅館の下女の案内にて名高い稻荷に參詣して見た、其の堂内に油揚を山の如く積み立てゝ神前に供へてある、いづれも參詣者が持ち來つて祈願するのである、其の時余は下女に彼の澤山の油揚は社守の食用になるのであらうと問へば、下女は彼の油揚は皆稻荷樣が一夜の中に召し上つてしまひ
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ますと申すから、余がマサカさうではあるまいと云へば、下女はホンタウでありますと答へた、斯る知識の程度では迷信も多くなる筈である、
次に秋田縣の迷信としては第一にタマシヒの話を舉げなければならぬ、他縣にて死靈生靈の話は一般にあるが、秋田縣のタマシヒは生靈に似て而も違うて居る、其の傳ふる所によれば、幽靈とタマシヒの二通りを分ち、人の死したる後に形を顯はす方を幽靈といひ、未だ死せずして將に死なんとする場合に親類友達の家に或は音が聞え、或は姿が見ゆるのをタマシヒと申して居る、相當の知識あるものまでが死ぬ前にはタマシヒが現はれてくると信じて居る、其の中にはタマシヒの形のみならず、臭氣を感ずることがあると信じて居るものがある、是れは秋田縣の名物の一つであらう、
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同縣にて地震の時にむかしから萬歳萬歳と呼ぶさうだ、是れは雷のときは桑原桑原といふと同じく、地震よけのマジナヒらしい、
陸中の國でありながら秋田縣に加はつて居る鹿角郡では狐附のことをモスケヅキといふさうだ、又巫女のことをイタコといふ、共に其の地方の方言なるが、此の二者共に一般より信じられて居る、
本邦中の瑞西と呼ばるゝ十和田湖畔の十和田神社に錢占ひの淵がある、參詣者は此淵の上より錢を投げ下し、其の沈み方を見て運命の吉凶を判斷することになつて居る、時々神社の方で水底を渫へると中々澤山の錢が集つて居るさうだ、此の場處は靑森縣の方に屬している、
其の他先年靑森縣巖手縣宮城縣を一巡せし時色々の迷信談を聞いたことがあるけれども、其の多くは失念したから此に述べぬ、
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第二十六段 北海の迷信
北海道は全國各方面より有らゆる階級の人が集つて居るから、迷信も有らゆる種類が集つて居る筈なるが、案外迷信が少い、是れは新開地にして其の土地に古來の傳説がない故であること明かである、他府縣では狐狸天狗化物屋敷などの傳説があつて、何人も子供のときより其の迷信を吹き込まれて居る為に、妖怪迷信が多くなる、然るに北海道は子供の時に斯る傳説を聞かぬから、生長の後、格別迷信を起さぬやうである、
内地にて一般に恐れらるゝ天狗が狐の附くとか祟るとかいふ話は余が北海道に居る間一回も聞いたことがない、已に千島の或る島の如きは年中狐の獵をして生活して居るとのことだが、狐にだまされ
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又はばかされたといふ話がないさうだ、只北海道で怖るゝものは熊ばかりである、
内地にては諸方に化物屋敷がある、東京などは殊に多い方であるが、是れ亦北海道にない、只一度聞いたことがあるのは、日高の國沙流山道の驛亭が化物屋敷にて、此に宿泊せしものが妖怪を實視したとの話を聞いたのみである、又マジナヒなども至つて尠く、病氣はすべて醫者に見せて藥を與へて貰ふやうになつて居る、斯く申すものゝ、人相、家相、卜筮などを信ずるものが全くないではない、又淫祠の類も幾分かあり、迷信的祈願も多少ある、殊に北海道は漁業地が諸方にあるから之に關する迷信は相應に多い、已に山形縣庄内の大山善寶寺などは祈禱盛昌の寺であるが、其の得意場は北海道であると申されて居る、たゞ内地に比して比較的迷信が尠いといふ
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だけである、
然るに北海道に住するアイヌに至つては臺灣生蕃と同じく迷信が頗る深く且つ強い、殊に死を忌み嫌ふこと最も甚だしく、若し一家に死人があれば、其の家を燒き去りて他に移住し、死人のことは決して人に話さず、人より問はれても決して答へぬと聞いて居る、其の樣に死んだ人の話をせぬきまりであるから、アイヌには昔の出來事の歷史談が傳はつて居らぬといふことだ、然し彼等は宗教に就いての迷信を持つて居る、余が十勝にてアイヌの茅屋を尋ねたときに、中央の爐の中に木を削りて造りたる御幣の如きものを立てゝあつた、彼等は之を神として崇拝して居るらしい、又彼等は熊を神と申して居る、熊を捕るときには神と戰ふのであるから、己が殺されても不名譽でないと云つて死を決して取掛るとのことだ、又毎年盛んなる
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熊祭りを行ふことは何人も聞いて居る、先づ北海道の迷信談は此の位にて止めて置く、
第二十七段 全國共通の迷信一(怪火)
以上は凡そ余が各府縣巡講の際、直接に見聞せし談話中、多少其の地方の特色とすべきものを掲げたが、中々此の位で盡きた譯ではない、又斯る特種の外に全國共通の迷信が澤山ある、是より共通の方を話すことにせう、
東西共に怪火の種類頗る多く、狐火、鬼火、火玉、龍燈、火柱、火車等一々列舉すること出來ぬ、就中我邦に於て古來最も名高きは肥後の不知火である、愚俗は斯る火を見ると忽ち迷信を起し、狐の
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所為とか天狗の作用とか、或は亡者の靈魂であると思ひ、海上にあれば海亡魂といひ、陸上にあれば幽靈火、怨靈火等の名を付け、種種の妄説を附會するやうになる、若し怪火の原因に至つては燐火もあり電氣もあり隕星もあり、動物性もあり植物性もあらうが、要するに物的妖怪にして、理化博物の研究に屬することは明かである、余は其の説明をする代りに近年時事新報に掲載してあつた西洋專門家の説を引用したい、卽ち左に轉載する通りである、
鬼火に就いては古來種々の迷信があつて、夫も日本のみに限らず、諸外國に亘つて居る、例へば英語のウイルオジーウイスプ及び獨逸語のイルリヒトなど何れも之と同樣の現象を意味し、少からず迷信が附帶して居る、併し理科學的知識の普及に從ひ、斯く迷信は次第は除去せられ、茍も不思議と考へらるゝ事は大部分理科學
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的に研究せらるゝ樣になつた、左に鬼火に關する從來の理科學者の研究結果の概要を記して見よう、但し確に鬼火と云ふ中には狐火、人魂、不知火等、總て夜間に光り俗に不思議と見做さるゝ現象を含んで居る、
鬼火に關する理科學的研究結果が、始めて世に發表されたのは、西曆一七二六年の事で、研究者は獨逸の物理學者ムッシェンブレウグであつた、此の記事に據るとムッシェンブレウグは鬼火が實際夜間に見ゆる事に就いて少しの疑ひも置かない、而して自身之を捕へて見たら蛙の卵に類似した粘著性の物質で、多分之は燐素であらうと述べて居る、一八〇〇年の初めに至つては鬼火の原因は沼氣燐化水素或は雙方の燃燒にありとの學説が起つたが、由來鬼火を見たと云ふ人々の言が區々で、從つて其の種類も非常に多
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く、中には隨分荒唐無稽の語も附隨して居る為め、學者は其の原因に就て大分疑ひを抱くやうになり、獨逸の雜誌マンナデルフィシクウンドヒエミーの主筆ボゲンドルフの如きは特に鬼火を見たと云ふ人々の談を募集し、各方面より來た數多の報告を世間に發表したが、之が鬼火なるものは實際ある事の證となり、且つ其の原因を理科學的に研究する好材料となつた、此等の報告中にて最も信を措くに足るものは有名の天文學者フリードリヒウイルへルムベッセルの報告である、此の報告に據るに嘗てベッセルは夜間ウエールべ河に舟を泛べる際、一部分水が氾濫した傍の低地に於て淡藍色を帶ぶる數多小形の焔を見た、而して其の焔は絶えず消えたり現れたりし、位置を變ずるものもあり變じないものもあつた、前者は一群を成して横に動き、ベッセルの伴侶は之を見て鳥
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の群が動く樣だと云ひ、舟子は同所に於て其の以前にも斯る火を度々見た事があると云つた、
ポゲンドルフの例に習ひ、獨逸ハノヴア市の學者スタインフォルトは學術及び通俗雜誌を機關として、鬼火に關する數多の報告を廣く獨逸國内に募集し、各報告に就いて一々論評を下し、猶ほ鬼火に關する種々の學説を集め、之を一八九三年より一九〇一年に亘つて世間に發表した、其の中にはポゲンドルフの鬼火に關する研究をも包含し、全部を合すれば大著述である、要するにスタインフォルトの意見は大體に於て疑惑的だが、決して鬼火の原因を神祕的不可思議のものとはして居らない、之には勿論物質的の原因があると信じて居る、而して大概の場合螢が其の原因を成すとの意見の樣だ、猶ほ獨逸レウベックのへルマンフォルナシエン及
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びエルッパリのミゥラーなど云ふ學者も鬼火の研究上大に貢獻して居る、
是迄に鬼火を見たと云ふ人々の話を綜合して考ふると、所謂鬼火なるものには非常に種類が多い樣だ、從つて其の原因と見做す可きものも非常に多く、中には未だ明瞭に原因を説明し得ない現象もあるが、之には勿論觀察者の錯感(卽ちイルーミォン或はハルシネイシォン)若くは何か未だ人に知れざる物質的の事が原因を成して居るので、神祕的不可思議の事が原因であるなど云ふ説は理科學者の全然非認する所だ、前記諸研究家の説に從へば凡そ左に掲ぐる樣なものが多くの場合鬼火の原因となるのである、
(一)腐朽した木及び其他の植物が發光する原因は、是れ發光性の菌が繁殖するが為で、直接木及び其他の植物が發光する
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のではない、モリシウと云ふ學者の説に從へば、約四十五種の發光性菌がある、而して腐朽して濕つた木葉などには、往々此種の菌が附著して居るから、夜間白き光を發する事がある、
(二)螢と土螢(羽無き螢の雌及び幼蟲)より發する光、
(三)鳥から光の發するは、鳥に發光性菌が附著して居るのが原因であらう、
(四)隕星或は瓦斯の燃燒に因る球形の光、
(五)船舶の帆柱及び其の他突出した物體(人體をも含む)より發するエルモスファイアーと名づくる刷子樣の電氣放射、
(六)人に持ち運ばるゝ燈火、遠方にある人家中の燈火及び其他人工的の火、
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(七)沼溜池及び之に類する場所より昇騰する瓦斯には、沼氣を始め種々燃燒し易き瓦斯がある、而して之に點火すれば、光を放つて燃燒するが、其の燃燒を自然に起す原因と見做すべき事が澤山ある、
(八)揮發油泉の燃燒、
ポゲンドルフ、スタインフォルト、フォルナルシォン、ミゥラー等の鬼火研究家が募集した報告中にある鬼火の原因は、大概前記の樣なものであるが、猶ほ此他夜間現るゝ光の中で、最近迄原因不明であつたものがある、而して一部の鬼火研究家は之こそリアルウイルオジーウイスプ卽ち眞の鬼火だと云うて居る、此の所謂眞の鬼火を見たと云ふ人々の談に據ると、其の大きさは拳固或は蠟燭の光ほどで、地面より二三呎上を徘徊する、而して沼地溜池
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等に限らず乾燥した地面の上にも現るゝ、靜止する事もあり風に從つて動く事もあり、全く風に關係せずに動く樣に見ゆる事もある、しかし物體に觸れても之を燒く事なく、殆ど感じ得るほどの熱をだに有たぬ樣だ、色は通常淡藍だが黄紫靑等のものもあり、稀には純白のものもある、臭は無く何の煙も之に伴はず、少しも音響を發しない、從來此種の鬼火は、專ら墓地に現はるゝものゝ樣に考へられて居つたが、獨逸に於ける數多の目撃者の言に據れば、墓地に現るゝ事は却つて稀の樣だ、又人が此の種の鬼火を追へば逃げ、人が逃ぐれば鬼火が其の後を追ふとの俗説も一般に事實とは云へない、
前記の所謂眞の鬼火の原因は、兩三年前迄明瞭でなかつたが、終に白耳義の化學者レオンデゥマは、人工的に此の種の鬼火を造る
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事を發明し、今や鬼火に關する不思議の事は殆ど全部解決せられた、レオンデゥマは最初より他の多くの學者と同樣、沼氣卽ちメセインは空氣中に於て速に散布し、且つ自然に燃燒を始めないから、所謂眞の鬼火は沼氣の燃燒ではないとの意見を持つて居つた、又燐化水素フォスフィンは自然空氣中に於て燃燒するが、其の場合濃き煙を生じ、強き大蒜の臭を發する硫化水素は自然夜間に光を發する瓦斯の泡沫を造り得るが、卵の腐敗した樣な強き臭を發する故に、所謂眞の鬼火は單に此等の瓦斯の何れかの燃燒であるとも云へない、是れを以てかレオンデゥマは燐化水素と硫化水素が相互に働いて所謂眞の鬼火を生ずるのであらうとの考へを起し、試みに自分の庭園に於て硫化鐵(フエラスサルフハイド)に硫酸を注ぎ、之に燐化カルシウムの小片を少しづゝ投じた、さうすると之より發する
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燐化水素と硫化水素が相働き、自然に淡藍色の光を放つて燃燒し、所謂眞の鬼火と同樣の現象を呈した、而して之には臭も煙も伴はず、又少しも音響を發しなかつた、故に所謂眞の鬼火は動物身體が腐敗する際、腦脊髄等にある燐と硫黄とが自然に分解して水に觸れ、燐化水素と硫化水素とを生じ、其が相働いて出來るのであらう云々、
右の説明に照らすに、すべての怪火は理化博物に屬する問題といふ點は疑ひない、
第二十八段 全國共通の迷信二(天變)
天變地異に關する迷信は日本のみならず、世界中いづれの國にも
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存するが、近年學術の進步によつて漸く其の度を減ずるやうになつた、むかしは彗星は勿論、日蝕月蝕までに種々の妄説を附會したものであつた、然るに今日にては日蝕月蝕を妖怪視するものはない、只彗星に至つては西洋にも今以て俗説紛々たる有樣である、最近の戰爭に關しての西洋迷信を左に大勢新聞より抄錄して置く、
戰爭と迷信とは昔からの附物であるとも云へる、殊に迷信のうちで天體に起る怪異は最も人々の恐怖を誘ふものである、今度の未曾有の大戰亂の今迄に天體の不思議な怪異が各軍の迷信を誘うた例も決して少くない、此の程巴里の測候所の技師フランメリオン博士が開戰このかた起つた天體の怪異を調べた所によると、最近のもので怪異と云へば、五月十三日の夜に西南の空に現れた不思議な彗星である、此の彗星の發見者は獨軍であるが、怪しいこと
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には此の彗星の尾は明かに赤色、靑色、白色の三色をなしてゐる、此の三色の怪しい彗星は西南から飛んで東北に向け、佛蘭西の國をかすめて消えたやうに獨軍から見えたのである、此の彗星の尾の三色は佛國の三色旗の色である、此の星を親しく見たのは獨軍ばかりでない、獨軍の占領してゐる佛國の北部一帶の佛國人も見たことを異口同音に證してゐる所を見ると事實に違ひないので、又單に一人が見たと言ふのならば眼の錯覺とも言へるが、多くの人が同じ三色を見たと云ふのだから決して偽りとは云へない、此の星を見た獨軍は忽ち佛軍の勝利を迷信し出して、カイゼルの軍は最早佛軍を敗ることが出來ないと云つてゐる、
此の種の例を古い戰爭で求めると其の最も有名な例は一四五六年にモハメッド二世と法王カリクスタス三世の兩軍の戰ひで、ハレ
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ー彗星が異常な長い尾を引いて法王軍の空に怪現したさうである、此の時モハメッド軍は此の彗星の長い尾のうちに、ありありと十字架を見、法王軍はその尾のうちにありありとモハメッドの劍を見たさうである、
其から此の戰爭が始つてから間もない昨年の七月二十一日の太陽の上に起つた不思議な幻である、此の幻の色は赤く、恰度太陽は何か恁う水のやうなものに溶かされた如く見えたのみならず、此の光を受けた地の總てのものは眞赤に見えたさうである、怪しい現象を眺めた露國の全農民は、總て戰爭の起ることを信じて居たが、果して八月に入つて大戰亂となつた、
次に獨軍の巴里進撃を聯合軍がマルーヌ河に喰ひ止め、一方巴里の危急を救ふと共に獨軍を敗走せしめた折のことで、卽ち昨年の
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九月上旬のことであるが、秋に近い澄み渡つた晴夜に約七夜の間、何とも云へない美しい星が南の空地平線に近く出現したが、此の美しい星は巴里でも見えたさうで、何さま珍らしく美しく高く光る小さな星だつた、人々が何時か此の星に「戰爭星」と名をつけたさうである、然しラ、ブラタの天文臺のデラビン博士の説によると、此の戰爭星は一昨年十二月十七日夜から天空に現れて佛國の上を廻つてゐたが、人々の肉眼で見えたのは其の九月上旬であると云つてゐる、次に去年の十二月七日の白晝の二時に太陽の面をかすめて飛んだ一つの怪しい星がある、之はよく巴里から見えたが、此の星が不思議にも英國に落ちたので重さが三十五封度あつたさうである、
次に戰線での怪異は此の四月のラインの西北のベリオバック一帶
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に黑色の雨が降つたのである、同時にアルゴンヌの方面で五月に入つては赤色の雪が三十分計り降つた、此の不思議な雨と雪とは直に消えて今其の原因を調査するよしもないが、親しく此の雨なり雪なりを見た各兵士の言によると、黑色の雨の場合は空に降つてゐる間は黑色だつたが、地に落ちると普通の雨であつたと云ふので、恐らく天候か光線か何かの結果であらうと云つてゐる、赤い雪は地に落ちても依然として赤かつたさうであるが、原因は捕捉するよしもない、或は砲煙中の何物かゞ天候の突然の嚴寒のために、何かの結果を雪の上に與へたのではあるまいかと云はれてゐる、
斯る迷信は我邦よりも西洋の方が却つて多いかと思ふ、
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第二十九段 全國共通の迷信三(天狗)
怪火に次ぎて全國に共通せるものは狐狸と天狗である、狐狸のことは前旣に掲記した通り各地方特殊のものがあるが、天狗は全國に通じて同一である、決して九州天狗と東北天狗との間に何等の相違はない、夫故に天狗が如何なるものかを説明するに及ばぬ、只此に天狗が人に附きたる面白い話が靜岡民友に載せてあつたから、左に拔抄して置く、
東海道米原驛機關庫の有志三十五名は一日御殿場口から富士に登り、其の夜は山上に一泊して翌二日須走口に下山する事となつて、午前十時頃太郎坊まで來て休憩中、強力が此の邊は昔から天狗の棲家で折々登山者を苦しめる事があつた故、地方の有志が何時の
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頃か此處に古御嶽神社を建立して天狗を祭つた、夫れ以來餘り天狗も惡戲をしない樣になつたと、古御嶽神社の説明をして同所を發足すると間もなく、一行中の機關士高橋等なる者が突然步みを止め、吾は富士淺間木花咲耶姫に長く仕へ居る大天狗である、汝等の如く心にもろもろの不淨ある者は殘らず喰ひ殺してやると物凄き權幕で金剛杖を振つて暴れ出したる騒ぎに、一同あれよあれよと呆然として居る間に、姿は掻き消す如くになくなつて仕舞つた、それッと云ふので同人の跡を追うたが如何しても見當らぬ、仕方がないので須走駐在所に急訴し警鐘を打つて消防の出動を乞ひ、裾野一帶の森林を、恰も往年の富士巻狩のやうな騒ぎで大捜査を行つた、其の結果夕刻になつて天狗先生數十丈の大木の頂上にチヨコンと坐つて居るのを發見し、一行中の頓智のいゝ男が大聲で
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天狗樣は木登りも上手だが木から降りるのも速からう、一つ吾等に其の妖術を見せて吳れまいかと云へば、天狗は得意の鼻(但し高からず)を蠢かしつゝ、スルスルと降りて來た所を一同で取押へ、紐を以て高手小手に縛め、馬車の中に放り込んで御殿場まで運搬し、同夜歸米したが、汽車中でも絶えず天狗に向つて無禮をするなと威張つて居た、
右は只天狗憑の一話に過ぎぬ、一體天狗が實在して居るといふ想像が、ドウして起つたかといふに就いては、余が先年の著述にかゝる天狗論の中に書いてある、此の怪物は西洋は勿論、印度にも支那にもない、日本固有の妖怪にして物理にも心理にも關係して居る、左に天狗論の一節を再錄して置く、
天狗は複雜なる妖怪現象にして、外界の事情と内界の事情と複合
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して成りたるものなれば、先づ物理的説明によりて外界の事情を述ぶべし、第一に外界の境遇如何を考へざるべからず、世に天狗の住する所は深山に限るとするが、深山は風雨晴雨の狀態大に平地と異なり、奇異の現象を見るものなり、水の音や風の響すらも人をして恐怖の念を起さしむることあり、雲の影人の痕を見ても奇怪に感ずることあり、之に加ふるに動物植物も平地と其の類を異にし、奇鳥異獸を見ることあり、此の如き事情は大に妖怪思想を起さしむる誘因となる、第二に外界の對象を考ふるに鳥獸及び人其の主因となるが如し、山中にて天狗の羽翼長嘴を有して飛行せるを見たりと云ふは鷲鷹の如きものを見しならん、俗に云ふ木葉天狗は正して是なり、又怪獸の天狗に似たるものなしと云ふべからず、東印度諸島に住する猿に鼻の高く出て、其の色赤く、我
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邦の天狗と毫も異ならざるものあり、昔時此の如き猿の我邦西南地方の山中に住せしことありたるも計り難し、已に唐土訓蒙圖繪に示せる羽民國の人の如き、又佛像圖繪に見る所の迦樓羅王の形の如きは、全く我邦の天狗に類するものなれば、是等の想像に由て起る所なかるべからず、又古代にありては深山中に一種の蠻民の住せしことあり、世に山男と云ふものは恐らくは此の類ならん又蠻民の住するなきも、深山幽谷人跡を見ざる處に樵夫行者の如きものに遭遇すれば、忽ち人間以外の一大怪物ならんと思ふは無理ならぬことなり、我邦にありては古代より修驗の如きは深山無人の境に入り、果實を食して生を送りしものあれば、偶々山路に迷ひたるものが斯る行者に遇ふことあるべし、其の人家に歸りて之を他人に語れば、相傳へて天狗談となるは敢て怪むに足らず、
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余は亞米利加印度人のトーテムポール (Totem Pole) なるものを見るに、我邦の天狗に類するもの多し、而して此の印度人は亞細亞地方よりベーリング海峡を渡り、アラスカ地方に轉住せしとのことなれば、其の像の起原は我邦の天狗に關係あるやも知り難し、そは別問題とするも、斯る想像を畫きたる由來を考ふるに、古代にありては、日本或は其の近海の諸島に之に似たる獸類又は異人の住せしことあらん歟、之を要するに深山に住する鳥獸及び人類が天狗怪の對象となりたるは疑ふべからず、若し高山にありて夜中天狗が樹木を倒し、大石を投ずる音を聞くと云ふが如きは、風音瀑聲又は走獸の音を誤り認めたものなるべし、
我邦に獨り天狗の怪談ありて地邦になきは然るべき事情なかるべからず、其の第一は我邦に高山が比較的多き一事なり、支那印度
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の如きは平原曠野多くして、旅人の深山を跋涉すること少きも、我邦は全國到る處山深く樹茂り、人の此に入りて路を失ふもの多し、其の第二は我邦の諸山には必ず神佛を祭り、祠堂を建つることある一事なり、是れ又他國に見ざる所なり、故に如何なる高山にても信者の跋涉せざるはなし、其の人若し神佛の靈驗を信じて斯る山に登らば、耳目に觸るゝもの必ず奇怪の念を誘起するに至るべし、是れ我邦に天狗談の多き所以なり、其の他は宜しく前に述べ來れるものと併せ考ふべし、
次に心理的説明を述ぶるに、其の第一は恐怖豫期想像等によりて妄覺を生ずること是なり、何人も深山無人の境に入れば自然に恐怖の念を生じ、諺に所謂疑心暗鬼を生ずるが如く、風聲を聞くも雲影を見るも其の心忽ち動き、種々の妄想を起すは我人の免れ難
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き所なり、之に加ふるに日本人は小兒の時より高山に天狗の住するを聞き、其の奇異なる圖畫を見、其の舉動其の作用の不思議なるを知り居れば、深山に入ると同時に忽ち斯る記憶を再現し、意を以て種々の奇怪を迎ふるに至る、是れ卽ち豫期作用なり、之に加ふるに連想上種々の想像を誘起し、其の結果遂に音なきに音を聞き物なきに物を見るに至る、之を幻視幻聽と云ふ、卽ち妄覺是なり、今日傳はる所の天狗の圖は畫工の作意に出で、古來の天狗談を總合して更に之に潤色を加へたるものに外ならず、されば一たび其の圖を見たるものが深山に入れば、忽ち妄覺を起し、高鼻肉翅の怪物を幻視することあるは決して怪しむに足らず、其の適例は古今妖魅考に「下總國香取郡萬歳の後山へ村の者ども五人連れ立つて木こりに行きけるに、少し傍へなる山の端に常のよりは
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汚氣に見ゆる鵄一つ羽を休め居たり、其を見て中なる一人が恐ろしげな山伏の立ち居たると云ふ、然るに四人の者の目には鵄とのみ見ゆれば云ひ諍ふに、彼一人のみ正しく山伏なる者をといひて更に四人の言を聞き入れず云々」とあり、是れ全く其の一人が妄覺幻視を起せしなり、古來の天狗談の中には斯る妄覺に出でたるもの必ず多からん、
第二には精神作用の專制、卽ち一方に專注するによりて、妄覺より更に一步を進め幻境に入ることあり、今日民間に見る所の天狗憑の如き是なり、例へば或る寺の小僧が和尚の叱責を蒙りて、夕刻家より逐ひ出され、自ら行く所を知らず、野外に出でゝ彷徨せる間に、忽然天狗の來るに會し、之と共に高山に遊び諸處を跋涉して家に歸れりと云ふ、是れ苦心の餘り精神の異狀を呼び起し、
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自ら眞に諸方を遊歷せるが如く夢見したるなり(下略)
余の天狗の起原説は大略此くの如くである、然るに之を崇拝して冥護を得んとし、之に祈願して現福を授からんとするものゝ如きは迷信の大なるものである、
第三十段 全國共通の迷信四(幽靈)
次に幽靈談は獨り日本國に共通せるのみならず、世界に共通せるものである、已に日本の幽靈は珍らしくないから、支那の幽靈に就いて京都日出新聞に出でたる投書の一欄を左に轉載して置く、
日本の幽靈を研究する傍らに、お隣りの支那の幽靈に就いて研究するも面白からう、春秋左氏傳昭公七年の條に鄭子產が匹夫匹婦
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強死すれば其の魂魄猶ほ能く人に憑依して以て淫厲を為すと言つて居るのは、支那には古くから幽靈を認めて居た證據で、厲鬼のことは春秋左氏傳の諸處に出て居るが、成公十年の條に晋侯の夢に大厲(鬼)被髮地に及ぶ、胸を搏つて踊つて曰く、余が孫を殺す不義なり、余天に請ふことを得たりと、大門及び寢門を壞つて入る、公懼れて室に入る、又戸を壞る、公覺めて桑田の巫を召す云々とあるも厲鬼の一例である、
しかし之は現實でなく、夢に現はれた厲鬼であるが、晋侯は間もなく疾んで、二豎子(疾病の神)を夢み、所もあらうに厠に陷ちて卒したのを見ると、夢中の厲鬼が祟りをなしたと解するの外はない、また支那で、數百年の古塚を人が犯せば、鬼魂あつて祟りをなすのは、人に三魂あつて一魂を留めて墓を守るのであると言つて居る、
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佛教と似て非なる處が面白い、近世となつては幽冥に關しては靑衣の者多く、死神なども靑衣婦人のやうに書いてあるが、紅衣女子の幽靈、白衣婦人の幽靈などもある、さうかと思ふと神樣の方面には幽靈と同樣、靑衣の神もあるが、上帝の使に緋衣の神あり、我國の福の神、支那で言へば守藏神が緋衣を著て居る、天符を持ち來れる神が同じく朱衣である、大體から言へば天上の神は緋衣にして陽氣に、幽冥の鬼は靑衣にして陰氣なものと區別することが出來る、
それから支那の幽靈には、反魂香に現れ來る李夫人の幽靈、還形燭に照さるゝ楊貴妃の幽靈、牡丹燈記の幽靈の如き美麗なるもあるが、近世となつては慘酷な幽靈多く、『夜譚隨錄』にて見るも「たゞ見る、一無首婦人の裸身にして血を浴び、雙手自ら其の頭を捧
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げ、口眼天に向つて頸血碧光を作し螢火の如く小鏡の如きを」とか、或は「潛に門隙より之を窺へば、卽ち燈下に坐せる一無頭婦人、一手は頸を膝の上に按じ、一手は櫛を持つて其の髮を梳る、二目炯々として直に門隙を見る」と言つたやうに、首のない女の幽靈が自分の首を弄んで居るのが澤山ある、少年の幽靈にも自分の首を取つて案の上に置いて居るのがある、膝の上に置いた自分の首の髮を梳いて居る幽靈は、お岩の髮梳よりも一層物凄いであらう、支那の幽靈に就いてなほ述べたいこともあるが更に稿を改めることとして、前記の春秋左氏傳にある厲鬼の被髮地に及ぶは日本の幽靈の髮振り亂せるとよく一致せることを附記しておく、
右は支那古代の幽靈談であるが、今日も大同小異にして、幽靈の迷信頗る多い、又西洋にも幽靈談は到る處に澤山ある、偖て其の正體
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如何といふに、もとより心理的妖怪にして人の精神作用より産み出せしには相違なく、又幾分かは物理的原因も加はつて居る、最近の大阪新報に幽靈の正體と題して、西洋の説明を掲げてあつたから、參考の為に抄錄して置く、
幽靈と云へば、人類が旣に太古蠻族の時代から、今に人々の心に黴りついてゐる事柄で、眞個にあると云ふ人もあれば、馬鹿な、そんな化物があつて堪るものかと鼻の尖で笑うて懸る人もあるが、何れにしろ實際此等の人が眞暗な雨などのしぼしぼ降る墓場などに往くと、無いとは思つてゐながら、有るやうな氣がして、身の毛を慄立つことは實際である、近頃と云つても昨年であるが、米國のポストン市で、此の幽靈に就いて大騒動が持ち舉つた、夫は毎夜更けて丑滿頃になると、ポストンの市街の暗い空に淡白い恐
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げな姿をして、奇妙なものが無數に飛び廻り、蠢々と動き、日中でも雨のじめつく鬱陶しい日などは、必ず怪しげな無數の變化がありありと虛空に動くのが見える、同時にポストン市の到る處に病人が出來た、中には不意に死ぬ者さへ現はれた、サア大變化ポストン市民は恐しさと氣味惡さに縮み上つた、夫に市民中大抵夜は就眠中、階段に奇妙な音を聞いたり、靑白い人の影を壁の一方に見たりする奇怪な事柄は、毎夜のやうに貴方もか私もさうですと云つたやうに、幽靈を頻々と見ると云ふ始末であるから、マッサチゥセッツ州廳では打ち捨てゝ置けない、遂に衛生課主任のフランツシュナイデル氏を派遣して、其の原因を種々調査した所が漸く解つて、此の幽靈騒の原因は全く同市に充滿してゐる惡瓦斯の作用であることが判明した、其の惡瓦斯發生の原因は當時嚴寒の
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頃であつたために、各家々に燒く暖爐から發生する炭酸瓦斯が大空に發散せずに密集した結果、此の瓦斯が一方市民の健康を害し殊に就眠中に其の呼吸に混つて其の神經を疲勞させ、更に一方空中に奇妙な幻影を映出したのである、如上の實例の通り、今日幽靈として奇怪な幻影を見たり、又奇怪な音響を耳にすると云ふのは、全く其の場合其の場所に發生した或種の有毒瓦斯のために、其の人が襲はれるからだと云ふ説は、一般科學者が幽靈の正體と認めるものである、
然し世間の幽靈問題は悉く今日の學理を以て説明し得るとは斷言することは出來ぬ、もとより其の中には不可思議の事實も加はつて居るだらうが、民間にて唱ふる所の幽靈談は十中七八まで、迷信と斷定して差支なからうと思ふ、
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第三十一段 全國共通の迷信五(妖屋)
世に謂はゆる妖怪屋敷は全國各地にある、是れ只我邦に限るにあらず、世界各國にある話だ、余が濠洲漫遊中シドニー市にて其の話を聞き、一度實見に行くことを約したれど、時日なき為に果さなかつた、只其の家の寫眞だけを贈つて貰うたことがある、又南米祕露にても同樣の話を聞いたが、今は我邦の妖屋談を紹介しよう、
凡そ妖怪屋敷の出來事としては色々あるが、最も普通の現象は偶然室内に石が降り、茶碗が飛び、物品が位置を轉じ、衣類が切斷さるゝことが起り、又は幽靈の姿が顯はれ、奇怪の音響を聽き、或は生首が壁に懸り、怪物が窓より覗き込み、或は枕の位置が換る等の妖事である、今此に最近の報道として大勢新聞の一記事を紹介する、
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東京淺草區駒形町六番地に、船板塀に見越の松と云ふ瀟洒な二階家がある、間取は下が二疊六疊に四疊半、上が六疊に三疊で小ぢんまりした至極住み心地のよささうな家であるが、如何したものか永續きせず、半月若しくは一ヶ月で越して行つて仕舞ふ、所が先々月の上旬、小林トメと云ふ未亡人が娘ナミと女中二人を連れて引移つた、始めの二三日は何事もなかつたが、丁度四日目の夜十二時頃トメが「覺えてろ覺えてろ」と云ふ聲に目を覺して見ると、六疊の座敷の廊下に後手に縛された十七八の女が、島田に結つた髮を振り亂した悶えて居るので、一時は慄然したが、元來氣丈夫なトメが蚊張を拔け出して行つて見ると、其所には影も形もない、其の夜は氣の迷ひ位に眠つてしまつた、所が其の翌晩も又其の翌晩も十二時と云へば「覺えてろ」の聲を合圖に姿を現はし、遂には
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娘や女中の目にも止まる樣になつたので、十日餘りで匆々越してしまつた、其の後は誰も住むものなく固く戸は閉されたまゝ近所近邊から「氣味惡き家よ」と噂の中心となつて居る、
今一つ名古屋毎日新聞の報道を轉載して置く、
名古屋西區俵町一丁目、俵小學校の前に廣々とした邸宅がある、豪荘な石門を潛ると表は泉栽で、晝尚暗いばかりに樹木が鬱蒼と生ひ繁り、只見てさへ何となく物凄い陰惨な氣が漂うて、見るから餘程年數の經つてゐるやうな一構へである、此は西區鹽町山田某といふ人の持ち家であるが、此の屋敷に十數年以前から誰云ふとなく妖怪變化が出没するとの噂が傳へられた、初め其の噂の立つた頃は騎兵聯隊長の某少佐が此處に住んでゐたが、少佐は養雞が好きで屋敷には何時も多數の雞を飼つてゐたが、それが鳥渡油
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斷してゐる間に、一羽二羽と漸々減つて行く、別に屋敷に犬や猫が入つて來て浚へて逃げるやうな形跡もないのに、知らぬ間に其の羽數が減つて行くので、早くも迷信高い近所の人々は、古い屋敷だから大方古狸か狐の類が住んでゐて、夜間怪けて出て雞を浚つて行くのだらうと言ひ出した、最初の程は少佐も全然取上げなかつたが、考へれば考へる程不思議なので、或はさうかと疑ひ出した、其處で隣人の勸めに依り、裏の林の中に小さな祠を建てゝ妖怪退散の祈禱を行うたが、不思議にもそれ以來は言ひ合したやうに雞の數が減らぬやうになつた、さてこそ古狸の類の仕業に違ひないとの評判は益々高く傳へらるゝに至つた、其の後少佐は他へ轉任の命令に接して、自然此の家を明け渡すことゝなつた、處が化物屋敷の噂が高くなつてゐる時なので、誰も其の後を進んで
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借りようとする者が無い、さアさうなると妖怪は益々跋扈する譯で、ガランとした空家に夜な夜な樣々な不可思議な現象が繰り返された、處が此麼時にも物數奇連は「馬鹿な今の世の中に其麼不思議があつて堪るものか、俺が一つ探檢に出かけて遣らう」と殊に淋しさうな夜を選んで、二人位申し合せて實地探檢に出かける、廣い八疊の室にツクネンと待つてゐると、夜が更けるに連れて陰鬱な氣が室内を襲うて來る、什麼剛膽な者でも徐ろに氣味惡さを感じてゐると、軈て風もないのに傍らの襖がパタッと倒れる、すると緣側の障子が音もせずに又倒れる、天井でガタガタと物凄い音が聞えるかと思ふと、軈て何か知ら氣味の惡いものかポタリポタリと天井から垂れる、見れば生々しい血潮がベッタリ、疊の上を彩つてゐるといふ有樣(以下略下)
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妖怪屋敷の一例は右樣のものである、其の原因は種々あつて一言にて盡くし難きも、第一に家屋の構造が惡く、光線空氣の流通も惡く、或は濕地にて衛生に害ある場所が原因の一となつて居る、又其の家に一度變死したものがあると、直ちに化物が出る、幽靈が顯はれるとの評判が起り、疑心暗鬼を生ずる譯にて、色々の幻覺妄想を浮べるやうになる、然るに之を狐狸、天狗、亡靈、怨鬼の所為と思ふは迷信である、
余は地方巡講中數回妖怪屋敷に宿泊したことがある、越中新湊町の寺院、美濃神淵村の寺院、豊後玖珠郡内の一寺院、淡路市村の一旅館などは、夜中妖怪が出現すとの評判ありしが、余は終夜茲に試宿したるも全く無事であつた、
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第三十二段 全國共通の迷信六(鬼門)
我邦は全國東西を通じて鬼門金神を恐るゝことが最も甚だしい、就中鬼門は大禁物としてある、家を建つるにも引越するにも竈を築くにも其の方位を忌み、若し之を犯すときは其の一家に病氣災難が必ず起ると信じて居るものが今でも中々多い、余が先年信州佐久郡内巡講の際、某村の小學校の移轉に付き、旣に地所を定め、設計も出來上つた時に、村會に於て鬼門に觸れて居るから見合すべしとの議題が起つたとのことだ、此の如く鬼門問題が學校の建築にまで影響する程である、
此に鬼門の起源を尋ぬるに、支那の俗説より起つたことは明かである、其の事は彼國の古書の數ヶ所に見えて居るが、多分海外經が
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其の根元であるかと思ふ、其の經中に東海の中に山あり、其の上に大なる桃樹あつて、其の枝が横にはびこり、三千里の間に亘る、其の東北に門あり、之を鬼門と名づく、萬鬼の聚まる所なりと書いてある、他書中に見る所も大同小異に過ぎぬ、斯る妄説が支那より日本に傳はり、上下一般に其の方位を忌み恐るゝやうになつた、昔日は大に酌量すべき事情あるも、今日猶ほ其の方角に向つて家屋は勿論、便所を設け塵塚を置くことを固く禁じて居るは笑ふべきの至りである、陰陽家は之を弁解して其の方角は陰惡の氣の集まる所なれば、極めて凶方なりといひ、或は其の方角は萬物の極まりて又生ずる方にして、天地の苦しむ所なれば、之を避くるとの説明あれども、茍も多少の知識を有するものは、如何に信ぜんと欲するも信ずることは出來ぬ、
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先づ之を地球上に考ふるに、東北隅の方位の不吉なる理は決してない筈である、たとひ地球上には東西南北があるにしても、是れは假りに定めたるものに過ぎぬ、若し出でて地球外に至らば、宇宙其の物の上には東西もなけれは南北もない、又地球上にても北極の中心に至らば方角を立つることが出來ぬ、さればどうして鬼門の方角を立つるか、むかしは海外に鬼の住んで居る島があるとの妄説もあつたが、今日は地球上いづれの方位にも鬼の住んで居る島もなければ國もないことが明かになつて居る、旣に鬼がない以上は其の方角を犯しても、何物が祟るであらうか、斯る迷信が今日猶ほ盛んなるは、文明の體面を汚すと申さねばならぬ、
東西の方角が鬼門に當つて居るから、若し之を犯して災害があるならば、日本ほどに鬼門を犯して居る國はない、むかし神武天皇の
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當時は日向より東北に向つて發展し、明治時代になつても北海道から千島へ向け、又は樺太へ向け發展して居るのは、皆鬼門を破つて居る譯である、斯る鬼門破りの國が誠に目出度く、益々天祐を得て隆盛に向ふのは、鬼門を破つても災害がないといふことを證明して居るではないか、鬼門の妄説は大抵是にて分るであらう、
第三十三段 全國共通の迷信七(方位)
鬼門の外に方位の迷信は澤山ある、其の一つは金神であらう、金神とは日本より南の方海上三萬里を離れて鬼の國がある、其の國の王樣のことである、是れ亦支那の俗説を傳へたもので、今日之を信ずれば、もとより迷信と謂はねばならぬ、何故なれば南方の極點ま
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で探つて見ても、鬼の國がないことが旣に證據だてられて居る、
古來支那の五行説に本づき、十干十二支を方位月日に配當することになり、人と年とによつて方位の吉凶を占ふ法が幾通りもある、此の迷信が民間には非常の勢力がある、余が東京地方を巡講せし際、某富豪が壯麗なる家屋を新築して、座敷の便所を造りかけたるに、或る方位家が來て此の方角に便所を設くるときは、方位の祟りから主人が殺さるゝと鑑定した為に、座敷便所を見合せることになり、庭の外へ棟を離して造り、不便窮まることになつて居る、
東京の本鄕區内に住する商業家にして、頗る迷信の強きものがあつた、或る年近傍に古土藏の賣物あれば、之を僅に數百金にて買ひ入れ、取崩して見たれば、木材といひ石材といひ、いづれも今日にては得難きほどの品なれば、主人大に喜び、早速之を運んで己の邸
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内に建てんとするに當り、先づ之を方位專門の卜者に尋ねたれば、此の土藏は三年の後に建つるにあらざれば、必ず戸主の身上に災害を招くべしと云はれ、餘儀なく三年間其の儘に捨て置き、愈々其の期限が過ぎ、建築に取り掛らうとして木材を檢するに、永い間雨ざらしになりし為に、大抵皆朽ちて用を為さず、遂に土藏建築の計畫も水泡に歸し、數百金を迷信の谷底へ葬り去つた話がある、
從來の曆書の上には方位に就いて色々の名目が舉げてある、前に述べた金神も其の一つだが、此外に歳德と申すものがある、是れは年中第一の有德の方角にして、萬德の集まる吉方と云はれて居る、其の方角は十干の異なるに從ひ年々變ずることに定めてある、亦八將神と申すものが曆中に掲げてある、其の緣起を尋ぬるに歳德神は南海の龍王の娘にして、天下第一の美人なる故に、牛頭天王之をも
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らひ受けて后とした、其の后に八人の王子が出來た、此の王子を八將軍と申して居る、斯る話は小學校の教育を受けたならば、到底信ずることが出來ぬ筈である、然るに今日尚ほ之を信ずるものゝ多きは奇怪千萬といはねばならぬ、
佛教中に何人の作りしか知らざれども、古來傳ふる所の偈文には、「迷ふが故に三界常あり、悟るが故に十方空なり、本來東西なし、何れの處にか南北あらん」とあるは、方位の迷信を諭すに最も適切の格言と思ふ、
第三十四段 全國共通の迷信八(卜筮)
次に卜筮の迷信に就いて一言する必要があるが、余が先年書いた
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迷信解の中に説明してあるから、其の文を再錄することにする、
人事の吉凶禍福を前知する法は東西共に行はるゝも、支那日本に殊に多いやうに思はる、其の中にて最も古くより廣く用ひらるゝは易の筮法である、之を八卦の占といふ、其の外に支那にては龜卜の法があるも、我邦にては今日之を用ふるものはない、錢占ひ歌占ひ夢占ひ等を計へ來らば、其の種類は頗る多きも、今先づ易筮を舉げて他を略すつもりである、
易筮は陰陽二元の道理に基き、易經の所説によるものなれば、其の原理は隨分高尚のものに相違なきも、之をすべての吉凶禍福に當箝め、未來を前知して百發百中となすに至りては、不道理の甚しきものである、就中人の壽命を判斷し、何年何月何日に死することを確定するが如きは、實に驚き入りたる次第である、其の一
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例を舉ぐるに、「或迷信家が卜筮者に就きて自己の生命を豫知せられんことを乞ひたれば、筮者判斷して曰く、今より幾年の後某月某日に必ず死すべしと、迷信家かたく之を信じて、某年某月までに財産を消費し、當日に至りて一錢の餘財なく、只自ら其の身を棺中に収めて絶命を待ち居れり、然るに其日の夜に到るも猶ほ死せず、翌日に至るも依然として存命せり、時に飲食を欲するも、之を購入するの餘錢なく、殆ど飢渇に逼らんとせり、是に於て始めて自ら卜筮家に欺かれたるを知り、俄に其の家に至り、何故に吾を欺きしやと詰問しければ、筮者曰く、決して欺きたることなし、足下は某月某日に必ず死すべき筈なることは天運の定まりなり、然るに其の日に死せざりしは、蓋し他に原因あるべし、足下は人を救助せしことなきや、迷信家曰く、已に死の定まれるを聞
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きたれば財産を殘すの必要なきを悟り、之を盡く人に施與して貧民を救助に用ひたりと、筮者曰く、其の一言にて疑を解けり、足下は人を救助せし積善の餘慶を以て、天は特に其の一たび必定せる壽命を延長したるなり」との一話の如きは、何者かの作説なるべきも、筮者の遁辭には之に類すること往々聞く所である、
諺に、「當るも八卦、當らぬも八卦」と申して居るが、十中にて五分は中り、五分は外れるのが當り前である、併し筮者の經驗と熟練とによりて、十中七八分位は當ることもあらうと思はる、但し其の中るといふも、或る制限内のことにて、何年何月何日に死するなどに至りては、千百中に一も中ることは難い、つまり易筮にて吉凶を判ずるも、銅錢の表裏にて判ずるも、其の中る理は同一なるべきも、簡單なる銅錢にては、信仰が薄くなる、之に反して
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易筮の如き複雜なるものならば、豫め中るものとの信仰を置くやうになる、之に加ふるに易の文句は比喩にわたり、多樣の意義を含んで居るから、臨機應變の解釋を付けることが出來る、其故に筮者の方が經驗に富み、識見に長ずる人ならば、其の判斷の中る割合が多くなる譯ぢや、依つて縱へよく中りたりとも、之を全く易筮の力に歸する筈はない、つまり其の多くは筮者の判斷力に歸せなければならぬ、故に易筮其の物に就きては中るも八卦、當らぬも八卦と申すより外はない、
元來易筮の用は、其の右を取るべきか左を取るべきか猶豫して決せざる場合に、其の判斷を天に聽く心得にて、筮竹の上に考ふるにあるのぢや、而して其の事も一國一家の大事に關する場合に行ふべきことゝ思ふ、決して今日民間にて行ふが如きものではない、
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病氣、災難の豫防に用ひ、物價相場を前知するの具となすなどは、卜筮の濫用も亦甚だしと云はねばならぬ、又今日にありては國家の大事の如きは、之を國會に尋ね、輿論に問うて決する道あれば、易筮によりて天に聽くの必要のなきことは明かである、其の他の事は自己の力の及ぶ限りを盡して、若し猶ほ力の及ばざる所あれば、之を自然の運命に任ずるが宜い、決して易筮などの力を假るに及ばぬ、諺に陰陽師身の上知らずといひ、又陰陽家は鬼の為に嫉まるといふが、八卦を業とするもの、及び之を妄信するもの多くは貧困にして、而も其の家に災害が比較的に多いやうに見ゆ、若し八卦によりて吉凶禍福を前知するを得といふならば、陰陽家の窮鬼に苦めらるゝ理は解し難い、是れ畢竟八卦の信ずるに足らざることを自ら證明すると同樣である、或書物に卜筮に關したる
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一話が出て居る、卽ち「或家の主人が夢に足に毛の生じたるを見て、賣卜者に占はしめたれば、必す増給の沙汰あるべしといひ、其の家僕も足に毛の生じたる夢を見て占はしめたるに、長病なるべしといへり、依つて家僕大に怒りて、同一の夢に對し主人へは増給といひ、我には長病と云ひたるは如何と詰りたれば、賣卜者曰く、臨機應變なりと答へたり」とのことぢやが、すべて卜筮には臨機應變の判斷が多いやうに考へらるゝ、されば斯る判斷を信ずるは無論迷信といはなければならぬ、
我邦の神社佛閣に御鬮を備へ、人をして之を探りて吉凶を判知せしむることがある、其の種類も幾通りもあるが、歸する所は易筮の如く人の決心を定むるに過ぎぬ、其の中にて最も多く行はるゝは元三大師の百籤である、余が曾て其の鬮を入れたる箱を見しに、
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寸法に一定の極りがありて、其の中に百本のミクジ竹を入れ、其の各本に大吉、吉、半吉、小吉、末小吉、凶の文字を記入してあり、之に對する判語は五言四句の詩を以て示してある、其の他の御鬮は一層單純のものである、此の如きはつまり愚民の迷信を定むるまでのものなれば、愚民にとりては多少の效驗なきにあらざるも、之と同時に弊害も決して少くない、又今日にありては、斯る方法によりて疑を決する必要はなからうと思ふ、夢占ひと稱して、夢の情態に就きて吉凶を判ずることがあるが、是等はもとより論ずるに足らぬ、又辻占の如きは一種の戲にひとしきものである、依つて此に一々説明するほどの必要はない、
世間にて卜筮のよく事實に適合したる話ありて、事實に適合せざりし話の比較的少きは、大に事情のあることゝ思ふ、其の一例と
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して駱駝の見せ物の話を引用せんに、或地方の夏時の祭禮に駱駝の看板を掲げたる見せ物が出たことがある、之を見るもの眞の駱駝と思ひ、爭うて木戸錢を拂ひて其の内に入れば、獸類の駱駝にあらずして、一人の肥大の男が、炎天燒くが如き氣候なれば、高き處へ裸體となりて手に團扇を握り、之をつかひながら嗚呼ラクダ(樂だ)ラクダ(樂だ)と云ひつゝ横臥して居たと申すことぢや、之を見物したるものは餘り馬鹿馬鹿しくして其の實を人に告ぐるも不面目と思ひ、出でて人に語りて曰く、これは實に面白き見せ物である、一度之を見ざる者は大馬鹿である、蓋し世間に此の見せ物ほど奇怪なるものはなし等と言ひ觸らせる故、我も我もと爭うて木戸に入つたさうぢや、其の前我邦にて豚を養へるものなき時に「ブタ」の見せ物の看板を掲げて置いた、之を見るもの其の内部に入れば、
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鍋蓋一枚を置いてあつたといふ話も同じことぢや、今筮者に乞うて卜筮の判斷をなさしむるに、中らざりし方は是を人に傳ふるの却て己の不面目と心得、祕して他言せず、之に反して適中したる方は、大に其の事を吹聽するやうになる、是れ適中せる卜筮談の世に多き所以である、『視聽雜錄』と題する書中に、「昔し江戸淺草に住める商人某が黄金を失ひ、筮者を招きて占はしめしに、筮者曰く、此の金は必ず外に求むべからず、恐らくは一家中にあらん、若し一家を探りて見當らざるときには、家の外に求むべし」との話があるが、是れこそ百發百中に相違ない、卜筮のよく當るといふのは此の話の類であらうと思ふ、
斯くして卜筮は識者の眼より見れば、もとより信ずるに足らぬものなるが、愚者に取りては狐疑して決せざる場合に幾分の用あり
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とするも余は古き易經などによるに及ばず、寧ろ近世の學術上に考へて新法を作るが宜いと考へ、此の主義より近世の論理學に基き、「哲學うらなひ」と題する筮法を工夫した、されど其の法は未來の吉凶禍福を前知するにあらずして、一事を決するに當り天運に尋ねて可否を知らんとするのみである、若し吉凶を豫定し得るといふが如きは、愚民の意を引くまでにして、人を迷信の淵に導くものといはねばならぬ、
第三十五段 全國共通の迷信九(人相)
人相も全國共通の迷信にして、今日尚ほ依然として存じて居る、西洋に於ても人相は一部分に於て信ぜられて居る、然し西洋は頭部
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の骨相を鑑定する方が主である、米國には手相判斷が流行して居る、余が先年新紐克のコネーアイラントの遊覧場を一見せしとき、手相見が店を開き、頻りに功能を説き、客を引入れんとする所を見た、其の有樣は我邦の賣卜と毫も變らぬ、此の手相は掌中の紋樣を鑑定するので、我手筋占と大同小異である、然るに我邦の人相は面相が主にして、其の原理は支那傳來の俗説に本づいて居る、
人の面相と精神とは密接の關係を有し、所謂思内にあれば色外に顯はるの道理なれば、人相術は只一概に迷信とは云はれぬ、余輩の如きも初面接の人に對しては其の面貌によつて精神の幾分かを察知することが出來る、況や年來其の一事を專業として經驗を重ねたるものに於てをや、精神内部を洞視することの出來るは當然である、然し是れには程度がある、或る制限内に於て出來得るまでに過ぎぬ、
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然るに今日の人相を見るものも、見らるゝものも、制限なしに人間一生の吉凶禍福、何年何月何日に火難あり盜難あり病氣ありといふことまでを知り得るものと信じて居る、是れは全く迷信といはなければならぬ、
余が淺草公園を散步せし時、人相見が往來の人に向つて人相の功能を説きつゝあるを聞いたことがある、學者は働きさへすれば金がたまるといふけれども、只むやみに働く計りで福の授かるものではない、其の證據は九段阪下の立ン坊を見よ、晝夜を別たず車の後押をして働いて居るけれども、生涯貧乏ではないか、是れは人には生れながら備つて居る運といふものがある、其の運の吉凶を知つて働かねば金もたまらぬ、而して之を知るには人相術に就いて聞かねばならぬと、さも尤もらしく述べて居た、成程人には天運があるに相
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違なきも、人相によつて生涯の運命が鏡に懸けて見る如く分る道理はない、
人相に附屬せるものに墨色判斷といふものがある、其の仕方は人に一定の文字を書かせ、其の筆蹟を見て其の人の運命を判斷するのである、人の精神作用が面相に顯はるゝが如く、人の性質が筆蹟の上に顯はるゝことは否定する譯には行かぬ、我々は一面識なき人より書翰を贈られた場合には、其の筆蹟によつて多少の判斷を與ふるに、往々適中することがある、然し今日墨色判斷者の行ふ所を見ると、大抵人に一の字を書かせ、其の周邊を年に割りつけ、月に割り當て、何年何月に吉事がある、凶事があるといふ遣り方である、若し其の人が參らぬときは、他人が代筆してよいことになつて居る、我々人間の複雜なる運命が斯る單純の仕方で分る筈はない、若し之
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を分るものと信ずれば迷信である、
第三十六段 全國共通の迷信十(家相)
人相と同じく全國一般に行はれて居るものは家相である、余も家相には一分の眞理ありと思うて居る、是まで妖怪屋敷と稱せられ病氣災難の多い家屋を檢せしに、大抵低地にして濕氣多く、日光と空氣との流通あしき邸宅である、是れ地相と家相とが惡いと謂はねばならぬ、畢竟家相の起り來りしは古來の經驗により、自然の統計上如何なる邸宅には病人が多く、如何なる住家には災難が少いといふ事實が土臺をなせしに相違ない、然るに今日民間にて行はれて居る家相は先に述べたる鬼門金神等の方位説を土臺とし、之に支那傳來
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の五行説を加へ、其の他種々の妄説を混入して吉凶禍福を判斷することになつて居る、是に至つては家相も迷信といはざるを得ない、
余の創立せる哲學館が火災に罹つて全燒せしことがある、其に哲學館の建築が鬼門に觸れて居たから火災に遇うたとの評判が傳はり、家相家は之を好材料として家相の功能を述べ立てたかに聞いて居る、此の評判は事實と全く相違し、燒失せし哲學館は鬼門には觸れて居らぬ、余の昔しの居宅(哲學館内の住宅)が、鬼門に觸れて居たのである、然るに鬼門に觸れて居る住宅は燒けずして、觸れざる哲學館が燒けたのは、家相と火災とは、何等の關係なきことを證明して居る譯である、然し家相家は必ず之に對して、哲學館は余の所有なれば、住宅に起るべき災害が哲學館に發したのであるといふのであらう、それなれば其の時同時に郁文館の全燒せしは何の原因によるか、是れ實
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に疑問である、
或る日家相家が余の宅に來り、家相の吉凶判斷が百發百中するとの功能を述べたるに對し、余が詰問したことがある、佛教には自信教人信といふ語があるが、是れは人をして佛法を信ぜしめんと欲せば、先づ自ら信ずるを要することを誡めた語である、之と同じく家相が眞に福を得、富を作る道ならば、家相家自ら己の家を富まし、而して後に人に及ぼすが順序である、然るに余の視る所にては家相家に富有のものなく、其の多くは日々の餬口に追はれて居る有樣であるが、是れでは人に説いても人が心服せぬ、高島呑象翁は筮竹によつて財産が出來たといふのが、大に人の注意を引いて居る、故に家相家も、先づ己を富まして後に人に及ぼすべしと云ひたれば、其の人閉口して歸つたことがある、余が香川縣で聞いた話が丁度此話
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に類して居る、或る天理教信者が跛者である、偶々某家に病人あるを聞き、其の家を尋ね、天理教を信ずれば萬病必ず立どころに平癒すと述べて、其の教に引入れんとせしに、主人の申すには天理教を信ずれば一切萬病直に治するならば、先づ貴方の跛もなほりさうなものだ、其の跛がなほつたらば我々も天理教を信じませうと云ひたれば、當人閉口して出で去つたとのことである、
たとへ家相中に幾分の道理あるにせよ、今日民間にて家相を説き、又之を信ずるものは大概迷信と斷言して不都合なからうと思ふ、
第三十七段 全國共通の迷信十一(緣起)
緣起に就いての迷信は、先に東京及び他地方の迷信談に附帶して
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述べたが、其の外にも澤山ある、古來民間に厄年と稱して一般に忌み嫌ふ歳がある、例へば十九歳、三十三歳、四十二歳、四十九歳などを厄年と唱へて、厄拂をすることになつて居る、其の原因には多少積年の經驗により、生理上身體の一變する時期にて、其の年齡頃に病死するものが多いより起つたらしいけれども、之に色々の俗解が伴うて、迷信を呼び起すやうになつて居る、十九は重苦に通じ、四十九は始終苦に通じ、四十二は十を略せば四二となる、四二は死にに通じ、三十三は惨々に通ずるから緣起が惡いといはれて居る、むかし消防組の番號には四と七とを除いたといふことである、四は死と通じ、七は質と通ずる故ださうだ、
正月の御祝物は皆緣起の迷信が土臺となつて居る、例へば餅は金持になるを祝し、數の子は子供の多くなるを祝し、昆布は子の産る
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るを祝し、豆は人のマメヤカ卽ち健全を祝する緣起と申して居る、大晦日に蕎麥を食するは、長く續く又は身代が延びるを祝する緣起であるさうだ、
或る地方にて元日に芋の頭を食するは、人の頭になるを祝する意である、又他の地方にて除夜に菊の莖又は茄子の莖を燒くのは吉きこときく、又は善き事をなすの祝意である、其他或る地方にて節分の豆まきの時には、必ずイワシの頭を豆の莖にさして戸口に懸けるといふが、矢張り同樣の緣起であらう、
又正月の飾りに松竹を用ふるは、松も竹も四時不變の色を有し、松は千歳を契り、竹は萬代をちぎるの緣起より起つて居る、屠蘇酒は其の中に七種の藥品を混じ、萬病の邪氣を拂ふ為である、蝦は海老とも書きて、人の年寄つて腰の屈みたる形に似て居るより長壽の
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祝意を表したのである、
結婚の時は殊更緣起をやかましく申すものである、例へば結納の目錄に昆布を懇婦、又は子生婦と書し、柳樽を屋内喜多留と書し、鯣を壽留女と書し、鯛を多居と書するは皆緣起のよきを祝するのである、又可被下を下被可と書くは返るを嫌ふ為である、婚禮の吸物に蛤を用ふるは蛤の貝は幾百個集めて見ても、一つも他の貝と合ふものがない、卽ち貞女は兩夫に見えずとの意である、之に反して鮑を嫌ふのは貝が對になつて居らぬからである、客の歸るを開くといひ、贈物の水引は結びきりにするなどは皆一たび嫁したものは歸らぬの意である、
又普通の食事に香の物は二切か四切かに付けることになつて居る、一切と三切とを嫌ふのは一切は人斬れに通じ、三切は身斬れに通ず
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る故である、又他から物を贈られたときに、附木を入れて返すは、附木の先に硫黄が附いて居るから、サキイハフ卽ち先を祝ふの意味であるとのことだ、又一膳飯と北枕とは一般に緣起が惡いといはれて居る、其の譯は死んだ佛に差上げる飯は盛り切であるのと、死人を横臥さするときに北枕にするからである、
すべて民間にては緣起を祝する為に、人の實名や屋號に目出度き文字が多い、又商人の直段の符調までが目出度き語を用ひて居る、例へば米穀商は一二三四の代りにアキナイタカラブネの九字を用ひ、古著商はフクハキタリメデタヤの十字を用ひて居る、其他此の如き緣起は一々掲げ盡すことは出來ぬ、
要するに緣起は一種の迷信に相違なきも、人情自然の性として吉事を聯想することを喜び、凶事を喚起するを嫌ふものなれば、緣起
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のよきを好み惡しきを嫌ふは勢ひの免れ難き所である、
第三十八段 全國共通の迷信十二(日柄)
全國一般に日の吉凶を信ずるものが今日猶ほ非常に多い、曆日の上には七曜九曜六曜に就て吉凶を占ふことになつて居る、就中六曜は最も人の注意する日である、六曜とは先勝友引先負佛滅大安赤口の六曜を日に配當して吉凶を判斷するのである、例へば友引に當る日には葬式を行はぬ、何故なれば其日に葬式を行はゞ引續き六人死んでしまふ、卽ち友を引くと云つて其日を避けることになつて居る、然し萬止むを得ざる場合には土人形六個を棺桶の中に入れて葬式すれば、友を引かぬと信じられて居る、實に滑稽的迷信である、
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近來九星が大流行で、新聞にまで毎日掲げてある位だ、其の起原は支那河圖洛書といふ中の洛書に本づいて居るといはれて居る、其の他天源陶宮等も行はれて居るが、いづれも支那の俗説より出でたるものなれば、迷信たるを免れぬ、或は之によつて疑心を解き決斷を強くするの益なきにあらざるも、之と同時に人心を臆病に導き、斷行すべきことも猶豫することがある、たとひ一害あると共に一利ありとするも、差引上零になる譯なれば、寧ろ斯る判斷は無き方がよいといふことになる、
民間にて婚禮葬式引越新築等日柄を選定すること中々やかましい、或る人が一年中最上の吉日を選ばんと思ひ、諸方の日柄を見る人に相談したる結果、三百六十日の間で本當のよき日は一日もないやうになつたとの話を聞いて居る、されば日柄の詮議も馬鹿馬鹿しいも
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のである、諺に知らぬが佛といふが、日柄などは知らぬ方がはるかに益だ、
家を建つるに三輪方といふものがある、此日に立舞した家は必ず倒れるとて、大工などは大に嫌ふ、其の繰り方は知らざれども、亥寅午に就ての配合の規則があるさうだ、つまり十二支に本づいたもので、迷信なることは勿論である、
灸をするまでにも日に依つて吉凶ありと申すが、之に就いて一例を舉ぐれば、むかし大阪に名高い名醫があつて、人の需に應じて灸も行うたさうだ、或る人が灸をするに凶日を禁處ありといふが、果して然るや如何と問ひたれば、其の醫師は慥にありと答へた、更に何れの日いづれの場所と尋ねたれば、灸すまじき日は正月元日、灸すまじき場所は眼玉である、其の他はすこしも構はぬと答へたさう
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だが、さすが名醫だけに言ふ所も人に卓絶して居る、
余が緣起日柄などに就いて詠んだ歌がある、
方角や家相日柄のよしあしを
知らぬが佛知るは大馬鹿
其の結局初めより全く知らぬ方が何よりの仕合となる譯だ、
第三十九段 全國共通の迷信十三(禁厭)
次に禁厭卽ちマジナヒに就いては全國を通じて夥しき迷信がある、先年人類學會雜誌に各地方に於けるマジナヒの種類を一束して掲げられてあつた、左に之を拔萃して見よう、
旅行せんとする人は其の出發に先だち、新草鞋を穿ちて一度我が
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家の便所へ行き、然る後旅程に就くときは無難に歸宅すべし、
新下駄を穿ちしとき、先づ便所の前まで行きて置くときは、後に其の下駄の齒の破るゝ恐れなし、
家畜の猫逃走して歸らざるときに、細紙に「立ちわかれ稻葉の山の峰におふる、まつとし聞かば今かへりこん」の歌を書して貼付し置くときは、必ず歸り來るべし、
足袋を穿ちながら寢るときは、親の死目を見ること能はずして、之を脱して寢るをよしとす、
東方に枕して寢し際、猿の夢を見るときは、其の人死すべしとて東枕を忌む、
左方の耳痒きを覺ゆれば、吉事あるの兆として之を喜ぶ、
喫茶の際、碗中に茶柱(茶葉の莖)の直立することあれば、之を吉事の兆
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とす、
僻地の人は寫眞を取れば、壽命を短縮すといふ、
婦人の通行する際、もし砥石を跨ぎて過ぐるときは、其の石破壞すべしとなす、
一家にて一二旬中に二人の死亡者あるときは、棺中に藁人形一個を入れて葬る、是れは二度あることは三度あるといふことより、第三回目を防ぐマジナヒなり、
小兒兩脚を張り、體を前方に屈して股間より後方を望むときは、該兒の次子出生する前兆とす、
朝時早起するのマジナイヒは「ほのぼのと明石の浦」の歌を、一呼吸の中に三回唱へて寢に就けば其の功ありとす、
猛犬に逢ひたるとき、右手の拇指より子丑寅卯と唱へつゝ順次に
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指を屈し、小指を口にて噛み、寅の尾を踏んだと言ふときは、如何なる猛犬も尾を巻きて遁走するといふ、
蛇を見しとき、アビラウンケンソワカと唱ふれば、直ちに逃れ去るといふ、
其の中には緣起もマジナヒも混同して居るが、マジナヒの一斑を知ることが出來る、其の他客の早く歸るを祈るには、箒を倒に立てるマジナヒの如き、貸家の張紙を斜めに張り置くマジナヒの如き、一々掲げ來らば、際限あるべからずである、
房州鋸山に石にて刻んだ五百羅漢があるが、首は大抵なくなつて居る、むかし博徒が羅漢の首を懷中して居れば、必ず博奕に勝つといふマジナヒの為に盜み取つたとのことだ、鎌倉に百地藏と云うて澤山の地藏があるが、是れも何かのマジナヒと見えて首の取られて
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居るのが多い、
人の家にては盜賊を防ぐマジナヒがあるが、盜賊の方にては盜んで發覺されぬマジナヒがある、つまりマジナヒとマジナヒとの衝突が起ることになる、彼の竊盜が忍び入る前に盥の中に放糞するも、マジナヒであるさうだ、
守札は神佛の名を掲げたるものなれば、崇敬の意を以て保存すべきに、民間にては多くマジナヒに用ひ、往々不潔不淨の處へ張付けて置くのを見る、是れは注意すべきことゝ思ふ、
第四十段 全國共通の迷信十四(奇方)
次に禁厭にて病氣を治する方法に就いて一言せなければならぬ、
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之を此に奇方と題せしも、實際は迷信療法のことである、我邦の民間にては今日猶ほ迷信療法が頗る多い、余が巡回中直接に見聞せし中、埼玉縣北埼玉郡新鄕村漆原亮太郎氏の門は數百年前の建築なるが、痲疹流行の際には、夜中竊に來つて其の柱を削り去るとのことだ、長州大津郡大寧寺内に、摺小木の其の長さ五六尺餘の古木がある、之を削り其の屑をマジナヒに用ふる由、又福島縣信夫郡平野村醫王寺境内にある信夫莊司の墓石が、瘧を治するに特效ありとて、之を碎きて持ち去るさうである、此の瘧を治するマジナヒに就いては、先年全國より報告を集めて見たが、其の中面白さうな分だけを舉げて置く、
鳥取市よりの報知に、瘧にかゝるものは早朝未明に家を出で、新草履を穿ちて氏神を參詣し、境内に其の草履を捨て置き歸るなり、
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若し他人其の社に詣し、草履の新しきを喜び、之を穿ち歸れば、瘧疾其の人に移りて、前に病めるものは快復すべしといふ、
前橋市よりの報知に、瘧にかゝりたる時は、他人の墓所へ行き、三體の石碑に一本づゝ線香を供すればよしと云ふ、
肥前北高來郡の報知に、笠を被りて水中に入り、身を潛めてくゞり拔け、笠の頭を離れたるや、後をも見ずして歸家すれば治すといふ、
信州東筑摩郡の報知に、病者に著物を逆まに著せ、而して一人は菅笠を以て團扇の如く煽ぎつゝ追ひ行き、病者の顛倒するまで追ひ行けば治すといふ、
大阪府下よりの報知に、大木に鎌を打ち立て、汝余の瘧を落さば鎌を去るべし、治せざれば切り倒すべしと命令すれば治すといふ、
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古來我邦にて瘧を治するに大抵皆斯るマジナヒを用ひたものである、昔日のみならず今日にても猶ほ之を用ふるものが多い、其他の病氣に至つては、意外の療法が今猶ほ行はれて居る、昨年大阪新報に動物園に象と獅子等に關する記事を掲げてあつた、是れもとより迷信療法である、
天王寺公園の市立動物園へ象の糞を貰ひに行く男があれば、獅子の尿を四合壜を提げて取に行く女もある、隨分と穢い話、鼻を摘む前に迷信の力を思はせられると云ふのは、象の糞が痳病の藥と信じられてをればこそ、動物園へお百度踏む男も出來る、其が支那人の間に最も信じられてゐて、南京町の住人達は吳れぬなら買つて行かうと現金主義を曝け出して、係員を手古摺らせる、それで此頃では別に手間のかゝることでもないから、動物園でも園丁
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にその象の糞を溜させて、南京子の需めに應じてゐる、象に就いては別に爪を貰ひに行く人もある、これは解熱劑に專ら煎じて呑まれるさうだ、
獅子の小便が何に利くかは、動物園の人達にも解つてゐない、それに牝獅子は子宮内膜炎を患つてゐるから、一切吳れて遣らないが、可笑しいのは狂犬病の流行つた時など幾人となく獅子の鬣の毛を貰ひに來た、獅子は百獸の王、その毛を持つてゐれば流石の狂犬も慴服して寄り付かぬといふのだ、掌に虎の字を書く往昔の落語を思ひ出される、其の他猩々の鼻や豹の爪、翡翠の屍體、鶴の拔羽と種々のものを貰ひに行くが、翡翠の屍體を黑燒にして飲むと肺病が癒るとか、動物園でも死にしだい鹽漬にして置くさうだ、豹の爪、猩々の鼻の望み許りは全く解らぬが、これも迷信の
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一例として、飼養の狐に夕暮頃看守の男の眼を盜んで赤飯油揚を供へに行く者もある、この始末が隨分厄介で、往々にしてお稻荷樣が胃腸病に罹られる、そして可笑しいことには油揚は餘り好かれぬ相な、この類の迷信として、飼養してゐる白蛇に斯んな話もあつたと、あの白蛇は山口縣の吉川藩のお米倉に出來る、本統の巳さんで名古屋邊の人造白蛇でない、眼の赤い純白のもの、同地方では誰一人この蛇を捕へるものもなければ、殺すものもないが、唯だ一人、酒五升と金子十圓の謝禮でこの巳さんを捕へる男がある、廣島市の藤岡某、この男に賴んで五匹だけ取つて貰ひ、地方を巡業して一家生計の資本としてゐた、それを動物園で買ひ取つたのだが、その時先方は祀つて呉れるなら讓ると云つて、隨分と動物園に手を燒かせたといふ、
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大阪の大都會すら此の如しとすれば、他は推して知るべしである、
マジナヒ療法には隨分滑稽に類するものがある、例へば子供の頭上にデキモノの出來た場合に、其の上へ馬の字を書いて置けば治するとのマジナヒを聞いて居るが、其の譯は頭上のデキモノを俗にクサといふ、依て馬が草を食ふから治するのであるとの説だ、足にマメの出來たときにも馬の字を書くマジナヒがあるが、其の譯も右同樣である、又民間にて瘧にかゝるものは茄子を食するを忘む、其の意味に、茄子は熟して落ちぬものなれば、落ちぬを嫌ふ故であるとのことだ、又藥を呑むに十一口にのめば效驗があるといふが、十一口は吉の字に當る故とのことだ、是れも滑稽に本づいて居る、
今一つマジナヒに就いて面白い話があるから、附け加へて置く、近頃余が栃木縣の舊奧羽街道を巡講せしに、其の邊では御維新前秋
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田佐竹侯の通行せらるゝ際は、近在より子供が多く集まり來り、群を成して隨從したとのことだ、其の譯は佐竹侯の御伴をすれば天然痘を免れらるゝといふ風説が傳はつて居た為ださうだ、其の佐竹侯は非常のアバタ顔であつて、愚民は天然痘の神樣の如くに思うたらしい、實は抱腹の至りである、
第四十一段 全國共通の迷信十五(呪願)
我邦の有名なる神社佛閣中、祈禱專門のもの多く、而も其の祈禱が病氣災難の魔除をするものが多數を占めて居る、又一身一家の福利を祈請し、商賣繁昌、不景氣悔復、相場に當るやうなどの祈願が少くない、其の實例は前已に地方の迷信談中に掲げたが、其の外に
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も殆ど枚舉するに暇なき程に澤山ある、
東京淺草に大鷲神社があつて、毎年十一月の酉の日に其の社の祭禮がある、此に參詣するものは各クマデを買つて歸ることになつて居る、其の意はクマデを以て人の金をさらへ取るの望みである、而して其の神社の流行るのも、鷲の神樣なれば其の力を假りて金を攫み取るの意味である、世間にて不景氣の時ほど御祈禱が多いとのことだ、是れは神佛に賴んで金まうけさせてもらひたいの迷信があるからだ、
只金まうけのみならず、言語道斷の祈願がある、今より二十餘年前の某新聞に掲げてあつた、其の話は左の通りである、
此頃或人用事ありて駿州興津に赴きけるに、線路の傍に當れる庵原郡倉澤村の天神社に、無數の燭火燈りて石段に人影の見えたる
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より、此深更に何事ならんと興津に下りて次第に同村の方に近寄り見るに、村内の若者が凡そ二三十人も眞裸體になつて、何れも汐水に身體を淨め、石段の兩側に百餘の提燈を釣し、社前には皎皎たる篝火を燒き、石段の上より下に至るまで右の若者眞直に連なり、最下段に在るもの先づ五百目乃至一貫目計の丸石を取りて、之を上の段の者へ手渡すれば、上の段のもの又之を次の段の者へ渡し、斯く順々に送り上げたる後、最上段に在る禮服を著せし一人の男之を戴きて千個の石を社前に備へ、扨て一同合掌して祈願を凝らすなり、何事を祈願するにやと能く能く近寄りて之を聞くに、圖らざりき何れも一心不亂に徵兵免れの祈願をなすなりと、
斯んな祈願もある程で、今も尚ほ田畑の豊作、海上の大漁、一家の安全を祈るもの、全國到る處皆然りといふ有樣である、殊に病氣災
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難に關しては、神佛をマジナヒの道具に使用して居るものが多い、例へば秋田縣由利郡院内村陽山寺山門の仁王尊は、全身泥土を以て穢されて居る、先に話せし愛媛縣の石地藏が泥土を打ち付けられて居ると同樣、迷信上のマジナヒより起つたのである、又岡山縣都窪郡清音村の題目石は、參詣者の為に摩擦せられて、角がなくなつて居る、是は病者が其の石を擦つては其の手を己の病處に附ける為とのことだ、此の如き例は全國の神社佛閣には充滿して居る、
淨土宗は比較的呪願を行はぬ方なれども、或る地に狐落しの祈禱する寺がある、其の時は狐附病者を佛前に坐せしめ、阿彌陀經を一誦するさうだ、此の經中に六方の段と稱して、東西南北上下の六方の諸佛を讚歎せる一段がある、之を一讀する際に其の一方を飛び越して讀めば、狐が落つるといふことに極つて居る、其の意味は一方
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を落すといふことより起つて居る、又越後蒲原郡の或る地方にては、瘧を落すマジナヒに淨土三部經を風呂敷に包んで背上に負はしむる處がある、いづれも滑稽といはねばならぬ、
第四十二段 迷信の利害一(無害有利)
上來地方特殊の迷信と全國共通の迷信との二大段に分けて述べ來つたが、日本は世界中最も迷信に富んだ國であることが明かである、印度や支那は迷信の多いに相違ないけれども、日本は決して之にまさるとも劣りはせぬと思はる、先づ其の迷信に就いて利があるか害があるかを考へて置きたい、若し教育上より論斷を下さば、利なくして害あるのみといひたきも、實際上一分の利あることを許さねば
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ならぬ、因つて余は迷信の利害を四段に分けて逐次論述して見たいと思ふ、
第一は害なくして利あるもの
第二は害なくして利なきもの
第三は利あつて害あるもの
第四は利なくして害あるもの
迷信の種類を利害上此の四種に分つことが出來る、然し其の利害はもとより比較的にして、且つ時と場合とによつて異なることを斷り置かなければならぬ、其の上に知識の程度にもよる、知識なきものに利あつても、知識あるものには無效のことがある、
今第一項の害なくして利あるものとは、先きに緣起の下に掲げたる正月や婚禮に連帶せる迷信の如きは、何等の害もない、而して古
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風を保存し儀式を修飾する點に於て功がある、又たとひ其の起りは迷信なりとも、已に變形して別格の意味を具するやうになつて居れば、迷信とも言ひ難い、兎に角儀式には多少の迷信が加はつて居ても、古風を維持する點に於て、自然と崇高尊嚴の感想を起さしむるに有功の場合が多い、
民間にては神社佛閣へ百度參りすることがある、例へば慢性胃病のものが、神佛に百度參りすれば、其の御力にて全癒すと信ずるは迷信なるべきも、毎日一心になつて百度參りを繼續すれば、自然に全治するに至る譯である、四國遍路や三十三番巡禮なども、之によつて佛樣より一家の息災延命を與へて貰ふものと信ずるは迷信なるべきも、身體を健全にし、見聞を廣くし、精神を修養する點に於て利益すること尠くない、是等は皆有利無害と申さねばならぬ、
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何れの地方にても毎年盆には庭前に篝火を燒く、或は迎火或は送火と稱して、亡者の靈が自宅を見舞に來るのを送迎するのであると信ずれば、迷信となるけれども、其の當時は田に害蟲の生ずる時にして、此の迎火送火又は墓場に火を點ずるのは自然に害蟲驅除の功ありとの説がある、されば是れ又無害有利と申して宜い
夏時晴天が續き旱魃が起り、苗が枯死せんとする場合に、農村にては雨乞をする、其の雨乞に村中多人數相伴ひ、高山に登り山靈に祈願することが多い、若し山の神が雨を授け下さると信ずれば、迷信なるべきも、今日の學説にては多人數郡參して高山をかけまはるときは、氣象に變化を起し、降雨を招くに至るべき道理であるといふ、されば是れも無害有利と見做して宜い、
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第四十三段 迷信の利害二(無害無利)
迷信中に藥にもならず毒にもならざることがある、其の一例は龍燈であらう、龍燈は海中より怪火が現出して陸上に移り來るのであるが、之を民間にては龍宮より燈明があがると申して居る、其の火の最も名高きは宮嶋七不思議の第一に算へられて居る龍燈なるが、其の他にも諸方にある奇觀である、磐城の國、平の赤井岳の龍燈も東北では隨分廣く知られて居る、之を實見せしものゝ話に、深夜十二時頃に海中より忽然一怪火が現出する、其の色白くして光輝は大星を欺く位である、其の位置は水面上數丈の空中に懸り、忽ち滅して復忽ち現じ、或は聚りて一となり、或は散じて數十となる、斯くして漸く陸に近づき來り、川に沿うて山麓に達し、更に溪間を溯り
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て山上の藥師堂の前なる林中を往來するとのことである、また隱岐の知夫郡内に燒火山と名づくる山がある、其の頂上に神社あつて、毎年舊曆大晦日には千人位の登山者ある由なるが、其の夜は海上より燈明が山上に向つて登り來るとのことだ、其の他越後の米山、越中の眼目山、土佐の蹉陀岬等にも龍燈の話がある、是等は珍らしい不思議だと申すだけで、利もなければ害もない迷信である、
肥後の不知火、越中の蜃氣樓なども、民間にて色々妄説を附會して居るが、是れといふ害もなければ利もない、先年余が肥前の島原に滯在せし時、不知火の期節で、人に誘はれて夜半過ぎに海岸へ出て、天明まで海上を望んで見たが、其の夜は不知火の現出がなかつた、此の地方にては面白半分に見に出掛けるが、別に恐ろしいとも怖いとも思はぬ、又越中の魚津は蜃氣樓の名所にて、毎年四五月頃
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に現出するさうだが、古來蛤が氣を吹き出すのであるなどの迷信あれども、別に災難が起るとか、飢饉の前兆などゝ申すものもなく、無事平穏である、
信州上田町に山口の一つ火と稱するものがある、毎夜十一時過に山口村の方角に當つて一つの火玉が現はれる、之を狐狸か天狗の所為の如く思うて居れども、格別恐怖心を起すでもない、又各地方にある狐火の如きも、毎年期節を定めて現出する所にては、之を見ても平氣である、右等は皆無害無利の迷信と申さねばならぬ、
岡山市中の妖怪にアヅキアラヒと名づくるものがある、深夜にアヅキを洗ふが如き響を聞くのだが、之を妖怪の所為と申して居る、多分川の水の流るゝ音であらうと思はる、紀州牟婁郡の某村にては深更になると、遙に鼓聲の響きがする、之を其の地のものは狸の腹
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鼓と稱し、狸の遊戲の如くに思ひ、別に怪みもせず、又恐れもせぬ、此の如き迷信は害もなく利もないと申して宜い、
第四十四段 迷信の利害三(有利有害)
次に迷信中の利あり害あるものを舉ぐれば、卜筮、人相、家相の如きものであらう、凡そ人が大事をなすに當り自ら決斷することの出來ぬ場合に、卜筮に考へて可否を一決するのが卜筮の起つた原因である、斯る場合に疑を解き意を決する點に於ては、多少の利益がないではない、昔は往々之を政策に使用したことがある、例へば秀吉が朝鮮征伐の時に、厳島にて錢を投じて吉凶を判じたといふ話のある如くに、卜筮によりて大吉を得たといへば、士氣を勵ます點に
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於て多少益する所があるに相違ない、緣談などにも之れを利用するといふ話がある、若し他より緣談を申込まれて、斷りたくも口實に困る場合には、卜筮、方位に託する方が宜いさうである、此等の點に於て、卜筮は多少の利あると同時に、之が為に害を招くことも多い、
余は地方巡遊中、時々卜筮は中るものか中らぬものかとの質問を受ける、其の時に中るも八卦、中らぬも八卦と答へて居る、之に就いて余の實驗したことがある、先年五月頃著述の草案を作る為に、相州大磯松林館に滯在して居たが、急に東京より用事を申し來つたから、其の日になつて今晩東京へ歸ると告げたれば、旅館の主婦は、どうして其樣に俄に歸京なさるかと尋ねた、余は之に答へて、近頃妖怪研究の為に卜筮を試用して居るが、先刻筮竹を取つて卜して見
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た所が、今晩多人數の來賓が此の旅館へ押込むことが分り、喧しくなつて勉強が出來ぬと思ひ、歸京することに極めたのであると申した、さうすると主婦は何人の入客があるかと尋ねたから、十三人と答へて置いた、然るに其晩は豫言の如く十三人の客が東京より押込んで大層騒ぎ立てたさうだ、是は中るも八卦の方である、其の後同じ年の暑中に伊豆の熱海に入浴し、いつも常宿にきめてある露木旅館に滯在したことがある、露木は代々女の子ばかりで男の子がない、夫故に代々養子である、丁度滯在中、其の家の婦人が近日に出産をするが今度は是非男子の生れるやうにしたいと申して居るから、余は大磯で筮竹を取り大當りしたから、此處でも筮竹で男女を當てゝやらうと思ひ、早速八卦を見た所が、男子が生れる卦が出て來た、依つて今度は慥に男なりと申したれば、一家大喜びであつた、夫よ
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り四五日過ぎて愈々出産になつた處、案外にも余の八卦が外れて、女子であつた、是は中らぬも八卦の方である、此の實例に照らして、古來傳ふる所の中るも八卦、中らぬも八卦とはよくいうたものだと自ら感心したことがある、
旣に中ると中らぬと相半し、五分五分であるとすれば、中る方には利があるが、中らぬときには不利と見なければなるまい、卽ち利害相半すと申して宜い、其の上に卜筮などを信じ始めると、一から十まで卜筮に照らさなければ何事も決心が付かず、臆病神がとッつき、戰々兢々として世の中を渡るやうになるから、利の方よりも害の方が多いと申してよからう、
人相、家相、方位等に就いても右同樣の斷案を下すことが出來る、先に述べしが如く、人相も家相も幾分の眞理を含み、決して全部を
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否定すべきではない、其の中には大に採用すべき點もあるが、之と同時に支那傳來の妄説が加はつて居る、此の點から眺めても利害相半すと申して宜い、其上に之を信ずる人は猥りに妄信を起し、案外の不利を招くことがある、余が先年家相家に向ひ、西洋にては家相の吉凶を問ふことはない、然るに其の家當み、其の國盛んなるは如何、東洋は家相の吉凶を尋ね、吉相を見て之に住するけれども、家も國も、共に貧弱なるは如何と詰問したれば、家相家が申すには、我國内にても家相に頓著せざる人にて其の家の榮ゆる所がある、斯る家に就いて取調べて見るに、知らずして自然に家相の道理に叶ひ、吉相を得て居る、夫故に西洋にても家相を知らずして自然に吉相を得て居る家が多いに相違なからうとの答であつた、若し果して家相に頓著せざる西洋の方に、自然に家相に叶うた家が多いとすれば、
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寧ろ家相はなくてもよいといふことに歸著するであらう、要するに人相家相の類は利害相半するも、之を信じて却つて惑を起し不安を抱くやうになる、されば利よりも害が多いといはねばならぬ、
第四十五段 迷信の利害四(無利有害)
先に斷り置けるが如く、迷信の利害はもとより比較的にして、有害無利と稱するものにも、時と場合と人とにより多少の利の存することもあるが、其の中にて普通有害と無利と斷定して宜しきは、四國の犬神、出雲の人狐の迷信である、或は論者あつて之を一種の社會制裁であるといひ、吝嗇一方にて金を貯へ、公共慈善等には一錢も出金せぬものに對し、他より其の行為を擯斥して、彼家は犬神の
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系統である人狐の住家であると稱し、暗に社交を斷たるゝが如き制裁を加へらるゝのであるから、幾分の利もあると主張せんも、古代にあつては斯る迷信的制裁の必要ありとするも、今日にては全く無用であるから、有害無利の迷信たること明かである、
次に害あつて利なきものはマジナヒ療法である、尤も其の中には藥にもならず、毒にもならぬものもある、又鰯の頭も信心からの諺の如く、人の方より信仰を以て迎ふれば、マジナヒにも多少の效驗を顯すことがある、然し此等の效驗を見てマジナヒにも利益があるといふことは出來ぬ、寧ろ斯る效驗は除外して置かねばならぬ、
格別害にもならず寧ろ滑稽に近いマジナヒは頭痛のマジナヒに擂鉢を冠て、其の上に灸を點すれば治するといふのがある、盜難を防ぐマジナヒに手洗鉢を家の中に伏せて置けばよいといふのがある、
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猫の逃げたるを呼び戻すマジナヒに、曆に取つて其の逃出せし日の處を墨にて消し置けば必ず歸るといふのもある、女兒の心得をよくするマジナヒに、狗の肝を取つて土にまぜ、竈を塗るときは必ず孝順のものになるといふのもある、船に醉はぬマジナヒに、船の中に賦の字をかき、武の右肩の點を人の額にうち置かば、少しも醉はぬといふのもある、記憶をよくするマジナヒに、五月五日に鼈の爪を衣類の領の中に置けば功能があるといふのもある、是等は藥にも毒にもなるまいけれども、それならば寧ろ始よりマジナヒをせぬがよいといふことになる、之を行ふ丈がヤハリ不利益である、
縱令つまらぬマジナヒでも、多少人に安心させて慰安の效があるといふ人もあるけれども、一方に慰安を與ふると同時に、他方に不安を與ふることが起る、一度マジナヒを信じ始むれば、何事も疑心
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が起り、一々マジナヒせなければ安心が出來ぬことになるから、差引上全く無益の手數といふことになる、
守田寶丹といふ人は中々マジナヒ信仰家で、家を出る度毎にマジナヒをする程の人であつた、或る日の午前余が同氏を尋ね、座敷で話を交へて居る間に、肥屋が大便を汲み取りに來て、臭氣座に滿つる有樣であつた、其の時奧より女中來り、香でも燒きませうかと尋ねたれば、寶丹翁曰く、香よりもマジナヒの方がよいといひつゝ、自ら立つて湯呑茶碗を緣側の先きに何か唱へながら伏せた、而して翁は是れで更に臭氣がせなくなつたといはれたが、余には毫も臭氣の減じたるを感ぜぬ、其の時余はマジナヒは實に厄介のものだと思うたことがある、之を信ずる當人に利があつても、信ぜぬ他人に迷惑をかけるから、矢張り害あつて利なしといはねばならぬ、
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民間にて狐付を落す法として、撲つたり叩いたり松葉の烟にて苦めたりするなどは大害あること勿論であるが、傳染病にかゝりたる時、醫者にも見せず醫藥も用ひず、つまらぬマジナヒを信用して居るなどは、實に寸益なくして大害あるものといはねばならぬ、
第四十六段 迷信の利害五(利少害多)
以上四段に別けて論ずる所を差引勘定すれば、有利有害五分五分のやうなれども、實際上利よりも害が多いといふことは爭はれぬ結論である、
世人が迷信を有する為に、種々の惡影響を引起すことは大に注意すべきである、其の一例として『庄内可成談』の中に出でたる妖怪を
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偽造せし話を轉載して置く、
妖怪の家に出づると云ふも、十に八九は虛言談なり、先年近きあたりの寺にも此事ありし、能く能く尋ぬれば實は住持の妾を置き、日暮よりは人の來らざらん為に妖怪出づると云ひしとなり、又白晝に妖怪出でしといふ家あり、是れも其の家の乳母が幼子を爐にてヤケドさせて云ひ譯なく、妖怪出でし故、驚きて斯く怪我し侍ると、病に臥したる年寄の主人を欺きしとぞ、又朝に妖怪出づると言ひし家あり、是れは其家の主人幼穉なる故、奴僕が鹽味噌薪炭等を盜み取るに、下女婢ども妨げになりし故、早く起きざらんため斯くの如く云ひしとぞ、
先年發行の神戸又新日報に、稻荷下しの拘引と題して、左の記事が掲げてあつた、
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石州者の田中太七といふは、俗にいふ稻荷下しにて、女房おきぬと共に、本年の四月頃より神戸へ來り、湊村の内、石井村の島田平四郎が稻荷の信者なるを聞き込み、夫婦して同家へ出かけ、私には諏訪稻荷が乘り移り居れば、私がいふ通りを守るときは、如何なる望みといへども叶はざる事なし、それが嘘と思ふなら、此の白紙に金を包みて稻荷に捧げ、一月乃至二月と一心に祈禱せし上開いて見れば、五圓の金は必ず十圓となり、百圓のものは屹度二百圓になり居る事更に疑ひあるべからずと、眞實しやかに述べ立てゝ、遂に平四郎を欺き、四十圓の紙幣を件の白紙に包み、神前に供へさせ、夫れより太七夫婦は毎日同家に通ひて、頻りに祈禱をなし居るうち、何時の間にか中なる四十圓を拔き取りて、古新聞紙と摺りかへ、知らぬ顔で居りしも、夫婦の金使ひ近來メツキ
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リ荒くなりしところから、其の筋の目に止まり、一昨日古港通りの木賃宿に酒を飲んでゐる夫婦を拘引して取調べると、平四郎方の四十圓は元より、此の外同じ手段卽ち稻荷をダシに使うて、明石郡新保村の西田順藏より十五圓、津名郡江崎清七より二十圓、明石郡前田村姓不詳梅吉より二十三圓八十錢をせしめ込み、其の他各地の數十ヶ所に於て欺き取りしものを集むれば、數千圓の金高に上り居りしといふ、
今一例を舉げんに、むかし維新前の出來事だが、山城の國伏見町に市郎兵衛と申すものがあつた、平素深く佛教に歸依して、佛前の勤め怠ることなく、暇さへあれば御寺に參詣して説教を聽聞し、殺生戒を持ちて、蚤や蚊までも殺さぬ程の信者でありし故、近所近邊にては、市郎兵衛殿と呼ばずに、佛樣と名づけて居た、其の佛樣が
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或る夜の夢に、阿彌陀樣の來現ありて御告あらせらるゝには、我は汝が隣家の門口の土中に埋められて、年久しく隱れて居るが、汝が信心の厚きに感じ、特に其の事を賴むから、早く土を掘りて我を出して呉れと仰せられしと覺ゆるや、間もなく夢が醒め、如何にも不思議に思ひ、翌朝早速隣家の主人に其の夢知らせの次第を語りけるに、主人之を信ぜずして土を掘る事を承知してくれぬ、然るに其の後毎晩續きて七日の間、同じ夢知らせがあつた、そこで隣家の主人もヤツト承知して、門口の土を掘り五尺までに達したれど何も見當らぬ、依つて主人は夢の妄なるを言ひ張りて、再び掘ることを許さざりしも、市郎兵衛は強ひて請うて更に一尺餘掘り下げたれば、佛身の銅像が出て來た、そこで隣家の主人も大に感服し、忽ち近所近邊の大評判となり、皆之を聞きて感得の妙であると申した、其の後
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地頭の役人が、右兩人の舉動に疑はしき所あるを怪み、之を捕へて吟味せしに、兩人大に恐れ、白狀して申すには、其の前年互に相談の上ひそかに佛像を土中に埋め置き、夢に託して利を得ようと企て、斯く奸計を運らしたる由を委しく述べ、且つ罪を赦されんことを願うたさうだ、其の話は『怪談辨妄錄』と題する書中に書いてある、
右の如く世人の迷信に付け込んで惡事を企てるものが起つてくる、其の上に迷信が盛んになると、人が己の努力によつて立身成功しようといふ氣力を減ずる傾向がある、また迷信が流行すると、倫理の鏡を曇らし、宗教の月を隱して、精神界を暗黑にすることは勢の免れぬ所である、その理由は後に述ぶることゝし、結局迷信は比較上害あつて益なしといふ斷案を結ばざるを得ない、然し格別害なき點だけは其の儘に任せて置いても差支なからう、
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第四十七段 迷信の原因一(道理と運命)
已に迷信を有害と斷定したる以上は、之を除去する方法を講じなければならぬ、又其の方法を講ずるには先づ迷信の起る原因を知ることが肝要である、
迷信の種類に多樣あるが如く、其の原因にも多樣あつて、精細の説明は一朝一夕に為し難いから、只此には大體に就いて主要なる原因だけを舉示したいと思ふ、若し之を一括して云はば、
(一)道理に暗きより生ず、
(二)運命に迷ふより生ず、
此の二項目に歸するであらう、而して道理に暗き方は知識の乏し
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き為であつて、知識の乏しきは教育の足らざる為と申して宜い、依つて其方の受持は教育である、次に運命に迷ふ方は信仰の程度が低く、意志が薄弱なるに原因して居る、此の意志を強くし、信仰を進める方は宗教の受持である、然るに我邦には教育もあり宗教もありながら、猶ほ迷信の依然たるは教育宗教に不十分の點がある故といはねばならぬ、
凡そ迷信の人心中に生ずるは、決して學校で教へ込むのではない、學校にては迷信に惑ふ勿れと教へて居る、然るに家庭に於ては迷信を以て教育して居る、未だ何等の思想も出來て居らぬ純白の子供の心中へ、暗い處には化物が出るぞ、墓場には幽靈が出るぞ、狐は人につくものだ、狸は人をだますものだといふことを吹き込む、是れは迷信の種子を蒔きつけるのである、其の種子は後に學校へ入れて
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教育しても、決して消滅するものでない、其の外に周圍の社會より種々の迷信を吹き込まれる、例へば一家に病人あれば、家の建方が鬼門に觸れて居るとか、今年は生れ歳のあひ性が惡いといふやうに、迷信の話を持ち込まれる、是れは肥料を與へるやうなものだ、此くの如く家庭で種子をまき、社會で肥料を與へるから、どうしても迷信が増長する譯になる、
右の次第であるから、今より後は學校教育の外に家庭教育と社會教育の改良を實行せねばならぬ、先づ家庭教育の改良としては婦人會を起し、夫人講話を開くを要し、社會教育の改良としては靑年會、大人會、老人會等を設け、或は通俗講話、通俗教育會を開くを要することになる、何分是迄の教育が學校だけに限られたのは、教育上の缺點といはなければならぬ、
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次に宗教方向にては宗教の教理を説き、信仰の程度を高めるといふことなく、宗教家の仕事は殆ど葬式法事に限られて居るやうな有樣で、偶々説法して聞かしても、冥福を祈らせるか、現福を願はせるやうにのみ導いて、宗教が却つて迷信を増長させる手傳をする有樣である、斯る狀態では決して迷信がなくなるものではない、
第四十八段 迷信の原因二(經驗)
知識の方面にては何人にも知識欲がある、目に視、耳に聽くと直ちに其の何物たるを知りたいといふ欲を起すものである、然るに知識の程度が低い為に、其の道理を究め盡すことが出來ぬ、是に於て迷信に陷つてしまふ、是に就いて三通りの原因がある、
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(一)經驗に乏しい為に迷信に陷る、
(二)論理に暗い為に迷信を起す、
(三)學理に通ぜざる為に迷信を作る、
例へば墓所を通り過ぎて怪火は、死體や腐木や枯草の埋まつて居る場所に起るもので、斯る場所には燐火水素が地下より發生して怪火を現出するものなるも、其方の經驗がない為に、墓場に限つて怪火の發するものと思ひ、墓場は屍骸を埋めてあるといふことから、亡者の靈魂に相違ないといふ考を起す、是れは或る意味に於て經驗に乏しいといふことに歸するであらう、
經驗に乏しい為に、格別不思議でないことを速斷して不思議とし、種々の迷信を附會するやうになる、其の一例は先年信州佐久郡相木
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村の森林中に、其地の氏神として祭れる社殿があるが、或る夜より奇怪の音が起り、其の響きは恰も日蓮宗の太鼓の如くであるといふことから、狸の腹鼓であると斷定した話がある、又尾州丹羽郡の靑木村にも社林中に怪音が起り、福島縣石川郡石川町にも之と同一のことがあつた、此くの如きことが時々起るが、其の原因は神社の境内には古木のあるもので、古木には空洞が出來て居るものだ、然るに梟や角鳥は斯る空洞の中に住んで子を産むものである、其の聲を忽ち妖怪と誤認してしまふ、
又ランプのホヤに人面が現はれたとて、亡者の靈などと云うて騒ぎ立つることも時々ある、先年信州松本近在に其の怪事が起り、其の後尾州葉栗郡宮本村にも起り、又其の後大和國山邊郡朝和村にも起つたことがある、之はランプの心から油焔が上つてホヤを曇らせ
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ることが度々ある中、稀に其の形が人面を書いた如くに現はるゝことがあつて、全く偶然の出來事なれども、經驗の範圍が狹い為に、直に、妖怪的説明を與へるやうになる、
よく起る出來事中に天井の怪物といふ一事がある、先年水戸市上市小學校教場の天井の白壁に、手六本足六本ある妖怪の姿が黑々と現出して居るのを兒童等が認め、化物沙汰となつたことがある、左官が壁塗の際、偶然手足の跡に類したる汚點を天井に留めたものらしい、又京都市の病院の解剖室に或る時一夜の中に天井板に手の形を血にて印したるもの數ヶ所に見えしより、妖怪の所為の如く申せしも、何人かの所為に相違ない、昨年栃木縣大田原小學校の天井に蛇の如く龍の如き怪物の如き斑痕があるを見たが、生徒が雜巾掛するときに、面白半分に其の雜巾を天井に投げ付けた所が、此の如く
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怪物の形を印出するやうになつたさうだ、其の他庭内や野外に巨人の足跡があるのを見て、妖怪沙汰を起したことも諸方にある、又越後出雲崎に初めて燈明臺の出來た時に、遠方より望んて龍燈と見做し、佐渡にて日露戰役の時軍艦より探海燈を放ちたるに驚かされて、大怪物と誤りしの類、實に枚舉に遑ない程である、若し見聞を廣くし經驗を重ねたる人ならば、そんなに妖怪が瑣細の事にまで有るべき道理なく、何か他に然るべき原因のあることと思うて居ればよいのである、たとひ其の原因が判然せぬにしても、何も斯も妖怪の所為に歸するには及はぬ譯である、
第四十九段 迷信の原因三(論理)
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經驗に乏しきものは妖怪にあらざるものを直に妖怪と斷定し、之に自己の妄説を附會して、種々の迷信を構成するに至るが、それには必ず論理に暗いといふことが伴うて居る、人若し論理に暗ければ因果の理を誤認するやうになる、卽ち眞の因にあらざるものを因と斷定することが起る、すべて甲の出來事と乙の出來事と實際上同時又は前後して現出するときには、縱令其の内部は何等の連絡關係なきものにても、直に甲は乙の原因なりとの斷定を下すやうになる、
よく民間にて鴉の鳴聲の惡いのは鴉は人の死を前知する力があつて、其の死を知らせるのである、又火の玉の現出するときには、必ず死人があるから、火の玉は死人の魂が現出したのであると唱ふることであるが、たとひ鴉聲と人死と同時に起り、火の玉と人死と前後して起ることが有つても、之を直に乙は甲の原因と斷定すること
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は出來ぬ、余は此出來事に就いて毎度話すことだが、實際上に於ては鴉の鳴聲と人の死と一致することが有る、然し是れは天氣が二者の原因になつて居ると思ふ、鴉は人の死を知つて鳴くのにあらざるも、天氣が俄に變り、晴れたる空が急に曇つて陰鬱となり、寒暖氣壓共に激變せる場合に鳴き出して騒ぐものである、之と同時に長く病床にある病人も斯る天候激變、天氣陰鬱の時に絶命するものである、依て余は鴉は天氣に向つて鳴き、人は天氣によつて殺さるゝのであると申して居る、火玉と死人との場合も之と同樣にして、火玉の現出するは必ず長く晴天續きて將に雨降らんとし、風なくして夜氣沈靜であり、低氣壓を起せる時に多いものである、人の死も斯る時に多く起るものである、いづれも其の間に天氣が加はつて居るに相違なきも、其の内容を問はず、表面だけを見て判斷を下す為に妖
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怪迷信が多くなる、是れ皆論理に暗く、因果の關係を知ることの疎なるより起る迷信である、
先年丹後國中郡三重村字谷内本城某は幼少の時蝸牛を多く捕へて食せし由なるが、或る時過つて左手の人さし指を傷つけ、遂に其の爪脫けてしまうた、其の後生え出でたる爪は一種奇怪なる形を有し、其の兩側に蝸牛の角の如き二爪を見るに至つた、人皆之を見て蝸牛の祟なりと申せし由、餘り簡單過ぎたる判斷であるが、つまり論理の力の幼穉なる結果であらう、
一昨年東京府下荏原郡大井町小學校に奉職する教員が六年間に五名まで肺病に罹つたさうだ、而も其の中の三名は教室にあつて死亡したとかにて、忽ち幽靈教室の名が傳はり、安心して教鞭を執るものがないとのことを聞いた、何か不吉の事が二三度續くと、忽ち妖
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怪騒ぎ迷信沙汰を起すのは、矢張り論理力の薄弱なる為である、
第五十段 迷信の原因(偽怪)
經驗に乏しく論理に暗き為に、妖怪中に偽怪誤怪が頗る多い、偽怪とは偽造したる妖怪の意味で、人が故意に作る妖怪のことだ、其實例としては拙著『妖怪百談』及び『お化の正體』中に色々の例證を掲げて置いたが、其の外にも澤山ある、左に二三例を舉げて置かう、
數十年前三河國渥美郡田原町の靑年が、或る夜其の町外數丁離れたる處の寺院に集つたことがある、其の堂後に墓場がある、其の中にて一種變りたる異樣の古墓が最も奧の方に立つて居る、此墓には幽靈が出るといふ評判がある、此に集りし靑年が座談に時を移し、
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夜も深更に及んだ、其の時申し合せて今夜鬮引を行ひ、中つたものは評判の幽靈墓を見届けてくることに致さうといふ相談になり、一人其の鬮に中り、怖いながら行かざるを得んことになつた、果して見届けたか否かをためさん為、繩を持參して墓を縛して歸る約束であつた、丁度其の時隣室に小僧が居て、其の事を聞くや否、前以て其の墓の背部に隱れて居たさうだ、然るに鬮に中りたる靑年は恐る恐る其の墓の前に至り、仰ぎ見れば幽靈も化物も居らぬから、安心して持參せる繩を以て墓を縛せんとする途端に背後に隱れて居たる小僧が墓の上より手拭をおろした、其の手拭が顔に觸れると靑年は大に驚き、幽靈が出たと叫びつゝ逃げ出したといふ話がある、論理の幼穉と意志の薄弱なる為に斯る人為的妖怪も起るやうになる、
先年大和國某村に惡戲にて人を驚かすことを好む兒童があつて、
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西瓜にて燈を造り、又は燈火に芋の葉をかぶせて偽人魂を作り、之を墓場や森の中に懸けて人を驚かせし話がある、又岡山縣阿哲郡の禪僧某がむかし禪堂に居りし時、塵紙を一枚顔に張り付け、兩眼と口の處だけ切り拔いて暗處に立ち、度々人を驚かせし話を聞いた、
此等は好奇心より出でたる惡戲に過ぎぬが、實際利欲心より造る偽怪が澤山ある、幸に經驗に富み論理に長じたものは、其の偽怪たるを看破するけれども、然らざるものは全く欺かれてしまふ、此に看破された一例を舉ぐれば大和國永濱某氏の報道に、
某家の子息不快なりしが、其の母偶々之を易者に問ふ、易者筮竹を捻りて鑑定して曰く、此の子息の病は地主荒神の祟なり、宜しく宅地を清淨にし、祠を建てゝ祀るべしと、主人笑つて曰く、何ぞ此の宅地に地主荒神のあらんや、地主とは予の事なり、予は此
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の宅地の所有權を有す、而して未だ曾て法律に觸れ公權を剝奪せられしことなく、堂々たる一個の公人なり、地主荒神は宅地所有權を有せず、租税を納めず、何ぞ地主と云はんや、獨り予は公然たる宅地の地主なり、若し地主を祭るならば請ふ予を祭れと、易者一言も發せず、其の儘何方へか逃れ去れりと、
又愛知縣にて聞きたる話に、或る淫祠をなすものが醫師に向ひ、我が神に祈れば、人を活すことも殺すことも自在に出來ると云ひたれば、醫師がそれならば互に其の力をためして見よう、神の力が強いか、藥の力が勝つか、之を試みるには、貴方は神に祈つて余を殺すやうにせよ、余は毒藥を飲ませて貴方を殺してやらうと申した、さうすると淫祠家は閉口して逃げ出したとのことだ、
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第五十一段 迷信の原因五(誤怪)
次に誤怪とは人為を以て偽造せるにあらずして、偶然妖怪にあらざるものを誤つて妖怪を見留めた場合をいふので、世間の妖怪中には此の種類が殊更多い、其の中に原因を發覺したのは至つて少く、分らずに終るのが非常に多い、其の實例は『お化の正體』の中澤山掲げて置いたが、其の書に漏らせるもの一二を舉げることにしよう、
或る民家にて夜中拍子木の聲が起り、深更になるほど強く聞え、殊に雨の降る夜に多い、之を狐狸か化物の所為と思うた為に、妖怪沙汰となつた、後に詮議の結果其の家の井戸に、井戸側の途中、横より雜水を漏らせる所あつて、其れが井中に落ち、彼の音を生ずることが分つたといふ話がある、又或る人が他家に宿りし際、深夜に
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お賴み申しますの聲が幾回となく聞えて來るも、誰一人起きて出るものがない、依て自ら起きて戸外を窺ふに人の影だもない、再び寢に就けば又同樣の聲がする、依て又起きて窺ふに更に人の來りし樣子がない、是れは所謂狐狸の所業と思ひながら、其の側の戸に隙間が明いて居るのを見て、シッカリ閉ぢて寢に就きたれば、お賴み申すの聲がせなくなつた、よくよく考へ見れば其の夜の強風が戸の隙間へ強く吹き込む響を誤認したことが分つたさうだ、
栃木縣那須郡那珂村にて聞く所によると、某家の庭前に、晴天にて一點の雲なきにも拘らず、雨が降るとの評判が傳はり、妖怪の所為の如くに申し立つるから、校長が取調べに出懸けたるに、其の庭内に樫の木の茂りたるのがあつて、其の下に雨の降りたる痕が見えて居る、竿を以て枝を動かせば雨の如きものが落ちて來る、依つて
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其の枝を折り取つて檢せしに、葉に蟲が付いて居、其の蟲より排泄せるものなることが分つたさうだ、之と同樣の話が他地方にも起つたことがある、
江州草津と大津との間に數年前新たに石山驛といふものが出來て間もなく、深更の汽車が未だ停車場に達せざる中に、數個の電燈が並立せるを見、已に驛に達せしものと思うて停車して見ると、全く湖畔の田間であつたさうだ、其の當時の風説には狐狸の所為に相違ないとの評なりしも余は矢張り湖面の方に濃霧があつて、數丁隔りたる停車場の電光が返射せる誤怪ならんと思うて居る、
今日でも誤怪頗る多いから、昔時の多いのは當然だ、むかしの誤怪としては舊い隨筆などに澤山見えて居るが、此に妖怪百談の巻初に掲げた『雲樂見聞記』の天狗話は頗る面白いから、再錄して置きた
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い、同書は文化年中の事實談を集めたる寫本である、
寛保の末つかたの事なりしが、江戸橋茅場町に有德なる商人手代年季の者まで十二三人も召使ひ、何闇からず暮せしあり、子供三人まで持ちしが、二人は早世して、當時獨り息子にて、利發の生れつき、親達の寵愛大方ならず、月よ花よと樂しみありし時に、此の息子一體器用にて諸藝通達し、中にも平生圍碁を好み、只是にのみ心を委ねけるが、あまりに心を勞しける故にや、不圖煩ひ付き、勞痎の如く引籠もり人に逢ふ事さへ厭ひける、仍つて兩親心遣ひして、醫療さまざまに盡しけれども、更に驗なし、しかるに親類の内より、此の病體に妙を得し醫師を伴ひ來り、此の藥力にて仕合に段々と平癒して、今は常體の通り全快せしかば、兩親の歡び飛び立つ計り、連りし人々召使等まで萬歳を唱へけり、此の
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病體全く碁に懲りかたまりて夫よりの事なれば、碁は先づ止めにして、氣を轉ずる事よしと、歌三味線にかへしなり、息子の友達寄り集ひ申すやう、我等二三人申合ひ、遊山がてら箱根へ湯治に赴く催しなり、貴所にも保養のため連は我々なれば、同道然るべしと勸めけり、成程宜しかるべしと親達へ達せしところ、行き度くば兎も角も心任せにとある故に、早速相談極り出立の用意とりどりにて、支度調ひ發足しけり、程なく彼地へ著せし處、連の内に病人とてはなし、何れも保養の事なれば、湯は附けたり淨瑠璃三味線のみにて毎日の樂しみ言ふ計りなし、連の内にて申し出しけるは、此の土地に地獄といふ所ありと聞く、見たしと言ふより、然らばとて各々連立ち行く、此の節かの息子をも勸めしが何思ひけん、行くまじとの事なり、よりて後へ殘りける、地獄廻りに行
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きし人々は、歸りて其の咄などして興じける、夫より一兩日過ぎて息子不圖思ひけるは、皆々地獄を見物せしが、何とかして其の節は行かざりしが、爰へ來て見ざるも殘り多ければと思ひ、友だちにも咄さず、供をも連れず、唯一人地獄をさして赴きしが、人にも問はず、心拍子に五七町の事なるべしと思ひ、出でしところ、道を取違へ行きしが、問ふべき人にも逢はざれば、是まで來り空しく歸らんも如何、行きつかん事は餘も有るまじと行く程に、日は夕陽に及ぶ、空腹にはなる、こは如何にと遙の岳に上り見渡せば、幽に五七軒の家居の見ゆる樣なれば、何にもせよ、あの人家まで行きつくべしと、方角は分たねども、若しくは三島の邊にても有るらんと思ひ、先づ其方を心がけ行く程に、仕合と其の里と見えし所もほど近く、二三町にも見えければ、道を急ぎて漸くに
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彼所に來り、こゝ彼所と五七軒を見れども、餅團子を賣る體の家も見えず、如何にすべしと立ちたりしが、兎ある家に五六人集りて碁を打ちて居る内へ這入り、御免下され火を一つ借用と、空腹にて煙草機嫌はなけれども、寄り付く潮に言ひければ、安き事とて差出す、忝なしと火をかり、腰打かけて居れども、何國にもある習ひ、碁に打懸りし人は勿論、見物までも碁に見とれ、かの男に挨拶する者も咎むる者もなし、然るに我も元來好きの道なれば其の盤面を見るに下手どもにて、心の内に腹を抱へる程の事にてありしが、じつと押ひかへて居りしが、碁を打終りければ、彼者申す樣、あなた方には能き御慰みなりと申しければ、皆々申すやう、其許は何國の人にて、何とて爰へは來られしぞと問ふ、答ヘていふやう、拙者は江戸表の者、箱根へ湯治に來りしが、地獄を
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見物せんと出でしが、道に踏み迷ひ、斯の仕合なりと答ふ、夫は氣の毒なり、早暮も近ければ湯本までは歸られまじ、貴方も碁好と見えたり、一ばん打ち給へとあるを、仰せの通り好きには候へども、下手にて候と例の卑下の言葉に、下手と有りても江戸衆のことなれば、左は有るまじ、我等御相手仕るべしと申すに、一人進み出で打懸りしが、まづ客なればとて白石を渡し、打ちけるところ二目の勝なり、どれどれ我等替るべしと入りかはり打ちし處、又此の度も二目の勝となり、中に氣の付く者申すは、御客は知らぬ道を迷ひあるき、嘸空腹にも有るべしと有合の膳を出す、此方にも望む處なれば、辭儀に及ばず、所望して先づ腹内も丈夫になり、さて皆々申すやう、先づ今宵は爰に止宿ありて打ち給へとて、新手を入れ替へ、七人を相手として打ちし處、甲乙なしに皆二目
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の勝となり、此者ども膽を消し、誠に希代の碁打かな、迚も我等が相手にはならず、先生を招き打たすべしとて、其の内より一兩人迎ひに行く、此の先生といふは、此所より十町程脇に住み、業は醫師を立て、近鄕に續く方なき碁打と沙汰して、此の者ども皆かれが門弟なり、依りて五里十里脇よりも聞き傳へ、好きなる人は打ちに來るとなり、彼の者共の告によりて、先生は取る物も取敢ず此所へ入り來る、其の形相、年の比は六十有餘とも見えて、白頭の惣髮、髯も白く、眼中尖くして、衣類は絹太織麻黄小紋の單者、縮緬の羽織を著し、朱鞘の大小を横たへ來り、珍客の御入來とて招きに應じ參りたりと、座中へも挨拶あり、客人へも初對面のあいさつ終りて、さて圍碁を致さるゝ由、御相手になり申すべし、承りし處殊の外御能達のよし、まづ初めての事なれば、互
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先にて參るべしと、口には言へど心には何のへろへろ碁、只一番に打ち潰し吳れんずと思ひ、盤面に向ひ始めし處、さしたる好味の手も見えねども、良もすれば危き事度々なり、負けては濟ますと一世の肺肝を碎き打ち上げし處、先生の方一目の負となり、依りて先生も途方に暮れて言葉なし、然れども碁の家筋といふにも非ざれば、是非なく客の方へ白石を渡し、自身は黑石を取りて打ちけるが、又一目の負となり、夫より段々一目宛置き上げ打ちけるに、兎角して各一目宛の負となり、是非なく聖目置き、是にてはいかないかな負ける事あらじと、一生懸命と日頃念ずる神々へ心願こめて打ちけるに、相替らず一目の負となり、先生始め有り合ふ人々興を醒し、口を閉ぢ、互に顔を見合せ何に譬へん方もなく、茫然たる有樣なり、斯くする内九ッ過にも成りければ、先づ休み
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給へ、明日湯本へ送るべしとて、其夜は止宿致させ、翌日になつて右の者ども四五人にて道を送り行く程に、兎ある所にてあの見ゆる所湯本なれば、この道筋を直に行けば出づるなりと能々教へ、御緣あらば重ねてと暇乞して別れけり、それより湯本へ歸りし處、旅宿にては大騒ぎ、大切の預り息子昨日より出でて歸らざれば、手分して尋ぬるといへども、地理をも知らぬ他國の事、何れを何國とわかつべし、連の者どもはみな立懸りて、彼の息子を叱るやら悦ぶやら、泣くやら笑ふやら、生死の程も知らず、江戸へ飛脚を立つべしや、何と言つてよからうと、兎や角と皆打寄りて心勞せしこと幾許ぞや、かやうなる迷惑なる目に逢ひし事、是まで覺えず抔と口々に言ひ立てられ、誤り入りて居たりしなり、然れども先づ別儀なく歸られしと悦び、後は笑になりて事濟みぬ、其の
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後の言ひ合せに、歸府しても此の沙汰は一向無言の申し合にて、湯治も相應して彌堅固にありしなり、時に其の翌年に至り、其の時節に成りければ、右の友達訪ひ來り、去年の入湯相應せし事なれば、今年も又迎ひ湯に立越えんと思ふなり、貴所には思召これなきやと勸めければ、それは望む處なりと親達へ申しければ、兎も角もとある故に、去年の通出足せり、彼地に至り四五日過ぎ、彼事を思ひ出し、まかるべしと誰にも相談せず、或日立ち出でしが、過ぎつる比は難儀せしことなれば、今度は能く覺悟して食物等を用意し、彼道に赴き、成程彼樣なる所も有りしと心にうなづき、道の分りの覺束なく思ふ所は枝折し、又は鼻紙取出し引裂き結付け、又は矢立をとりて石抔へ書き記して行く程に、去年の出でし刻限より早く出で、殊に食事は慥なり、道には見覺え等もあ
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れば、前に三島にても有るべしと見極めしところの岳へは晝時分に至りぬ、夫より彼所へ行きしは晝過にて、其の邊の家居を覗き居れども、碁を打ちて居る家も見えず、そこか此處かと見廻る内、一軒の家居こゝらにて有るべしと思ふ家を見れば、まづ取付に一間ありて、其の次に廣き中庭の體にて土間あり、其所の眞中に、一間半四方程の茅葺の東屋を建て、此の内に四五尺四方、高さ三四尺許りに土を持て築き上げ、其の上へ碁盤を置き、盤の上に碁器を二つならべ、軒には七五三飾り、賽錢箱を置き、此の家へ這入り、火を借用申し度しと言ひ入る内に、六十ばかりの老人一人ありて、外に人も見えず、心安き事なり、腰かけてゆるゆる休まるべしと、茶など與へければ、言ひ寄る潮に時候の挨拶して、其の上申すやう、昨今ながら承り申し度き事の候、向ふの方にかざ
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り置かれしは碁盤碁器と見えたり、自餘と違ひ神前のかざり付のやうに見え候は、如何の事なりと不審しければ、主答へて、尤の御尋ねなり、是にこそ仔細あり、此の邊に一人の碁打有つて、名人の名を取り、近在近鄕に並ぶ人なし、依つてこの人自讃に慢じて人を侮り、我ならではと思ふ心絶えず、人々憎む程なれども、誰あつて足元へも寄り付く事も叶はねば、此の道を好む者は門弟となりて指南を受け、上見ぬ鷲の所業なりしが、去年今時分にもあらん、丁度貴樣のやうなる人、何國よりともなく忽然と來つて、かれと碁の勝負あり、續けて十番まで負けられ、夫より後はぐうの音も出ず、其の節人々申す樣、是は全く只ごとならず、先生餘り高慢なる故に、かれが鼻を挫がんと、天狗さまの人に化けて來られし者なるべしとの評判にて有りし、それより後、所の者是非
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とらねばならぬと思ふ無盡か、勝たねばならぬ相撲、何によらず勝負の願には、此の碁盤へ向ひ祈るに、勝たずといふ事なし、はてさて其の筈なり、目前天狗さまの御手に觸れられし事なれば、其の筈の事なりと、勢ひに懸つて物語る、故に其の天狗は我なりとも言はれず、口を閉ぢて歸りしとなり、
右樣の誤怪は最も世間に多いけれども、其の原因の發覺せられざる為に眞の怪物となつて後世に傳はるやうになる、
第五十二段 迷信の原因六(學理)
世に偽怪誤怪が非常に多いのは、經驗が狹く論理が明かでないに依るといふが、其の實學理に暗いといふことになる、人若し學理に
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暗ければ必ず道理あることを直に理外と思ひ、思議すべきことをすぐに不思議と信ずるやうになり易い、隨つて誤怪が起り、又之に附け込んで偽怪を造るものも出て來るのである、殊に物理的妖怪、心理的妖怪に至つては全く學理の不明なるより起つて居る、故に余は此二者を假怪と名づけて眞怪の中へ加へぬ、例へば墓場に夜中靑色の火が燃え上ることがある、是れは燐火にして物理的妖怪と申すものだが、學理を知らざるものは眞に幽靈が地上より現はれた如くに思ひ、幽靈火と申して居る、又民間にて狐が化して婦人になつたといふ話があるが、是れは人の幻覺より斯く見ゆるのであるから心理的妖怪なれども、學理を知らざるものは眞に狐に靈妙の作用があると思うて居る、夫故に學理に通ぜざるのが迷信の原因なることは明かである、
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余が曾て德島縣小松島町に至りし時、其地に天狗寺があることを聞いた、今より數十年前、其の寺の住職が夜中過に起き出して、境内の一隅に立つて居る鐘樓の屋根の上にあがつて居た、家内の者翌朝始めて之を知り、大騒ぎして住職を屋根の上からおろしたが、本人もドウして其處へ上つたかを全く覺えぬ、此の出來事より住職は天狗に伴れ出されたとの評判になつた、若し之を學理に考ふれば心理的妖怪にして睡遊の一種であらうと思ふ、睡遊とは睡眠中起きて出遊しながら自ら覺えざる舉動をいふ、彼の住職は睡遊を現したのに相違ない、尤も其の鐘樓の屋根は、梯子なしに上ることは出來ぬけれども、其の傍らに樹木があつて此の木より枝によつて行けば、屋根に上ることが出來る由なれば、必ず夢中にて其の方法を取つたに相違ない、此の話は學理を知れば怪しむに足らざる出來事も學理
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を知らざる為に妖怪不思議と速斷し、種々の迷信を誘起するの一例を掲げたのである、
心理的方面のみならず物理的方面にも之に類したる話が多々ある、其の實例は前に再三掲げて置いたけれども、更に一例を舉ぐれば、水中にて溺死せるものを陸上へ上げて横臥せしめた場合に、若し血族の者が尋ね來れば、必ず鼻血を流出して無言の答を為すといふ話は何方にても申すことだが、之を死者の靈が斯る作用を起すと迷信して居るものが多い、然し若し生理學上より考ふれば、水中にて苦悶せし間に、鼻孔の内部の血管が破裂し、陸上に横臥中に其の血が蓄積されて居る、夫故に何人が來て其の體を動かしても流血する筈なるも、親戚の者の來るまでは誰も觸るゝものがない、愈々血緣あるものゝ來つたときに屍體を動かさしむる為に流血を見るのである、
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其の證據は先年佐渡の小木港に溺死したものがあつて海岸に其の儘横臥させて置き、親戚の方へ通知を出したるも未だ來らざる内に巡査が檢屍に來り、其の體を起せと命じたる時に、鼻孔より流血したといふ話がある、然るに其の巡査は全く溺死人とは親戚の關係なき人であつたさうだ、是れは物理上の學理を知らざる為に起る迷信の一例である、
第五十三段 迷信の原因七(好奇)
我々人間には生來奇を好み不思議を喜ぶといふ性質があつて、其の為に自然に妖怪を多くするやうになる、すべて妖怪談は一人より二人、二人より三人と傳はれば傳はるほど、談が大きくなり、針小
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なることが棒大をなすに至るものだが、是れは全く人に好奇心があるからだ、前に偽怪の談をしたが、偽怪中に己に利益ないことを偽造して人を驚かすなどは、無論好奇心があるから起るのである、又他人が偽怪に迷はさるゝのも好奇心がある故である、
昨年岡山縣巡講中に直接に聞いた妖怪事件がある、余は其の當時の事を目撃せぬから、何とも斷言は出來ぬけれども、只余の想像にては好奇より起つたものではないかと思ふ、其の怪事の顛末は左の記事に書いてある、
明治廿一年五月十五日、岡山縣美作國眞島郡下方村妹尾與一郎氏方にて一の牝猫を産す、之を名づけて縞と云ふ、同年十月廿四日同縣備前國津高郡井原村土居敬一之を貰ひ受け、常に之を慈愛養育す、當三月下旬其の大きさを計るに、頭より尾元に至る迄、長
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さ一尺二寸五分、高さ六寸、方言「ゴンボウ」と稱し、尾の長さ僅に一寸三分、尾端右方に曲りて恰も鉤の如し、重量五百八十目、毛色黑く、光澤ありて美なり、たゞ口の邊より腹部を貫き、後足内方及び四肢共に白色にして、所謂白黑二毛の猫なり、月を經ること茲に十一ヶ月、其の外貌性質に至りては常猫に異る所なきが如く、遊戲捕鼠も亦常猫に異らず、然り而して同人に一女あり登美と云ふ(茲年十一歳九ヶ月)、愛撫到らざることなし、縞亦登美に馴從して能く其の號令を聽き、登美の問に答ふるが如きに至りては獨り他猫に異なる所なり、而して縞は能く旣往を察し、未來を知り、怜悧にして又能く教を受く、字義を解し、數理を了り、義を守り理を辨し、又能く人をして勸善懲惡の觀念を起さしむ、今其の斯の如きに至りたる理由を詳かにすること能はずと雖も、其の履歷を
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序すること左の如し、
扨て登美は此の縞を愛撫すること怠らず、偶々二十一年十二月三十一日登美縞に向て戲れ云ふ、明朝は家族一同改陽の祝辭を陳ぶべし、縞も亦共に祝せよと、之に教ふる者の如し、一月一日例の祝辭を陳ぶるの際、縞ニヤアニヤア數聲を發し、以て祝意を表するに似たり、是に依つて暗に前日の教に符合せるを以て、一場之を歎賞し、愛情前日に倍せるが如し、汝は能く教を受くること此の如し、汝の敏智感ずるに餘あり、汝は今年は幾歳になりしやと、縞ニヤアニヤア二聲を發し、二歳なることを示すに似たり、登美は益々感じ、且つ驚き、且つ喜ぶ、然らば去年は幾歳なりしやと問へば、一聲之に應ず、然らば汝は舊曆にては幾歳なりしやと問へば、一聲之に應ふ、舊曆の正月來れば幾歳となるやと問へば、二
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聲之に答ヘ、其の能く新舊兩曆の異なる處を察す、此に於て新曆にては汝は幾歳なりや、舊曆にては幾歳なりや、去年は幾歳なりしや、汝は去年生れしや今年生れしやなど、種々樣々の問を發するに、只だ一聲の下に之に應じ、一も誤り答ふることなし(登美の問ふに非ざれば應答せず以下皆然り)然らば汝は數を知るべし、之は幾本の指ありやと手指を示せば、發聲其の數に應ず、彼の皿は幾枚ありや、此の書物は幾冊ありや、此の筆は幾本ありや、此の扇子は幾本ありやと問へば、十數或は數十を以て數ふる多數を示すも、必ず之に注目を要せずして發聲之に應ず、或は前夜鼠幾匹を捕へしやと問へば、聲其の數に應ず、會々紛失物あるときは其の物品所在の方位遠近等を知り、或は病者ありて其の病狀を問ふに輕重を示し幾日幾週を經ば全快す可し、又は快癒の目的なし、或は某の實子、幾人あ
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りて、某の年齡は幾歳なりや誰には幾人の子あるや、尚ほ是より後出産ありや、其の生るゝ子は男なりや女なりや、今年あるや來年あるや、今年なれば二月か三月か何月なりやと問ふに、其の恰當せる月にて發聲す、或は穉兒の泣きをなせと命ぜば、卽ち之をなし、歌へと命ぜば長聲吟朗之に應じ、犬は如何に哮ゆるやと問へば、聲其の犬に擬し、讀書の聲に摸し、唱歌の音に眞似ぶ、或は又一書を翻して或る文字を指示して之は何々、之は何々と其の字音或は訓讀に問ふに、誤り讀むときは決して聲を發することなしと雖も、其の正讀する毎に發聲して其の正讀たることを示す、又文久錢數個を示し、之が幾厘ありやと問へば、聲其の數に應じ、天保錢一個を示し之は幾厘に通用するやと問へば、八聲之に應ず、或は五厘銅一錢二錢五錢十錢廿錢等の通貨を混合して、總計幾錢
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ありやと云へば、亦聲之に應ず、數種の貨幣を千變萬化取捨混淆し、之を手中に匿し、金員を問ふに過つことなし、我れ其の何たるを知らざるなり、江湖の識者乞ふ之を訂せよと云爾、(明治二十二年三月下旬、土居敬一識)
何人も此の記事を讀み來らば、眞に靈猫と思ふであらう、然し其の猫は少女の膝の上に置かなければ答を發せぬのである、若し眞に猫の心より應答するならば、膝を離しても應答しさうなものだ、因て是れは少女の心にて斯く答ヘさせたいと思ふときに、膝の運動にて其の思ひが猫に傳はる、猫は何等の心なく、只其の運動を感ずる毎に聲を發するやうに習慣が付いて居ると解釋せなければならぬ、丁度むかし流行せしコツクリ樣と同樣である、然りコツクリ樣は無意識的に運動が傳はることが多いが、此の猫の場合は意識的であら
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うと思はる、されば何の目的あつて少女が意識的に猫に運動を與へるかといへば、つまり好奇心より人の驚き且つ不思議に思ふのが面白いと感じた為であらう、然し確實なる論斷は實地に就きて觀察するにあらざれば下し難い、
第五十四段 宗教の眞相一(運命)
以上已に知識の方面より起る原因を大略述べ終りたれば、是より運命に迷ふより起るといふ方を説きたいと思ふ、知識の方面は教育の受持なれば、若し其の方面より迷信を減ぜんと思はば、學校教育を今一層普及して、理化博物の知識を進め、且つ論理力を高むるやうにせねばならぬ、其の外に前に一言せしが如く、迷信の種子は家
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庭より授かり、肥料は社會より與へらるゝから、教育の範圍を擴大して、家庭及び社會に及ぼさねばならぬ、斯くして知識上より迷ふ所のないやうにしても、決して迷信がなくなり盡すものではない、何故なれば人には運命に迷ふといふことがある、運命とは何ぞやといふに、此の世の中には己れの利害に關して、意の如くならざることが多い、何程知識が進み、學理が明かになつても、己れの思ふ通りに人生の境遇を動かす譯には行かぬ、例へば我々は苦を避けて樂を得たい、禍を轉じて福となしたい、病氣災難を遁れて無病息災でありたいと望んで居るけれども、決して己れの力にて望み通りにすることが出來ない、又善事をなせば仕合を得、惡業を犯せば不幸に遇ふといふけれども、是れも決して我々が期する通りに行かぬ、此くの如く我意を以て自在に動かすべからざることを運命と名づけて
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居る、
迷信は知識の外に斯る運命に迷ふより起つて來るといふのは、我身には何故に病氣があるか、我家には何故に不幸があるか、己れに顧みて何等の惡事をなせし覺えなきに不幸災難が續々起つて來る、是れ何の原因によるか等の惑を起す、是より種々の妄想をゑがくのが、慥に迷信の原因となつて居る、
教育家は必ず知識が進み、道理が明かになれば、迷信はなくなるに相違ないといはんも、幾分か迷信が減ずることは出來ても全く無くなることは難い、又世の中の人をして盡く高等教育を修めしめ、迷信の起らぬ程度まで知識を向上せしむることは、決して出來るものではない、又世の中には順境と逆境とのあることを忘れてはならぬ、若し逆境に向ひ、不幸計りが續いて起るときは、知識の進みた
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るものでも運命に迷ふことを免れない、或は又死活問題に關する一大事に遭遇する場合には、學者と雖も多少の迷を起すに至る、曾て余が上州榛名山に登つた時、榛名神社を參拝した、其の時聞くに、毎年法科大學卒業生が文官試驗の準備の為とて榛名の町に多數下宿するが、其の中には神社に試驗の合格を祈願するものが隨分あるさうだ、試驗に及第せんとする場合猶ほ然り、愈一死一生の大事に至らば人力の微弱を自覺し、運命に向つて訴ふることになると同時に、多少の迷信を起すものである、
斯る運命に對して迷信の起らぬやうにするは、教育の受持にあらずして宗教の受持であるから、是より宗教に就いて述ぶることにしよう、
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第五十五段 宗教の眞相二(絕對)
迷信は運命に關係し、運命は宗教に關係すといふときは、宗教と迷信との關係に就いて一言せなければならぬ、世人或は宗教其物が迷信なりと主唱するものがあるが、余輩は今日の宗教中には迷信が混入することを知るも、宗教其物を以て迷信となすことを許さぬ、先づ此の二者の別を述べて置かう、
迷信は道理に背き學理に反する性質を有するものにして、宗教は道理以上學理以上に根據を有するものである、例へば鬼門を侵せば祟りを受けるといふは迷信である、何故なれば鬼門を侵せば其の方位に居る鬼が禍害を與ふるとの説なれども、今日の學問にては鬼門の方位に鬼の住せざることを證明してある、若し又其の鬼は無形無
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色にして、目に見るべからずとするも、何故に斯る鬼が東北隅に限つて住するや、全く道理なきことである、故に鬼門説の如きは學術も論理も共に許さゞる所である、
民間にては丙午の年には大火がある、丙午に生れたる女子は男を殺すと申すが、是れは迷信である、丙も午も五行の方にては火氣の熾んなる方なれども、五行其の物が支那の妄説であり、且つ之を年月に配當するは單に無意味の符調に過ぎざるものである、然るに人生の禍福の運行が斯る無意味の干支に依て支配さるゝなどは學説論理共に許さゞる所である、又友引の日に葬式を行へば死人が續くといふことも、無意味の妄説なること明かである、
神佛に對し迷信が混入して居る例は多々あるが、勸業銀行の千圓の鬮に中るやうに神佛に祈るが如き、米田の害蟲を驅除せんことを
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神佛に願ふが如き、神佛の力によつて傳染病を防がんとするが如きは、迷信の大なるものである、其の他愚民の神佛を崇拝する本心は大抵皆息災延命無病福利の祈願に外ならぬ有樣である、依て我邦現今の宗教は迷信を以て滿たされて居ると申して不可なきも、宗教其の物が迷信といふことは出來ぬ、
果して然らば宗教の根據は何れにあるかを説明せなければならぬ、迷信は道理に背きて非道理に本づくものなれば、背理的性質を有すれども、宗教は道理以上に根據を置くものなれば、超理的性質を有することになる、其の所謂超理的本體は已に相對的現象を超絶せるものなれば哲學上之を絶對と申して居る、其の絶體已に絶對なれば、我々の經驗も知識も論理も到底及ぶ所ではない、卽ち眞の不可思議である、斯る絶對の實在するや否やを證明するは哲學にして、之を
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人界に應用して、人心を安逸ならしむるは宗教である、而して神佛其の物は宗教方面に現立せる絶對の本體に與へたる名稱であるから、もとより不可思議である、超理である、夫故に背理の迷信とは同日に論ずることは出來ぬ、
第五十六段 宗教の眞相三(信仰)
背理のものを道理あるが如く誤つて信ずるを迷信とするから、宗教の如き超理的絶對を信ずる方は正信といはねばならぬ、是に於て信仰に迷信正信の二者あることが分る、偖て此の宗教上の信仰、卽ち正信と知識との關係も一言するの必要がある、凡そ我々人類には其の中心に、知識と信念との二者が具つて居る、知識は我心が動的
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となつて、相對より進んで絶對を知らんとする方の作用にして、信念は我心が靜的となつて、絶對の消息を受けて感ずる方の心狀である、依て向上的知識は動的理性にして、論理上絶對に接觸する方にして、宗教的信念は靜的理性にして、實行上絶對と一致する方である、前者は理性の眼にして、後者は理性の足と申しても宜い、故に知識は動的にして、其の結果は却つて靜的である、信念は靜的にして、其の結果は却つて動的であると申さねばならぬ、而して學術は知識に本づき、宗教は信念に本づくの別がある、然るに迷信は知識の誤認にして、信念の誤用である、此の點に於て學術とも相違し宗教とも矛盾することになる、
今日の諸學中絶對の實在を論究するものは哲學に限る、故に哲學と宗教とは兄弟同樣の間柄なるも、哲學は論理の上に空漠たる絶對
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を認識するに止まり、之を掌握することが出來ぬ、然るに宗教は我心と絶對の融合一致することを説く、隨つて宗教の絶對は空漠にあらずして、具體的のものとなる、何故に同一の絶對が斯く狀態を異にするかといふに、余は之を理門と信門との相違と申して居る、哲學は論理の窓より絶對を窺ふによつて理門認識の絶對といふべく、宗教は信念の手にて絶對に觸るゝによつて、信門建立の絶對といふべく、隨つて兩者の相違が起るに至るのである、
今日の倫理は科學の一となり、經驗に重きに置く為に、世界の本源實體に訴へて絶對に接觸することを説かざれども、人心中に經驗を超絶せる至高至善の感想の起ることは許して居る、之を先天の命令と名づけて置く、是れ慥に宗教的絶對の端緒なるも、絶對の面目に接したるものではない、先天の命令は絶對の聲に過ぎぬ、其の聲
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を聞いて未だ其の光を見ざるのが倫理の境遇である、是れ信門を開かず、心内の戸を隔てゝ絶對を感ずる故であらう、余は之を盲目的絶對と名づけて置く、然るに宗教は絶對の聲を聞くのみならず、光を仰ぐことが出來る、卽ち盲目にあらずして明眼を具したるものとなる、是れ畢竟信門を開きて絶對關内の光景に接觸する故である、
以上述ぶる所により、哲學と宗教の相違及び倫理と宗教の異同の一端を窺ふことが出來るであらう、其の委しい説明は今此に論ずべき問題でもないから、他日起草せんとする宗教新案に讓つて置く、
第五十七段 宗教の眞相四(良心)
更に迷信と宗教との相異なる點は、迷信は背理なる上に利己的に
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して且つ非倫理的である、何となれば一身一家の貧苦病患災害を除いて、富貴財寶壽福を得んとする一念に外ならざるものである、一身の苦樂を捨てゝ社會の福利を求め、一家の利害を顧みずして一國の安寧を計るといふが如き道德的觀念に、毫も迷信中に見ることが出來ぬ、つまり迷信は利己的私情的のものである、然るに宗教は公益博愛を本とし、たとひ自利を説くも、利他を目的とする自利にして、徹頭徹尾道德的である、若し之を我々の心情の上に就いて言はば、迷信は私情に本づき、宗教は良心に本づくの相違がある、夫故に迷信は曇りたる塵心より生じ、宗教は明かなる眞性より起り、一は煩惱の雲にして、他は眞如の月との相違あることを知らねばならぬ、
宗教が良心を本とする點に就いては、倫理と同一に歸するやうな
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れども、此の二者の間に亦相違がある、倫理は我心中にやどれる良心だけを説いて其の外に及ぼさぬ、然るに宗教は我々の心中にのみ良心あるにあらず、世界にも良心がある、天地にも良心がある、我々の有する良心は小なるものにして、世界に備はる良心は大なるものである、人の良心は動き易く變り易く、其の力微弱なるものにして、世界の良心は確乎不拔、泰然不動、偉大なる勢力を有するものとし、吾人は我が微且つ小なる良心を此の偉大なる良心に一致結合せしむることを教ふるのが宗教である、要するに此の點は又倫理と宗教との異點にして、併せて教育の修養法と宗教の修養法との異なる所である、
若し更に一步を進め、如何なる論據によつて宗教にては世界的良心を立つるかといふに、宗教の信門に現はるゝ所の絶對は世界の本
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體にして、其の本體は我感覺にて觸知する如き物質的のものにあらずして、精神的のものであるべき筈である、斯く考へ來らば世界に大精神あることを知り、我々の心は小精神なることを自覺するやうになる、而して我々の小精神中に雜念と良心とがある、雜念は物質的欲によつて誘起せられたる塵心にして、良心は本來純良なる眞性である、之と同じく世界の大精神にも不純良なるものと、純良なるものとがある、其の純良なる方が世界の大良心である、之を名づけて或は神とも、或は佛ともいふのである、
我感覺に觸るゝ所の世界は相對的なるも、其の裏面には絶對を具有し、其の絶對は死物にあらず活物であり、物質的にあらずして精神的であるとするは、宗教の所説にして、其の大精神が我良心の上に信門を通じて現出するものは所謂世界の大良心である、此の大良
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心と物質的世界との關係を説くに至つては、各宗教一ならざるも、神や佛は其の大良心なりといふ點は大抵一致することが出來る、而して斯る良心の實在は知識や論理にあるにあらずして、我固有する良心の直覺、詳言すれば良心が信門を開いて窺ひ得たる光景といふことになる、故に此の點は百般の學術とは全く別途の法門にして、外界の經驗を超絶せる境遇である、然るに今日の教育を受けたる人々は學術上の道理を以て宗教問題を解決しようと思うて居る、是れは全く方向違であつて、恰も物差を以て物の軽重を計り、目を以て物の味を知らんとするの類にして、實に笑ふべきの至りである、
世人往々宗教を以て迷信となすは、經驗や道理を以て證明することの出來ざる神佛の實在を信ずるといふ理由に本づいて居る、然し宗教は全く別途の法門なることを知らば、疑団も氷解するであらう
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と思ふ、
第五十八段 宗教の眞相五(宗教)
抑々宗教の人間界に起つた根源を尋ぬるに、もとより原始の人心に固有せるものが次第に開發したに相違なきも、其の徑路としては余の考ふる所によるに、二樣の道程があると思ふ、其の一は吾人が外界に對し耳目の感覺を以て滿足せずして、現象以上に超出せんとする理想的欲望である、之と同時に不思議の靈感を浮ぶることである、例へば原人が天體を望んで目に映ずる外に、一種靈妙なるものが其の上に伏在して居る感を有せしのが、外界に於ける宗教の起原であらう、次に内界に於ては固有の良心の要求により、我より以上
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に諸善の根本にして而も偉大なる勢力を有する大良心があるといふことを自覺せしのが、又宗教の起原であらう、此の點に於て宗教は哲學と倫理との二者と起原を同うすることになる、而して此の外界の欲望と内界の要求とが相合して信念の上に建立するに至つたのが現在の宗教である、夫故に迷信と宗教とは全く別物なることは言ふまでもない、但し宗教は古來人文と共に發達進化し來れることは事實にして、最初は迷信の形を帶びて世に現はれしに相違ない、然るに其の發達と共に、迷信の舊衣を脱して宗教の眞面目を開發するに至つたのである、故に今日尚ほ其の舊衣の迷信を固守する輩に至つては、愚の至りと謂はざるを得ない、
今日の宗教と雖も未だ發達の最上に達せしにあらざるは、多少の迷信の附帶することは免れ難きも、之を信ずるものは向上的精神を
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以て從來の宗教に迷信の附著せるを知らば、之を脱却することを努めなければならぬ、但し宗教上に用ふる儀式裝飾の如きは迷信に類することなきにあらざるも、正しき信仰を起さしむる方法手段なるに於ては、害なきのみならず益あるものなれば、みだりに破壞すべきものではない、
世人は宗教の靈魂不滅を説き、地獄極樂を談ずるを見て、直ちに之を迷信と見做すも、之に附帶せる比喩形容を見て其の眞相と誤解するより起ると思ふ、斯る比喩形容は己の知識の程度によつて、もとより取捨すべきものである、然して其の原理に至つては決して排去すべきものでない、
我々の良心は善事を為せば必ず善果あり、惡事をなせば必ず惡果あるべしといふことを我々に教へて居る、而して其の要求より喚起
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せる世界の大精神はもとより此の善惡因果の規則を支配するものなることも我良心が我々に教へて居る、之を天の誠と名づけても宜しい、古來天道は淫に禍し善に福すとは此の事を申すのである、然るに人間界は善人にして不幸に遇ひ惡人にして仕合を得て居るものが多い、是に於て變遷生滅ある人事界の外に不滅界あることを要求す、世界の大精神は不滅であると同時に我々の精神中にも不滅なるものあつて、必ず未來際を盡して善惡因果の規則を滿たすものとの信念が起る、卽ち現界が此の規則を充たす能はざるも、冥界に於て之を充たすべしとは我道德的觀念が我を指導する所である、是に於て靈魂不滅の信念と同時に苦界樂界の實在を喚起するに至るのである、夫故に宗教は今日の學術の證明なき廉を以て之を迷信と斷定することは出來ぬ、是れ亦宗教と學術とは別途の法門なることを知らなけ
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ればならぬ、
第五十九段 宗教と迷信
已に宗教の眞相を簡短に述べ終つたから、更に立ち戻つて迷信の起る原因と之を防ぐ方法とを述べて、余の説を結びたいと思ふ、
凡そ迷信の起る原因は知識に暗き方と運命に迷ふ方との二樣あつて、知識の方は學術教育の受持なれば、成るべく其の普及を計らねばならぬ、且つ學校教育のみでは效力が少いから、家庭教育、社會教育の改良を實行せねばならぬ、其の事は前旣に述べたる通りである、
次に運命の方は學術教育の力にて如何ともすることの出來難いも
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のなれば、宗教の力を假りて迷信を減退する方針を取らねばならぬ、人情自然の性として苦を厭ひ樂を欲するも、目前の世界は我々をして此の望を滿さしめず、人事意の如くならざることが多い、又善を行うても我社會は之に相當する福利を與へてくれない、又逆境に陷るときは何人に乞うても順境に轉じてくれない、是に於て人心の薄弱なる悲しさには、種々の迷が起つて來る、之と同時に生存競爭より生ずる困難が其の迷を助くるやうになる、是れ卽ち運命に迷ふといふものである、此の迷が集つて種々の迷信を重ぬるに至ることになる、斯る運命より起る迷信を除去するは宗教の受持である、若し間接の受持を舉ぐれば教育も幾分の助となるべきも、今は直接の受持だけを申すのである、
最初より掲げたる妖怪迷信中には全く宗教に關係なきものあれど
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も、世人が迷信の方に心を引かるゝ為に、宗教の眞面目を開現することが出來ぬ有樣である、又世人が迷信を以て染められた心眼を以て宗教を眺むるから迷信ならざる宗教が迷信の色を帶ぶるやうになる、夫故に宗教の眞相を開現するには先づ迷信を一掃せなければならぬ、余が所謂迷信の妄雲を拂はざれば、宗教の眞月を仰ぐを得ずとは此の事をいふのである、
偖て迷信は運命に迷ふより起る、若し其の迷を除くには宗教の力を假るを要するといふに就いて、更に説明して置かねばなるまい、世人は神佛の力によつて運命を轉ずることが出來ると思うて居るも、何程一心を凝らして神佛に祈願を掛けても、凶年が豊年となり、逆境が順境となり、病災が無病息災となる筈はない、其の譯は此世界には物質的方面と精神的方面との二樣がある、物質界の變化は物理
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の規則によつて支配せられて居る、天災や病患はもとより其方の所屬である、依つて若し天災病患を免れんと思はゞ、學術上研究して得たる規則に依るより外に道がない、若し斯る場合に安心の道を求むるには、學術とは全く其の途を異にする世界の大精神大良心と我心との一致融合する道に依らなければならぬ、卽ち我々が運命に迷うたる場合に、我微弱なる心を世界の大精神の地盤の上に樹立せしめて、一點の迷の起らぬやうにするのが宗教である、依て神佛も宗教も物質界の規則を支配するにあらずして、精神界の歸處を指導するものと見なければならぬ、若し宗教の正信によつて我心と神佛の大良心とを合體するに至らば、如何なる病氣災難、生死の運命に際會すとも、泰然自若、悠悠自適の境に安住することを得、多苦多患の世にありながら、觀天樂地の境涯を送ることを得るやうになる、
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此點は到底教育の力の及ばざる所にして、宗教の專賣特許である、
世間の迷信も時と場合とによつては多少の安心を得ることは出來る、又幾分か世界の運命をあきらめることが出來る、然れども是れ唯一時の手段にして永久的のものではない、恰も病原を探らずして只風藥と膏藥とを用ひて萬病を全治し得るものと安心して居ると同樣だ、且つ斯る迷信は一方に安心を得ると同時に他方に不安心を招き、戰々兢々として世を渡るやうになるから、決して眞正の安心を得ることは出來ぬ、
第六十段 歸結
上來段を重ねて述べ來れる所を此に一括して其の系統を表示すれ
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ば左の如くになる、
迷信
定義
實況
特殊
西洋
東洋
海外 外國 新領土
内地
共通
第一類(怪火、天變)
第二類(天狗、幽靈、妖屋)
第三類(鬼門、方位、卜筮、人相、家相)
第四類(緣起、日柄、禁厭、奇方、呪願)
利害 無害有利 無害無利 有利有害 無利有害
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原因
知識方面 經驗 論理 學理 好奇
運命方面 絶對 信仰 良心
右の順序にて論述して來り、迷信に有害と無害とあり、有利と無利とあるけれども、差引上有害が多いこと明かなれば、成るべく之を減退除去する方法を講じなければならぬ、其の方法として教育上より知識を進め、宗教上より信念を高むるの必要を論じた、
最後に一言を附加して置きたいと思ふのは、迷信と妖怪との關係
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は前已に述べたるが、妖怪の窮極する所は宗教と一致する點である、余は曾て妖怪學講義に於て妖怪に假怪と眞怪との二者あることを説いて置いた、然るに世人は假怪を見て眞怪と思うて居る、是れは迷信である、然し眞怪は眞の不可思議に名づけたるものにして、其の實在を信ずるのは迷信ではない、而して宗教にて立つる所の神佛も矢張眞怪である、是に於て妖怪と宗教との一致を見る、故に迷信が向上して眞怪を信ずるに至らば、已に迷信を脱して正信となる譯である、
今一つ注意までに申して置きたきは、神佛に對する祈禱の一事である、或る教育家が余に尋ねるに祈禱は迷信であるかないか、若し之を迷信とすれば、先帝御危篤の際、國民が神佛に對して御恢復を祈り奉つたのも迷信ではないかといふ疑問であつた、余之に答ヘて
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祈禱必ずしも迷信なるにあらず、己れの私情を以て自利を祈るが如きは非倫理はれば迷信である、然るに先帝の御恢復を祈り奉るが如きは、毫も利己私心あるにあらず、公明正大の至誠を以て天地の至誠に訴へたのである、換言すれば我良心の熱誠が溢れて世界の大精神に奏達したのである、故に是れは至誠の向上である、たとひ神佛は物質界の規則を支配し、運命を轉換すること能はずとするも、至誠の感發する所必ず此點まで向上せなければならぬ、此の點は余が先きに迷信は非倫理的にして、宗教は倫理なりと述べたる條項を併せ考へていたゞきたい、
此の如く迷信に就いて説き去り述べ來りたる余の本志は、他にあらず、迷信の雲深き為に宗教の月暗きは我邦の有樣なれば、彼雲を拂うて此月を回らし、是れによつて文運と國運の發展を助けんとす
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る微衷に外ならぬ、是れ余が明治大正の昭代より受けたる皇恩と國恩との萬一に報答せんとする素志である、
第六十一段 餘論
以上旣に迷信と宗教との異同關係を述べ終りたれば、其の參考として余が先年妖怪學に關して起草せる短篇小話を左に列記して、本論の餘講とすることに定めた、
(一)妖怪學と諸學との關係
耶蘇教者は神を以て全智全能の體となすも、余は妖怪學を以て全智全能の學となさんとす、何者妖怪學は萬學に關係し、之を研究
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するには萬學に通ずるを要すればなり、先づ天文地質氣象に關する妖怪は天文學地質學氣象學に關係し、禽獸草木人身に關する妖怪は、動物學植物學生理學に關係し、精神の變態を論ずるときは精神病學心理學に關係し、鬼神靈魂の有無を論ずるときは、宗教學純正哲學に關係し、智力の變態に關しては、教育學論理學に關係することあり、偽怪誤怪に關しては、政治法律に關係する所あり、故に余は妖怪學を以て全智全能の學となす、
此に降石の怪あり、先きに長野市辨天町に起り、後に神奈川縣川崎町に起る、若し之を人為に出づるものとせんか、然るときは精神の變態、卽ち一種の發狂より生ずるか、又は復讐或は惡戲の故意に出づるか、二者中の一に居らざるべからず、之を一種の發狂とすれば、心理學及精神病學の問題となり、之を故意に出づると
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すれば、裁判上警察上の一問題となるべし、若し又其の原因を人力以外の神力に歸するときは、宗教學の問題となり、物理の作用に歸するときは、物理學の問題となるべし、一妖怪にして、諸學に關係すること此の如し、他は推して知るべきなり、
諸學に事物の常態を論ずる部分と、變態を論ずる部分あり、其の變態を論ずる部分は、皆妖怪學の範圍なり、而して常態は事物の表面にして變態は裏面なり、常態は皮相にして、變態は蘊奧なり、前者は思議すべきものにして、後者は思議すべからざるものなり、故に妖怪學は宇宙の玄門を開き、事物の祕訣を究め、諸學の奧義を示す學なりと知るべし、換言すれば不可思議の學なり、故に此の學を研究し來らば、自然に不可思議の妙趣妙味を感得するに至らん、若し人此の多苦多患の世界にありて、茍も其の心中に快樂
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の別天地を見んと欲せば妖怪學を研究するに如かざるなり、
(二)卜筮論
未來の吉凶禍福を一々前知豫定するは、人力の為し能はざる所にして、古來卜筮家の言ふ所、決して信ずべからざるなり、縱令其の豫言の的中することあるも、是れ所謂當るも八卦、當らぬも八卦にして、其の結果よく百發百中千發千中を得るにあらざれば、卜筮其物の上に信を置くこと能はざるなり、且つ卜筮は易筮にせよ龜卜にせよ、其の種の何たるを問はず、今日まで民間に傳はるものは、すべて非道理的のものにして、學術上論ずべき價値あるものにあらず、其の中獨り易學に於ては支那哲學中最も玄妙なるものにして、學術上講究するに足ると雖も、之を人事に應用して
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卽座に未來の吉凶禍福を豫知せんとするに至つては、非道理的の甚だしきものなり、故に余は卜筮排斥論者の一人なり、
從來の卜筮は其の原理其の應用共に非道理的のものなるも、若し今日の學理に本づきて別に道理的の方法を考定するに至らば、卜筮其の物必ずしも排斥するを要せんや、今日は百般の事皆舊を脱して新に就く際なれば、卜筮其の物も亦一段の改新を要する時機なり、然れども未來の吉凶禍福は到底人力の豫知し能はざるものなれば、如何に卜筮を改新すとも、之に依つて運命の前定を望むべからず、唯余は人力の微弱なる為に往々取捨撰擇に迷ふことあり、猶豫踟躕して決すること能はざることあり、此の如き場合に卜筮の助によりて己れの意向を定むるは、今後人事の複雜なるに從ひ愈々其の必要を感ずべし、故に今日以後の卜筮は單に此一事
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を目的とし、從來の非道理的に代ふるに道理的のものを以てせざるべからず、然るときは卜筮必ずしも排斥するに及ばざるなり、
(三)死論
人の恐るゝもの死より甚だしきはなし、病を恐れ、雷を恐れ、地震を恐れ、水災を恐れ、戰爭を恐るゝは、皆死を恐るゝより起る、少壯の徒も富貴の士も、安心して日を送ること能はざるは、皆生死の常ならざるに由る、緣起禁厭卜筮相術の民間に行はるゝは、皆生死の途に迷ふが故なり、若し人世に死なかりせば、人間ほど幸福のものはあらざるべし、若し世に不死の藥ありて金錢にて購ひ得らるゝならば、世界中の有らゆる黄金を投ずるも悋むに足らざるなり、
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死は人生の免るべからざるものたるは、宇宙萬有の原則なり、此の原則にして變ぜざる限りは、決して不死の道を求むべからず、然るときは死を免るゝ道を講ずるよりは、寧ろ死を恐れざる法を講ずるに如かず、夫れ人の死を恐るゝは古今の通性ならば、假りに之を名づけて恐死病と云はん歟、世に不死の藥なきも、恐死病を醫する藥なきにあらず、余が家幸に之を祕藏するや久し、金滿家は財を散じて貧民を救ふべし、宗教家は法を説きて愚民を度すべし、前者之を財施と云ひ、後者之を法施と云ふ、二者共に慈善なり、醫師は人命を救助するを以て、古來醫は仁術なりと稱するも、其の實人の死命を左右し得るにあらず、死命はもと天の定むる所にして、人力の如何ともすること能はざるものなり、唯醫師は一時の病苦を移すことを得るのみ、病苦を移すは固より仁術な
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り、されば恐死病を醫するも亦仁術なり、恐死病は病苦の最大なるものなれば、之を醫するは仁術の大なるものならざるべからず、余が家貧にして財施をなすの力なし、又身多忙にして法施をなすの暇なし、然れども其の家傳の祕法を施して恐死病を醫するを得ば、財施并に法施に代用して猶ほ餘りありと信ず、故に余は是より其の祕法に就きて講ずる所あらんとす、
(四)恐死病を治する法
人間の諸病中最も重きものは恐死病にして、諸療法中最も大切なるものは亦恐死病の療法なり、其の療法は余が妖怪學講義中に詳述する所にして、其の講義の全部悉く恐死病の療法と見ても宜き程なれば、此に重説するを要せずと雖も、若し其の一端を舉げて
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示さば、左の點に歸著すべし、
今之を理論の方面より論ずることは講義の方に讓り、實際上其の治病の處方を約するに左の數條となる、
一、人を無意識化する事
二、來世を立つる事
三、死の理を明かにする事
此の各條に就きて略解を下すに、第一條の意は人の感覺を鈍くし、思想を虛にし、無神經無意識に近づかしむるを云ひ、精神をして枯木死灰の如く無知不覺ならしむるの謂なり、或は精神をして木石化せしむるの謂なり、草木には恐死病なし、禽獸には之あるも人間の如く甚しからず、故に人間の心をして禽獸草木の如くならしめば、恐死病の苦を免るゝことを得べし、然れども是れ到底實
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行し難し、次に第二の來世を立つる一法は説明を待たずして知るべし、例へば毎夜睡眠に就くも、誰も恐るゝことなきは、明日再び覺醒することあるを知ればなり、之と同じく一たび此に死しても再び彼に生ずる望あらば、敢て死を恐るゝを要せんや、若し來世は今世より一層幸福圓滿の世界なることを知らば、喜び勇みて死に就くに至るべし、是れ宗教信者の死を厭はざる所以なり、次に第三條の意は道理を以て死の恐るゝに足らざることを知らしむるを云ふ、例へば余が妖怪學講義の如き是なり、其の講義は總論、理學部門、醫學部門等の八大部門に分るゝ中、宗教學部門は正しく、「死は何ぞや」の問題を説明したるものにして、他の諸部門も多少此の問題に關聯せざるはなし、若し人第一條第二條の方法を以て滿足すること能はざるものは、宜しく第三條の妖怪學研究の
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方法に依りて、恐死病を醫せんことを求むべし、余が一家相傳の祕法といひしは此の方法のことなり、
(五)戰爭論
凡そ戰爭に三種あり、曰く天爭、曰く人爭、曰く心爭なり、天と相爭ふ、之を天爭と云ひ、人と相爭ふ、之を人爭と云ひ、心と相爭ふ、之を心爭と云ふ、其の一敗一勝は實に死生の相分るゝ所なれば、我々の生存上、之より重且つ大なるものなしと謂ひて可なり、先づ天爭に就きて云はゞ、我々は己れの生存を全うせんと欲せば、必ず風雨氣候に向つて競爭せざるを得ず、若し其の競爭に敗を取らば、必ず己れの健康を失ひ、疾病を起し、遂に短折夭死するに至る、次に人爭に就きては、之に有形的と無形的との二種
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ありて、有形的戰爭とは、兵器干戈を以て相爭ふものにして、普通に所謂戰爭是なり、無形的とは、或は商業上、或は工業上、或は學問上、或は百般の事業上に於て、社會衆多の人と共に體力智力意力等を以て競爭するを云ふ、是れ卽ち社會間の生存競爭にして、勝ちては忽ち紳士となり貴族となり、敗れるば忽ち賤民乞丐となるのみならず、生計の困難より種々の病患を引き起すに至る、國家の盛衰興廢も亦皆之より起る、次に心爭に至つては我心中の善心と惡心との戰爭にして、日々夜々精神の活動する間は殆ど止む時なし、其の一勝一敗は直接に我々の生命に關することなきも、間接には一身及一國の死生に關す、又惡心にしてよく善心に勝ちたる場合には、縱令身體は依然たるも、其の精神は旣に死せりと謂ひて不可なることなし、故に余は此三種の戰爭は皆死生の相分
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るゝ所なりと云ふ、而して國家の盛衰興廢に至つては三種の戰爭の共に關する所にして、一國の隆盛を祈らんと欲せば、必ず三種の戰爭に勝利を得ることを望まざるべからず、
以上三種の戰爭の妨害物を考ふるに、人の迷を第一とす、先づ天爭に對して勝利を占むること能はざるは、種々の迷雲我心天を鎖して、天地の道理を明かにするを得ざるに由り、又人爭心爭に對して敗を取るは、迷心の妨礙あるに由る、而して此の迷を退治するもの三種ありて、各其の方面を異にす、
一、前面より退治するものは教育なり、
一、背面より退治するものは宗教なり、
一、側面より退治するものは妖怪學の研究なり、
若し假りに迷雲臺と名づくる一砲臺ありと定むれば、前面より攻
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撃するものは教育軍なり、背面よりするものは宗教軍なり、裏面よりするものは妖怪軍なり、今東洋諸邦は、何れの國も迷雲中に彷徨し、迷雲臺を固守するものなれば、教育宗教妖怪の三軍聯合して、一齊攻撃に著手せざるべからず、
(六)運命論
王公貴人は百事意の如くならざるなきも、獨り意の如くならざるものは、運命なり、運命の前には權力も金力も更に其の用を為さず、諺に地獄の沙汰も金次第と云ふも、運命の沙汰は此の限にあらず、故に王公貴人も運命に對しては大に迷ふ所あり、死生の動かすべからざる、病患の避け難き、禍福の期し難き等は、皆運命なり、或は富貴の家に生れて、生れながら富貴なるものあり、或
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は貧賤の地に生れて、生れながら貧賤なるものあり、或は天性英傑の才を抱きながら、時の不遇の為に終身其の才を伸ぶること能はざるものあり、或は凡庸の力を以て僥倖を得るものあり、或は明治以前に生れて尊王を唱へ、其の身も其の名も共に堙滅して世に著れざるものあり、或は宗教革命の前に出でて革新主義を執り、為に身戮せられて名の傳はらざるものあり、此くの如きは人力人智の如何ともすること能はざる所にして、之を總稱して運命と云ふ、是れ實に諸迷の由て起る根據なり本城なり、此の本城を一掃するにあらざれば、到底迷苦の世界を變じて至安最樂の世界となすこと能はざるべし、而して其の脱苦與樂の道は實に妖怪學の目的とする所にして、又諸學の終極の目的なり、換言すれば此の問題にして解説し得れば、宇宙間の所有疑問は皆氷解するを得べし
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と信ず、
今日百科の學問が、未だ此點に就きて何等の報告も説明も與へざれば、妖怪學が獨力孤立にて此の最大至難の問題を解明すること難しと雖も、諸學の研究より得たる結果を綜合し來りて、之を運命の上に應用すれば、幾分か其の理を開示するを得べし、是れ余が妖怪學講義中、純正哲學部門に於て講述する所なり、
(七)天災論
人の大に畏れ且つ最も意の如くならざるものは天災なり、天災中地震を第一とす、水災、風災、火災、疫病、飢饉等其の種類甚だ多し、近來醫術大に進み、疫病の如きは復た恐るゝに及ばずと云ふも、世の開け交通の頻繁なるに從ひ、新奇の諸病漸く入り來り、
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疫病の為に人命を損ずる割合の年一年より多きは、統計を待たずして知るべし、又水災風災は土木工事の進步に拘らず、年々其の害の加はるは我近年の經驗に照らして明かなり、故を以て下流社會は云ふに及ばず、中等以上の人々まで大に疑懼の念を抱き、百方之を避けんとするも遁るゝに道なく、遂に迷信の淵に沈むに至る、是に於て天災の何たるを講究して、之に對する決心を定むるを今日の急務となす、
天災は人力の豫知し難きものにして、又意の如く左右すべからざるものなり、今後何程人智が進み理學が開くるも、今年にありて明年の天災を豫知すること能はざるべし、然るに數百年間の歷史に就きて考ふるに、今後の天災は大抵測定することを得る理なり、例へば地震の如きは平均五十年乃至六十年に一回起ることあり、
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飢饉の如きも六十年一回の平均なり、大水災大風災も五十年間一回の割合に當る、故に若し人間一生五十年乃至六十年を壽命とすれば、一生に地震一回、飢饉一回、大水災大風災各一回づゝ遭遇する割合なり、疫病、戰亂、火災等も大略之に準して豫知するを得べし、若し之を人間界の天税とし、先天の約束として人生の免るべからざるものと最初より覺悟し居らば、一切の苦心憂慮は全く無用なるを知るに足る、若し人皆よく此の覺悟を有するに於ては、必ずや此世卽ち極樂の境界を營むに至らん、
(八)安心税
人の此世にあるや、一日も安心なかるべからず、安心若し求め得ざるときは、生を棄てゝ死に就かざるを得ず、故を以て人の一生
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中安心の為に金財を投ずること頗る多し、是れ之を安心税と云ふ、何れの國にても宗教の為に消費する所莫大なるは卽ち安心税なり、安心税は獨り宗教に限るにあらず、日々の生存上其の活計の多分は皆安心税ならざるは莫し、或は緣起、或は禁厭、或は方位、或は時日の吉凶を知らんが為に多少の金錢を投ずるは矢張安心税なり、余曾て之を聞く、資産あるものが雷火を避けん為に避雷針を屋上に立つるが如きは、其の實雷火を避くると云ふよりは、寧ろ安心を助くるものと謂ふべし、實際雷火に罹るが如きは、萬一もなき特別の場合にして、毎年之を避くる為に多少の計費を要するは、無益なるが如きも、若し之を安心税として算入するときは、決して冗費にあらざるを知るべしと、是に由て之を觀るに、生命保險、或は火災保險、或は海上保險の如きは、其の一部分皆安心
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税なることを知るべし、毎夕夜番を置きて時間毎に柝を撃ちて四隣を一巡せしむるが如きは、多少火災盜難を防ぐの一助となるべきも、其の實安心税を拂ふものとなるべし、衛生費の如きも其の多くは安心税なること明かなり、又醫療及醫藥の代金の如きも、其の中に安心税の加はること尠からず、例へば醫師が病者を診斷して、此病は別段服藥するに及ばずと云はるゝも、病者は決して安心せざるべし、故を以て醫師自ら無效と知りつゝ服藥せしむるが如きことあり、此の如き服藥は安心税なること言を待たず、是に由て之を推すに、諸病の服藥は多少の安心税を含まざるは莫し、之を要するに人間一生中、安心の為に費すもの實に夥多なりとす、然るに其の方法の如何によりては、全く無效の安心税を消費することあり、其の甚しきに至つては、安心税の為に却て迷信を増長
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するが如きものあり、是れ實に憫然たらざるを得ず、是に於て余は妖怪學を講じて世人の惑を解き、愚民をして無益に安心税を支出するの憂なからしめんと欲す、是れ又國家經濟に於ても多少裨益する所あるべしと信ずるなり、
(九)養神論
人生れて心身を養ふ道を講ぜざれば、永く其の生を保つ能はず、而して其の身を養ふには衛生法あれども、其の心を養ふには何等の方法あるを聞かざるは余の怪む所にして、爾來養神術を研究して以て今日に至れり、古來和漢の書中には往々養生を論じたるあり、其の中には養神の方法をも混説せるのみならず、身を養ふに心を養ふの方法を用ひき、之に反して今日の衛生法は生理學の理
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に本づき、養身の一法に偏する風あり、此の兩者共に其の正を得ず、故に余は養身的衛生法の外に、養心的衛生法を講ぜんとす、之を此に養神論と云ふ、其の一端は余が醫學部門心理的治療法、及び別著失念術講義中に略述したれば、宜しく本篇に就きて見るべし、但此に養神術の第一は余が妖怪學の所謂眞怪を達觀するにあることを一言せんのみ、
夫れ眞怪は宇宙萬有の内外を一貫して存するものなれば、之を外にしては宇宙の上に其の相を現し、之を内にしては一心の上に其の體を聞く、故に吾人若し活眼を放ちて宇宙を達觀するの際、おのづから美妙の光景に接觸することを得、是れ卽ち眞怪の光輝なり、美術の美も風景の美も皆此の光氣の外に發散せるものにあらざるは莫し、故に若し人其の心神を養はんと欲すれば眞怪を達觀
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する方法を講ぜざるべからず、此の達觀法を分ちて外觀法及内觀法の二種となす、外觀法又分れて人為的自然的の二種となり、内觀法亦智力的意志的の二種となる、今其の一々を辯明するに暇あらずと雖も、外觀法の第一は、天然の好風景を觀じて其の美妙を樂むにあり、春花秋月、夏山の蔥々たる、冬雪の皚々たる、之を觀るもの皆其の好風景に感ぜざるは莫し、心神を養ふの術、之を以て最も便なりとす、然るに風景は常に一樣なる能はず、若し暴風大雨の時にありては、却て心神を傷ましむるのみなれども、其の中におのづから宇宙の勢力の發現するありて、人をして雄壯の情を動かさしむるものなれば、是れ亦達觀の方法如何によりて、心神を養ふの一助となるものなり、斯くして已に天氣の不良なるも、尚ほ之に接見して快樂を感ずる以上は、平常天氣風景の異狀
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なきときも、之を觀て好風景に接したると同一の愉快を感ずることを得べし、而してよく此の地位に達するには、必ず多少の練習を要するなり、内觀法の一は禪學なるが、禪學を修むるには亦已に一定の方法階梯あり、果して然らば外觀法にも一定の練習法なかるべからず、是れ余が專ら講究せんと欲する所なり、
(十)妖怪學と美術との關係
妖怪の研究は、假怪の迷雲を拂ひ去りて、眞怪の明月を開き顯すに外ならず、而して眞怪を開顯するは、人をして歡天樂地の境遇に遊ばしむるに外ならず、夫れ眞怪は之を外にしては天地の實體、之を内にしては精神の本性にして、天地の美、精神の妙は卽ち眞怪より發する所の光氣なり、此の光氣を實際に應用し、人をして
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直に其の風光に接觸せしむるものは美術なり、故に美術は大に妖怪學と關係し、眞怪を開顯するに缺くべからざる用具なり、
美術に種々あり、目に屬するものあり、耳に屬するものあり、音樂は聽覺上の美術にして、繪畫は視覺上の美術なり、彫刻、彩色縫箔、挿花、盆栽、庭作、建築等皆美術なり、詩文、和歌、謠曲、義太夫、發句、俳諧も美術なり、我邦にありては茶の湯、習字に至るまで美術に屬す、若し人此等の美術に接して高尚の理想を浮べ、甚しきに至つては憂を忘れ、食を忘れ、年を忘れ、眠を忘れ、手の舞ひ足の踏むを知らざるに至る、是れ卽ち眞怪の光景に接して、歡天樂地の境遇に遊ぶものなり、
今や我邦物質的の文明駸々として進み、明治の天地は全く別世界の觀を呈するに至りたると同時に、人民一般に物質的快樂あるを
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知りて、理想的快樂あるを知らざるの弊、日一日より甚だしきに至れり、元來我國民は理想上の趣味に富みたる人民にして、動もすれば物質的快樂を厭忌すること其の度に過ぐるが如き弊なきにあらざりしも、高尚優美の風致を愛するに至つては君子國の名に恥ぢざる所ありき、然るに今や一般の人情氣風日に卑劣に走り、將に殺風景の極に陷らんとするの傾向あるは、實に慨嘆に勝へざるなり、蓋し其の弊を救ふは美術を獎勵して、直ちに眞怪に接觸する方法を講ずるにあり、余が妖怪學研究の目的も亦此の意に外ならず、
我邦の國體は、國民の高尚優美なる氣風の上に存立することは余が辯解を待たず、然るに若し人皆物質的快樂のみに走るに至らば、自利私慾に戀々として、國體の基礎なる大義名分を忘るゝに至る
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の恐あり、其の結果、國體の上に及ぼすは必然なり、故に我國民に理想上の快樂を知らしめ、以て自利私欲に偏する弊を防ぐは、實に今日の急務なりとす、是れ余が此に妖怪學と美術との關係を論じたる所以なり、
(十一)妖怪學上宗教と哲學との位置
妖怪學にて妖怪の道理を窮めて一々説明するに至らば、今日世間に行はるゝ所の宗教は、悉く自滅の不幸を見るに至らんと云ふものあれども、余が視る所にては、妖怪に假怪と眞怪との二種あるが如く、宗教にも眞假の二種あり、假怪の道理に本づきて立つる所の宗教は之を假教と名づけ、眞怪の道理に本づきて立つる所の宗教は之を眞教と名づく、若し偽怪誤怪の如き虛怪に本づきて立
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つる宗教は妄教と名づくべし、此中妄教及び假教は、妖怪學の解釋によりて自滅に歸するは勢の免かるべからざる所なるも、眞教は全く之に反して、益々世に顯揚せらるゝに至らん、
若し宗教を以て眞怪の範圍内に入るゝときは、純正哲學と同一の理論に歸し、世の所謂宗教、卽ち神佛の冥護等を説くこと能はざるに至らんと云ふものあり、是に於て眞怪に二種あることを知らざるべからず、其の二種とは理怪と祕怪なり、理怪は眞怪門中にありて、絶對の實在及絶對と相對との關係を論明する方を云ひ、祕怪は神佛と衆生との關係を説示する方を云ふ、故に理怪は、哲學(純正哲學)の本領にして、祕怪は宗教の本領なり、理怪は道理の究極する所、祕怪は信仰の淵源する所なり、此くの如く分類し來らば、妖怪學上に於ける哲學と宗教との位置、及び妖怪學の進步に伴う
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て、眞正の宗教の世に興るべき所以を知るべし、
(十二)妖怪學の本尊説
妖怪學と宗教との關係は旣に論明し置きたれば、茲に之を略し、妖怪學にては何を本尊と立つるやに就きて一言せんと欲す、其の本尊は妖怪學の目的を明かにすれば自ら知ることを得べし、而して其の目的は假怪の迷雲を開きて眞怪の明月を顯はすにあれば、眞怪其の物は正しく妖怪學の本尊なり、是れ獨り妖怪學の本尊たるのみならず、佛教にても、耶蘇教にても、儒教にても、神道にても、皆之を本尊とするなり、彼の哲學者スペンセル氏の所謂不可知的も、此の眞怪に興へし名稱に外ならず、老子の無名も數論の自性も、此の眞怪を指して云ふのみ、蓋し其の眞怪たるや、定
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まりたる形狀なく、定まりたる位地なく、制限なく分量なく、所謂無限無量にして、時間を極めて際涯なく、空間を窮めて限界なきものなり、故に之を絶對不可思議の體となす、之を不可思議とするも、其の體全然吾人の知識思量の外にあるにあらず、吾人の言思は縱令其の全體を描き顯はすこと能はざるも、其の一斑を開示することを得、故に又之を相對可知的の體となす、若し此の前後の思想を綜合して言ふときは、絶對にして且つ相對なり、不可知的にして且つ可知的なり、換言すれば眞怪其の物は一體兩面の關係を具し、相絕兩對卽ち一なるものなり、此の道理は到底一朝一夕のよく盡す所にあらず、要するに妖怪學の本尊たる眞怪は、諸教諸學の本尊にして、佛教信徒も耶蘇教信徒も、儒者も神官も、共に崇拝して不可なかるべし、故に余は之を諸教諸學に通ぜしめ
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んと欲し、眞の一字を以て其の體を表出す、
此の眞の字は、妖怪學にありては眞怪を意味し、佛教にありては眞如を意味し、耶蘇教にありては眞神を意味し、儒教にありては眞道を意味し、神道にありては眞靈を意味し、老莊にありては眞人を意味し、諸學にありては眞理を意味し、或は眞心、眞體、眞宗、眞教等と解する隨意なり、故に此の眞の一字は諸學諸教の本尊なること明かなり、
(十三)哲學的守札
前項に妖怪學の本尊説を掲げて妖怪の本尊は眞の字にあることを示したるが、此の眞の字は宗教の何宗たるを問はず、學問の何學なるを論ぜず、一般に本尊として禮拜して差支なし、故に余は此
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の文字を特に印刷して諸氏に頒ち、以て哲學的守札と定めんと欲す、凡そ守札は其の物もとより神にもあらず佛にもあらざれば、之を禮拜崇敬するも、別に何等の效驗靈能あるべき理なし、唯其の用は一は安心慰安の為なり、一は注意を呼び起す為なり、一は信仰を固むる為なり、一は良心を想起せしむる為なり、例へば子供に怪我除の守札を帶ばしむるは、一種の禁厭と同じく、氣安めに過ぎず、左なければ子供をして怪我せざる樣注意を起さしむるものなり、火難除、盜難除等の守札を柱の上に張り付け置くも右同斷なり、中にも天照皇大神の神符を神棚に納めて、朝夕禮拜するが如きは、一は崇敬の意を表し、一は信仰の念を深くし、由て以て良心を喚起するに至るものなり、故に守札必ずしも無用なるにあらずと雖も、之によりて目前直接の靈驗ありと思ふは愚民の
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迷なり、唯良心を集中するに多少の效驗あるのみ、換言すれば守札は客觀的の效驗あるにあらずして、主觀的の效驗あるのみ、故に余は哲學的守札を設けて守札の改良を計らんと欲す、此の守札は眞の字を以て宇宙の本體、萬有の實體、精神の本性、眞理の本源等を代表するものとし、之に對して一向專念に禮拝すれば、我精神中に宇宙の大觀を喚起し、心性の歸向を一にし、良心の集中を促し、忽ち精神一到何事不成の境遇に至らしむるを得べし、されば朝夕其の守札を信念禮拝すれば、百魔悉く除くと解しても不可なかるべし、其の百魔は我心中の魔にして、心外に魔あらず、故に是によりて火難盜難天災を免るゝこと難しと雖も、若し我精神一到して諸事に當るを得ば、百難悉く排して、天災も幾分か減ずるを得べし、卽ち人盛んなれば天に勝つの理により、禮拝の力
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より天に勝つを得べし、此くの如く解し來らば、間接には外界の百魔も跡を絶つと云ひて可なり、是れ余が所謂守札の效驗なり、
(十四)幽靈談
先年國家學會例會の時、谷子爵は幽靈と國家との關係と題して講演を試みられたり、予は當日已むを得ざる故障ありし為め出席することを得ざりしを以て、親しく其の説を聽かざりしが、其の後新聞紙上に於て其の大意なりといふものを讀み、依りて聊か考へ付きし事あれば此に之を記して以て江湖に質さんと欲す、予が數年來研究せる妖怪事實の中にも、幽靈の一項ありて其の説明は先般發行したる妖怪學講義錄第六門第一項に掲載したれば、今之を詳論することをなさず、唯之を研究するに當り、注意すべき二三
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の要件を掲示するに止めん、夫れ幽靈の談は時の古今を問はず、洋の東西を論ぜず、遍く世に傳はれる所にして、眞に之れ有りと信ずる者、現時にありても猶ほ鮮しとせず、而も實際之を見たりといふ人に至りては甚だ稀なり、然らば彼の多數なる幽靈論者は大抵實際に之を見し人にあらずして、古來の傳説、若くは世人の風説に聞き、依りて以て自己の信仰を固うしたる者なり、是を以て眞に幽靈有りと信ずる人に對しては、其の論の眞偽を質さんより寧ろ傳説風説の果して確實なるものなりや否やを質すを要す、卽ち幽靈有無の問題は事實眞偽の問題に歸著するなり、今幽靈有りと論ずる者の論據とする所を考ふるに、靈魂不滅の説に外ならず、卽ち其の説に曰く、人の死するといふことは唯其の肉體が生活作用を息めし迄にして、靈魂其の物の滅せしにあらず、旣に靈
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魂にして滅せざる以上は、一旦肉體を離れし後と雖も如何にかして一種の形を現はし、人に其の存在を見すべき道理なり、故に死者が自家又は社會の事に就き執念を殘して、死後猶ほ安んずること能はざる場合には、幽靈となりて其の形を生存せる人に見せ、其の懷ふ所を告ぐることを得るは疑ふ可からずと、然れども少しく考ふるときは、世に所謂幽靈と靈魂不滅論者の所謂靈魂とは、全く性質の異なれるものなることを發見するに難からざらん、何となれば所謂幽靈には形あり色あり聲もあり重量もあり、而して所謂靈魂は人の精神を指すものにして、此等の性質を具へざればなり、若し幽靈にして果して靈魂と同一物ならんには、是れ卽ち精神其の者の體にして一旦肉體を離れし後、形色を具へて人の前に現ずべき謂なければ、世に其の形體を見しといふ人の眼前に現
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れし物は實は幽靈にあらず、又靈魂にもあらずして之を他物と假定して可なり、且つ幽とは不可見の謂ならずや、而も之に形體ありとせば、論理上撞著の甚しきものといはざるべからず、されば彼の幽靈論者の説く所は、道理上旣に靈魂不滅説と全く關係なきものと知るべし、且つ實際上に於ても全く自家の經驗に基けるにあらずして、多くは風説傳説の類を根據とせるものなれば、之を事實として其の論を承認すること能はざるなり、たとひ一步を讓りて其の事實を確實とし、其の道理を精確なりと假定するも、猶ほ二三の考究を要する問題ありて、決して輕々に論斷を下すべからず、卽ち其の問題の第一は、一旦肉體を去りたる無形質の精神卽ち靈魂が、如何にして再び形質を具ふるに至りしかといふ事是れなり、又第二は幽靈の現れし場合并びに人の之を見し場合を考
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ふるに、種々の事情存せざるはなきことなるが、何故に幽靈の現るゝにはかゝる事情を要するかの點是れなり、其の事情とは何ぞや、試みに之を左に列舉せんに、先づ之を主觀的と客觀的とに分つを便とす、其の客觀的には第一に幽靈の現ずるは薄暮或は夜中の如き事物の判明ならざる時に多き事情あり、第二に寂々寥々たる場所に多き事情あり、第三に死人ありし家、久しく人の住まざりし家、神社佛閣、墓畔、柳陰の如き場所に多き事情あり、其の主觀的には第一に幽靈は或一人に限りて其の形を見ること多く、衆人同時に之を見ること甚だ少き事情あり、第二に疾病或は心痛其の他の事情に由りて身心上に衰弱又は變動を生じたるか、若しくは發狂したる場合かに於て多く現るゝ事情あり、第三に幽靈を見るは、其の性質感動し易く恐怖し易く、概して智に乏しく情に
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強き人に多き事情あり、第四に自ら一事を專念沈思する場合に多き事情あり、例へば寡婦が專ら其の亡夫を追慕して止まざる場合に於て其の幽靈を見るが如し、之を要するに以上列舉せしが如き種々の事情ありて始めて幽靈現はるとせば、何故に此等の事情が幽靈の現出に必要なるかは、決して研究を怠る可からざる要點ならずや、さはいへ予は決して幽靈なしと斷言せんとするにあらず、又決して幽靈ありと信ずる論者を攻撃せんと欲するにあらず、唯世の幽靈論者が僅々二三の事實に據りて直に之有りとの斷定を下さんとする傾向無きにあらざれば、此くの如き論者に向ひて注意を乞はんと欲するに過ぎず、故に予は幽靈有りと信ずる論者に向ひて、其の斷定に到達するに先だち、予が上に列舉せし一二の問題に對し十分なる解釋を與へられんことを希望して止まざるなり、
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而して谷子爵の引證せられし二三の實例は、予が上に掲げし種々の事情と異なり、其の現るゝや白晝に於てし、一人に限りて見えしにあらずして、衆人に見えたりといふ、然れどもかゝる事●りしては猶ほ未だ其の存在を證明すること能はざるは、固よりいふ迄もなし、且つ子爵も旣に幽靈に形體ありとせられたれば、予が第一の問題に就きては猶ほ辯明を要するなり、又子爵は生前に心純良にして事に熱心なる者、或事業に對し其の一念を果すこと能はずして死するときは死後幽靈となりて現るゝことを得べしと論決せられたり、然れども古來性質純良、事に熱心なること、子爵の引證せられし人々よりも遙に優り、しかも一念を殘しゝ人にして、幽靈となりしことを聞かざるもの鮮しとせず、且つ古來幽靈となりし人々に就きて傳説を聞くに、必ずしも子爵のいはれし
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如き性質を具ふる者に限らざるが如し、果して然らば子爵の説は事實に合したるものなるやは疑なき能はず、又若し子爵の言はれし如く一念死後に留まりて幽靈となり、依りて其の所思を果すことを得とせば、宗教信者にして生前に極樂を信ずること篤き場合には、死後其の靈魂の上に極樂世界を開現し來りて、身其の中に遊樂することを得べしと解して不可なきが如し、之を要するに予は子爵の説を駁せんと欲するにあらず、予は却て幽靈談の國家學會の論壇に上りたるについて深く子爵に謝する所なり、子爵も亦自身の論斷を論理に合したりと信じ居られざるや明なりと雖も、世の幽靈を説く者動もすれば古來の傳説にして眞偽保證しがたき二三の例證に據りて、斷案を下さんとする弊なきにあらざれば、此等の論者に向ひ事實の外に論理に考ふるの必要を説きて、予が
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希望する所を陳べし迄なり、
第六十二段 附錄
以上は迷信の方に重きを置いて説いたから此に余の曾て起草せる宗教方面の説明を附錄として參考に備ふることゝ定めた、卽ち左の如くである(此論文は妖怪學講義錄中宗教學部門の一篇を抄錄したるもの、再出の點なきにあらねご便宜のため其儘錄す)
第一節 宗教上の妖怪
是れより宗教に入りて、幽靈鬼神等の何者なるやを説明すべし、抑も幽靈鬼神は、通俗の妖怪中の最大妖怪にして、實に怪物の巨魁と謂ふべし、宗教は卽ち其の妖怪物の宿る所なれば、之を指し
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て妖怪の本城となすも不可なし、故に其の由て起る道理を詳かにせざれば、世の假怪を一掃すること難し、往昔孔子は怪力亂神を語らずと云はれたるに、予が如き淺學の者、天地間の大怪たる幽靈鬼神を論ずるは、孔子若し在さば一聲の下に呵責し去るは勿論なりと雖も、時勢變遷の今日にありては、亦已むを得ざるなり、凡そ世に幽靈鬼神を信ずるものと、信ぜざるものあり、信ずるものは、古來の傳説經驗について實例を舉げ、以て其の存在の確實なることを證し、信ぜざるものは、是れ人の精神神經作用より製造せるものにして、實體あるにあらずといふ、其の中信ぜざるものゝ例證に引きたるものに、面白き談多ければ、今二三を舉げて冒頭に掲げんとす、先づ司馬江漢が『春波樓日記』に左の事を載せたり、
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今より四十年以前の事なり、六鄕の川上に毬子の渡りあり、則ちまりこ村なり、爰より二十町餘り行きて、鄕地と云ふ處の染物屋の亭主は、兼ねて予に畫を學びて弟子なり、九月の末、我を伴ひて鄕地に至る、翌日は雨降りて四五日も滯留す、其のとき五六町かたはらに、江戸より來り居ける者とて手習の師匠あり、主人と二人連れして彼の師匠の方へ行きける、夜に入りて歸る、其の路盥山洗足寺と云ふ寺あり、是は古へ神祖源君公此處を御通行の時、老婆の衣類を洗濯しけるを御覧じ、其の寺號を御付け成されしとぞ、珍しき名の寺なり、其の日の暮方、此の寺に葬禮ありと云ふ、其の事も知らず夜半頃、染屋主人と二人通りかゝりしに、其の寺の門前とおぼしき處に、白き衣服を著たる者の、腰より下は地よりも離れ、あなた此方と動く者あ
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り、世に云ふ所の幽靈なり、我も若年にて、此樣なるもの今まで見たる事なし、甚だ恐ろしく思ひけるが、其の近邊に酒屋あり、寢入りたるを戸をたゝき起しければ、酒屋六尺棒を手に持ち、イザござれ、世に化物のあらんやと云ひて、先きに立ちて行く、跡よりヲヅヲヅして就きて往き見れば、葬禮の時、紙にて造りたる幡の木の枝に掛りたるなり、葬禮の時、幡の木に引き掛けたるを、其儘にして置きける、晝も此の寺の前は樹木茂り薄闇き所なり、殊更夜分故甚だ怪しく見えしも道理なり、
又東江樓主人の『珍奇物語初編上』に幽靈談を載せたり、
往古より日本にても、西洋にても、寃鬼或は妖怪の説ありて、人も往々之を見し抔といふものも最も多けれども、之も皆誑惑癖をなすの妄念より出づるか、或は夢か、或は戲造か、左もな
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ければ暗夜に墓地などを經過ぐる時、恐怖の餘り一像を想ひ出すかに因るものにて、決して眞の怪しきものあるべき理なし、茲に一の奇談あり、某地の野外に土橋ありけるが、此邊は人家もなく最凄じき處ゆゑ、往古より之を幽靈橋と唱へ、雨夜には幽靈の出でしこと、往々ありし抔いひ傳へ、雨夜には誰あつてこゝを過ぐる者もなかりしが、或人無據用事ありて、雨夜に此の橋を渡り、物凄じく思ひし折柄、忽ち向より頭長く、體には毛の如き白衣を著たる奇怪物現れ出で、急に我方へ襲ひ來るの樣子ゆゑ、最早遁げんとするも叶ふまじ、空しく彼に食はるゝより、寧ろ力の及ぶ限り防ぐべし、惡き妖怪の所業なれやと獨り囁き、諸手を拔き不意に躍り懸りて、むづと組み付きければ、妖怪は驚きたる樣子にて大に唬叫び、互に押し合ひけるが、妖
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怪は誤つて足を踏み外し、河中に落ちたり、故に人は疾く走りて家に歸り、大に誇りて曰く、我今彼の幽靈橋にて妖怪に出逢ひ、すでに食はれんとせしが、我吾力に任せて河中に投げ込みたり、未だ噺も終らざるうちに、外より一人、びつしょり濡れて入り來り、色靑ざめ聲震へていふに、今余彼の幽靈橋を通りかゝりければ、妖怪不意に飛び懸りしゆゑ、余も大に驚きたれども、何ぞ恐るゝに足らんと暫時は組み合ひしが、なかなか敵し難く、遂に河中に投げ込まれ、危き命を助かりたりと物語す、茲に於て初めて其の妖怪にあらず、却て我朋友なることを知れり、若し兩人こゝにて逢はずんば、互に鬼となし怪となして、人また人に之を傳へん、
又或る臆病なる武士あり、夜中物凄き道を歸りければ、傍の籬
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上より頸の長き頭の巨なる妖怪、人に向つて動搖する狀なり、彼の武士大に驚き慌き、直に長刀を引き拔き躍り掛つて切り付けたれば、巨頭は眞二つに斷ちて地に落ちたり、故に奔りて家に歸り、大に誇つて曰く、今我某地に於て妖怪を斬りしが、手に應へて斃れたりと、翌日朋友を伴ひ其の地に至り見れば、瓢たんの二つに斷たれて地に落ち、半分は尚ほ籬上に掛り居たり、是を見て彼の武士は大に慙ぢ、初めて妖怪にあらざることを知りたりと、是も若し翌日往きて見ざれば、鬼となし怪となすこと疑ひなし、凡そ世の寃鬼妖怪といふものも、其の源を探り究むれば、大抵みな之等の類なるべし、此の世界中にかならず理外の事のあることなし、また實體なきものにして我耳目に觸るるものなし、
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世に妖怪を信ぜざるものは、右等の例を引きて幽靈鬼神談を一陣の風と共に、雲消霧散に歸せしめんとするも、世の所謂妖怪は、皆此の種の如きものに限るにあらず、又縱令幽靈なしとするも、其の眞に存せざる道理を證明せざるべからず、故に此に論ずる幽靈談は、幽靈の由て起る本源に泝り、宗教其者の大原理より説明を下さんとす、是れ余が左に宗教全體について述明する所以なり、
第二節 通俗の宗教論
凡そ通俗の信者が、宗教を解釋するに二派あり、一は感情的に解釋するものにして、一は神祕的に解釋するもの是れなり、其の所謂感情的に解釋するものは、更に道理の如何を問はず、單に自己の感情に訴へて、自ら信ずる所必ず確實にして誤らずとなすもの
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にして、神の如きは感情上何となく在るが如く感ぜられ、道理の如何を問はず、單に信仰の力によりて實際儼在するものと斷定し、又未來世界の存否、靈魂の生滅の如き問題に至りても、情の上に考ふれば、靈魂は死せずして死後に別世界ありとなさゞれば、自己の意を慰むること能はざるが故に、情の滿足する所を以て、直ちに此の如きものなりと斷定せり、故に妄見幻覺の如きも、總て皆事實なりと信じて疑ふことなし、且つ此の派の經典を解するや、唯經中の文面を見て文字の如くに解釋し、更に裏面に蘊蓄する理を尋ぬることなく、其の結局釋迦若しくは耶蘇の如き千古に超絶せる大聖大賢の言に、茍も虛妄あるべき道理なしと思ひ、徹頭徹尾固く之を信じ、一言半語と雖も、其の文字の儘に解し、未來世界も實に現時の如き有形世界なるが如くに思ひ、死後にも今日の
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如き身體を具備して、肉體上の快樂苦痛を受くるものと信じ、極樂も目前の世界の一層美麗なるものゝ如く想像し、經文に極樂世界に蓮池ありと説けるが故に、實に吾人の現見する蓮池の死後の世界にも亦有るべしと信じ、西方に佛土ありと説けるを見ては、此の地球の上にて西方の極端に至らば、實に佛土あらんと考へ、地下に地獄ありといへば、此の地を掘ること深ければ、必ず地獄に達すべしと思ふ、此くの如きものは、實は宗教を信ずるといはんよりは、寧ろ經文を信ずるといふを適當なりとす、卽ち所謂經の意を信ずるにあらずして、其の文字を信ずるものなり、蓋し佛教の中に、禪宗の如き、不立文字の宗を立つるに至りし所以は、畢竟世の宗教者の、感情上より文字を偏信するの弊を救はんとして出でたるものなること疑ひなし、又此の感情派の宗教家は、旣に
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自ら妄見幻覺せしところのものを以て、皆事實なりとなし、幽靈の如きも眞に存在するものなりと唱ふるを以て、幽靈には色あり、形あり、重量ありと信ずるなり、其の幽靈の存在すといふは、或は一理なきにあらざるも、色、形、重量ありといふに至りては、唯だ妄といはんのみ、甞て神原精二氏が幽靈とは見るべからざるものに名づけたる言葉にして、若し見るべくんば、之を幽靈にあらずして、顯靈なりといひしが、以て世の幽靈は見得べきものゝ如く思ふ輩をして、其の道理に反する所以を知らしむべし、然るに世に實際幽靈を現見したるものあるは如何と云ふに、こは種々の事情より妄見幻覺するものにして、妄見幻覺は精神作用より生ずるものなれば、外界に實在するものとはいふべからず、宗教を感情的に解するものは、往々かゝる誤謬に陷るものあり、豈注意
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せざるべけんや、第二に神祕的解釋を舉ぐれば、此の派の人は曰く、宗教は不可知的の關門を開きて、其の内部の風光を天啓顯示するものなり、故に宗教の本境は、皆不可思議の玄林森々たる處にありて存し、實に心慮言語の外に超絶する妙區なりとす、蓋し不可思議なるもの、深く考策すれば、吾人の生息せる此の世界の萬象萬事、四方上下を圍繞するもの、一として然らざるはなし、吾人は實に不可思議の空氣中にありて、不可思議を呼吸して生存すと謂ひて可なり、此の世界旣に皆不可思議なれば、我自身も亦終に一不可思議物たり、而して我の今斯く生活し、動作し居る所以のもの、實に南柯の一夢に等しく、他日忽然夢覺めて今日を顧みば、唖然として其の長夜の迷夢たりしさまを笑ふことなきを期せず、宗教實に此の理を示して、玄のまた玄なる所以を現はす、
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これ理外の理、言外の言、慮外の慮にして、吾人の智力思想の及ぶ所にあらずと、其の一派には亦奇蹟怪談を信じて、之を以て宗教の眞面目となし、これ卽ち神の不可思議なる所以なりといひ、或は神通感通を説き、これ宗教の不可思議なりといふ、耶蘇教の經典の如きは、實に此の種類の材料を以て充滿されたり、佛教中にても、其の一部には神祕怪談を交へ、弘法、日蓮等の諸高僧の傳記を讀まば、全部殆ど之を以て充たさるゝを見るべし、而して皆以為らく、以て宗教の不可思議を證明すべしと、かゝる不思議は、以て唯道理の何たるを知らざる下等人民には感服せしむるの方便とならん、然れども茍も今日中等以上に位するものは、誰かまた斯る不合理不思議を首肯する者あらん、これ神祕的解釋の下等なるものなり、其の他神祕派中高等なる者は、唯だ宗教の理た
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るや、旣に玄中の玄、理外の理なれば、吾人の知識と其の理との間の海峽に架すべき橋梁なきを以て、吾人は言語道斷、言亡慮絶の點に於て、自然に其の理を感受するより外なしとなす、
第三節 感情論の批評
以上に説きたる所の二論派は、之を局外より見るに、一は感情に偏し、他は神祕に僻し、共に中正を得たるものといふべからず、蓋し情と智とは一心上に互に結合して存し、須臾も離るべからざるものにして、情感のみにても論ずべからず、智力のみにても論ずべからず、二者必ず相伴はざるべからざるものとなす、然るを情感論者は、單に情感のみによりて解釋を施さんと試み、自己の妄想幻視までも實在の如くに思惟し、幽靈等も形あり、色あり、
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重量ありとなすに至る、これ畢竟未だ有形無形の區別を明にせざるより起る所の謬見なり、思ふに有形とは我が五官に感觸する所のものにして、五官に感觸せざる是れ無形なり、然るに死後の世界、卽ち未來世界の類は、我が精神が肉體を離れたるときの世界なり、旣に肉體を離れたる世界にして、五官の感觸すべき世界と異なるが故に、之を無形世界或は精神世界といふなり、然らば此の世界に於て、たとひ形象を見ることありとするも、そは決して現在世界に於て、我が現感覺の覺知する所とは、固より同一なりとなすべからず、例へば吾人は夢中にありて、種々の形象を見ることありと雖も、そは必ず吾人醒覺の場合に於て見る所の形象とは等しからずして、心面の精神性現象、若くは觀念性形象とも名づくべきものなり、故に之を無形上の現象とす、而して此の無形
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世界に入る所の精神は、果して一個人の性質を具ふるものなるや否やは、哲學上の一問題なれば、後に至りて説明すべし、兎に角に幽靈及び未來世界と稱するが如きものは、我が感覺上の肉眼にては見るべからざるものにして、精神の光、卽ち心眼を用ひざるべからず、然らば幽靈は有形なりと信ずるの大迷誤たるは勿論にして、若し強ひて幽靈の人眼に現はるゝありといはゞ、之を解するに、そは靈魂其の物の現はれたるにあらずして、靈魂が物質分子の上に作用を及ぼし、其の物質分子をして人の感覺に觸れしめたるなりと想像するか、或は靈魂其の物が人の心を動かして、其の心に幻覺妄象を生ぜしめ、以て幽靈の現象を起さしめたるなりとの解釋を與ふれば、幾分か幽靈有形説の道理ともなるべきなれども、それも到底一の想像に過ぎずして、學術の許す所にあらざ
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ること言を待たず、又此の派の人の經典に對するや、專ら其の文字の儘を固執して、文字の外に道理を求むることなきは、其の妄説を笑はざるを得ず、嗚呼彼等は文字の死物にして一種の器械に過ぎず、之を活動運轉する精神の文外に存するを知らず、是れ徒らに死物を執りて活物を認めず、器械に著して精神を忘るゝものなり、且つ夫れ吾人の用ふる所の文字は、もと其の人の思想に伴うて發達し來るものにして、思想單純なるときは、言語文字も亦從つて單純なりしが、世の進むに從ひ、思想と共に複雜なる意味を具へ、漸く今日の文章をなすに至る、又今後人智の發達すべきこと疑なし、然らば今日の文字は、唯だ今日の思想に相應したる現象のみ、今日の思想とは有限の思想にして、決して何も彼も知り盡し得べき力あるものにあらず、故に今日の言語文字は、勿論
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有限性のものにして、如何なる事をも言ひ顯はし得べき性質のものにあらず、然るに宗教思想は之に反して無限性のものなり、不可思議性のものなり、此の無限不可思議の思想を、有限なる今日の言語文字にて充分に言ひ顯はさんとするときは、必ず其の勢ひ無限の精神より來るものも、種々の制限を受けて終に有限的の形を取るに至るは免る能はざる所なるべし、されば宗教の開祖と呼ばるゝ所謂釋迦の如き人にありては、其の思想固より絶對の境にありて無限の性質を有するも、吾人の上に傳へらるゝに當りては、言語文字のために常に有限の形を以て現るゝこと、例へば大海の水は無量なりと雖も、之を一杯の器に遷せば少量の水となるが如し、一杯の水は少量なりと雖も、大海の水は少量なるにあらず、吾人の上に現はるゝ宗教の表面は有限的なれども、之を開きたる
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大聖人の思想有限なるにあらず、然るに徒らに宗教の表面のみを見て、其の内包の道理も亦此の如きのみといはゞ、一杯の水を見て大海の水もこれのみといはんが如し、抑も宗教の思想は之を覺了したる教祖の心中にありては、實に大海の水の如く深くして且つ大なるも、言語文字の上に現はれたる宗教の形象は、瑣々たる一杯の水なり、此の理を知らずして經典を讀むものは、文字あるを知りて精神あるを知らざるなり、此の故に通俗の人は、文に極樂の快、地獄の苦を説けば、實に現在世界に於て吾人五官の感覺する所の有限性苦樂の如くに思惟し、其の眞意は絶對の快樂絶對の苦痛を述べたるものあることを知らず、誠に哀むべし、更に今他の一例を舉げんか、此に五官の内一官を缺きたる生物ありと假定せよ、試みに視官なしとせん歟、此の場合に於て如何にして色
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なる觀念を此の生類に與ふべきか、或は綿を以て示さんか、或は雪を以て示さんか、盲者手を出して綿に觸るゝときは、白色とは軟かなるものなりといはん、雪に觸るゝときは、白色とは冷かなるものなりと思はん、然れども冷も軟も共に白色なるにはあらず、されば色の感覺も視官なきものゝためには、已むを得ず視官以外の聽觸等の諸官によりて、其の觀念を與ふるより外なし、之と同一理にして、今日の人類は五官を有すれども、更に五官以上の感覺ありて、之を有するものは神佛に限ると想像せんか、其の五官以上の狀態、六官七官の有樣は、如何にして吾人に知らしむべきかといふに、亦五官によりて之れを示すの外方法あるべからず、吾人も亦五官以内にて之れを臆度するより詮方なし、然れども之を以て、確に六官七官を知り得たりとなさば大誤にあらずや、地
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獄極樂の未來世界の事も、亦此の例に準じて知らざるべからず、未來世界もとより吾人の五官にて考へ得べきものにあらざれども、旣に五官以上の感覺を有せざる人類に對しては、神佛の妙力と雖も、已むを得ず之を五官内に示し來りて了解せしめざるべからず、然るに感情派の人の如きは、五官相應の文面のみに注意して、其の文裏に無限の眞味あるを感見すること能はざるは、恰も無風流の人が花の愛すべきを知らずして、團子を以て自ら足れりとするの類なり、其の知識の淺薄なること、葛衣竹紙の薄きよりも甚だしと評せざるべからず、若し宗教の眞味は文字の外にあるを知るものあらば、須らく文字の裏面を穿ち來りて、高遠玄妙なる道理を開き出すべし、
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第四節 神祕論の批評
次に神祕派の理外に偏する不合理の次第を述べんに、神祕論者は、全く人智を排して、宗教は不可思議關内のものなれば、人智を以て是非すべからずといふも、凡そ此の世界の事、一も人智を中心とし起點として之より萬事萬類を測定するの外、他に知るべき方法あるものにあらず、而して人智の中には第一に感覺、第二に論理の存するありて、地獄極樂の狀態の如きは、吾人の五官上より推測するものなれば感覺に屬し、此の感覺を基礎として苦樂を想像するものなり、感覺以外の事に至りては、總て論理によりて推量するより外なし、而して論理は思想に基くものにして、茍も人の論議する所、一も思想を根據として之より推理するにあらずと
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いふことなし、故に近世の初めデカートの哲學を唱ふるや、第一に思想を以て哲學の起點とすべきことを主張してより以來、哲學界にありては思想を以て哲學の第一原理とし、諸論を統治する無比の大權を掌握せる帝王とするに至る、蓋し帝王は法律以外に獨立し、法律の力よく其の行為を抑制すべからざるが如く、思想も諸論の外に獨立し、定義も解釋も其の者に與ふること能はず、故に思想其の者は疑ふべからず斥くべからず、初より眞理として許さざるべからず、然るに神祕派の人々は、神と人との關係は神祕なりとし、理外なり不可思議なりと論ずるも、畢竟皆是れ思想の判斷によるものなり、古來靈魂を排する唯物論者も、眞理を排する懷疑學者も、一として論理によらざるものあるべからず、論理によらずんば議論を立つること能はず、旣に議論によりて道理を
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排するは、自家撞著にして到底論理思想を排し得るものにあらず、是れ懷疑學者の一大謬見なり、今神祕論者も、ひたすら神祕の一方に偏して智力を排せんとするは、また一種の僻說たるのみ、
第五節 余の宗教論
余は情感論神祕論を否拒すと雖も、しかも唯物論若しくは懷疑論に贊同するものにあらず、唯物論者は感覺上の物理實驗を本として、其の以外に屬するものは總て空想に過ぎずとなし、神佛は勿論、地獄極樂等一切之を排斥して容れず、其の論たるや感覺は完全なるものなり、物質は確實なるものなり、事實經驗は決して疑ふべからざるものなりと假定せり、故に此の論者は先づ此等の假定を土臺として、其の説を組織したるものにして、更に進んで物
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質、經驗、感覺、其の物は何ぞと問はゞ、能く答ふること能はざるは必然なり、此の説其の極端に奔りて懷疑論となる、此の論者にありては、獨り感覺以外經驗以外を排して取らざるのみにあらず、感覺經驗其の物も亦疑うて信ずることなし、古代にありてはピルロー氏の懷疑論、近世にありてはヒューム氏の懷疑論の如き、皆眞理其の者を否定せり、畢竟宇宙間一として確乎信を置くに足るものなしといふに至れるものなれば、地獄極樂の説を取らざるのみにあらず、今日自身の此に存在すること、國家社會の成立も悉く此を疑はずといふことなし、然れども懷疑學者も終に論理を疑ふこと能はざるを奈何せん、若し其の論者にして少しも論ずる所なくんば可なり、茍も論ずることある以上は、論理の力によるや明なり、故に曰く、懷疑論も亦一種の偽論なるのみ、然るに此
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に唯物懷疑の外に、唯理論と稱するものあり、此の説に從ふときは、天地間の事一も道理によりて探り得られざるものなく、若し道理に訴へて知るべからざるものあるときは、一切之を排拒せんとす、天堂冥府等の問題に至りては、道理上不可知に屬すべきものなれば、之を虛妄なりと斷定す、これ道理一邊に偏すること、神祕論者の神祕に偏すると同一理にして、其の所謂道理と稱するものは、人間の智力上に屬することなれども、人心の作用は決して智力のみにあらざれば、自餘の作用を一も二もなく排拒すべき理由あることなし、且つ夫れ人間の知識は有限性のものなり、有限は無限に對するが故に、有限性のものある以上は、亦無限性の存在を許さゞるべからず、然るに獨り有限の智力を崇拝して無限の存在を否定するは、其の僻論なること知るべきなり、余の意見
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は以上の諸論に異にして、人心中の三大作用、卽ち智情意の三者相待ちて、始めて事物の眞相を知り得べしといふにあり、蓋し此の智情意は、表面一方に於ては有限性のものなりと雖も、裏面には無限の性質を帶びたるものにして、卽ち精神には有限無限の表裏の二面を有するものなり、何となれば人の心には心象と心體との別あり、心象は物界に關係して成立するものにて、其の物界は有限性のものなれば、心象は之と關係して亦有限性のものなりと雖も、心體は本來無限性のものなるが故に、心象の心體に連接せる點よりいへば、卽ち無限性のものといはざるべからず、例へば有限性の物界の風によりて、心體の海面に起したる波は、卽ち心象なるが故に、心象は有限無限の兩面あ
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ることゝなるなり、而して此の吾人が、外界に對して有する所の有限性の心象を變じて無限性を開き、卽ち無限性に同化すること、これ宗教の目的とする所なり、更に之をいへば、吾人相對性の心をして、絶對世界に入らしむるの道を教ふるもの、之を宗教となすなり、佛教に轉迷開悟といふは卽ち是れにして、迷とは有限性を示し、悟とは無限性を指すものなり、而して其の轉迷開悟の方法に種々あるが故に、隨つて多數の宗派を分つに至る、然るに旣に人心に智情意の別ありて、三者各々有限無限の兩面に連るとせば情によりても、智によりても、意によりても、何れよりするも、共に無限に達し得るの道理あり、されば哲學にも宗派にも智情意の三種を分つに至る、例へばヘーゲルの理想學は無限性智力を本とし、シュライェルマッヘルの宗教は無限性感情を本とし、ショ
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ッペンハウェルの哲學は無限性意志を本とす、予は又佛教中、天台等を以て智宗とし、禪宗を意宗とし、淨土諸宗を情宗と名づけたることあるも此を以てなり、之を要するに智情意の諸作用に於て、有限性より無限性に入るを以て、宗教の目的と立つるものは余が説なり、
第六節 宗教の種類
宗教上の説は、之を物理的心理的の上に考ふるに、固より其の何れにも屬すべきものにあらず、何となれば宗教は相對を離れたる絶對を説くものなればなり、而して相對及び絶對の關係は、道理及び天啓によりて知ることを得、相對より絶對を知るは道理の力により、絶對より相對に及ぼすは天啓の力なり、此に於て宗教に
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天啓教と道理教との二種を分つに至る、或は又直覺教自然教の二種に分つことあり、其の中天啓教とは、我が心の上に神或は無限性の體より啓示感應あることを唱ふる宗旨にして、或は一定の教祖あり、或は一定の經文ありて、其の上に神の自ら啓示したることを信じて、其の教祖の言又は經典の文によりて、宗教の理を示すものなり、之に反して一定の教祖も經文もなく、人間自然の發達に應じて天地宇宙を觀じて、自ら宗教思想を起して終に宗教を成すに至りしもの、之を自然教といふ、耶蘇教の如きは天啓教にして、儒教は所謂自然教なり、亦直覺教とは、天啓教の部類をいふものにして、我が智力にて推理するにあらずして、直接に其の心に感知するものに就いて、宗教の啓示を信ずるものなり、道理教は之に反して、我が智力にて推理するものを云ふ、道理教と自
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然教とは、共に學術上の道理を本として研究することを得れども、天啓教直覺教は、理外の理、絶對の體を本として説くものなれば、學術上より説明を與ふること能はず、然れども其の神の作用、或は宗教の功用の物心萬有の上に及ぼせる點を論ずるときは、無論物理的或は心理的の説明によりて考へざるべからず、今宗教上の所謂奇蹟靈怪の如きものは、物心萬有の上に發する所の現象上よりいふものなれば、之を説明せんがためには、物理的心理的の上に解釋を求めざるべからず、凡そ外界にありて神が萬有の上に顯示する所の不思議は、之れを名づけて靈怪といひ、又内界にありて吾人の精神の上に神を感見するを神祕といふ、此の二者は共に理外とす、左に表示する所を見るべし、
理外的
靈怪的(神と物との關係)
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神祕的(神と心との關係)
理内的
物理的(萬有的)
心理的(精神的)
而して理外は、通常之を解して萬有の大法たる因果の規則に反するものとなす、乃ち以為らく因果自然の規律に反せざるものは、呼んで靈怪となすに足らず、耶蘇の父なくして生れ、或は一たび死して再び蘇生せりといふが如き、其の他耶蘇一代數多の奇蹟こそ眞に靈怪といふべけれ、これ神の不思議を人に示す所以なりと、斯くの如くんば靈怪とは因果律に反するものゝ謂にして、これ現今學術の許さゞる所なり、若し此の説をして成立するを得せしめば、學術は成立すべからざるものとならん、たとひ神は自在力を有するも、一たび其の定めたる規律を故なくして妄りに變更し、
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或は規律以外のものを示して、人に奇異の想をなさしむることは決して道理にあらず、彼のスピノザが因果の理法の外、一理一法なきことを論定したるは、實に近世の卓見と謂ふべし、之に反してライプニックは、萬有の變化は神の豫定あるによることを説きたるも、敢て全く因果律を排拒するにあらず、其の説によるに、神は全智全能の體なり、此の神が世界を創造するに當り、自ら因果律を以て最上の法と信じて此の世界に付與せり、然るに中頃にして此の規律を破り、因果以外のものを示さば、神が自ら初めに完全なりと見做しゝ規律を後に不十分を感じたることゝなる、これ豈に全智全能の神にしてあり得べき道理ならんや、是に由て考ふるに、靈怪は決して因果に反したるものにあらず、因果に反したるものは、奇怪と呼ぶも靈怪と稱すべからず、果して然らば何
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をか靈怪と謂ふべきや、萬有の間に因果律の一貫して時と處とに關せず、毫釐の相違なく、秩序整然紊すべからず動かすべからざるこそ實に不思議靈怪といふべけれ、斯くして萬有の上に現はれたる靈怪は、物理的説明によりて多少解釋し得らるべき道理にして、決して之を理外に放棄すべからず、又神の我が精神内に交感する神祕も、全く道理外のものにてはあるべからず、我が心は有限なり、神は無限なり、其の無限の有限の上に感ずる所以は、有限の我が心も、其の實無限と連絡を有するが故なり、若し其の連絡なき時は、到底無限を我が心に感ずるの理なかるべし、よしや心は有限性、神は無限性にして、全く相反するものなりとするも、旣に神が人心の上に其の作用を及ぼすに當りては、一方の無限性も、心の有限性の形を取らざるべからざる理なることは、先に所
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謂大海の水は無量なるも、一杯の器に移せば一杯の水となるが如し、果して然らば神祕なり天啓なり此くの如きは皆心理學より説明し得らるべき道理なり、或は其の他の幽靈の如き、冥界の如き、鬼神の如き、皆物心萬象の外に超絶せる問題なれば、物理心理の上にて説明すべからずと云ふも、世人の所謂幽靈鬼神の類は、總て物心の範圍内に於て説くものなれば、其の眞否も此の道理によりて論究せざるべからず、之を要するに、宗教の本體は、無限絶對不可思議の上にありとするも、其の現象作用の物心有限の範圍内に發顯するときは、是れ已に理内の理にして、物理的及び心理的説明によりて考究し得べき者とす、若し其の本體に至りては理外の理なりとするも、我人の無限性の心力によるときは、亦多少知了するを得べし、故に余は宇宙の問題たる、可知的なるが如く
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にして不可知的なり、不可知的なるが如くにして可知的なりと云はんとす、斯くして物心萬有の外に、絶對不可思議の體あることを證明するは、實に余が妖怪學の目的にして、緒言に假怪を拂つて眞怪を開くとは是れ之をいふなり、
第七節 靈魂生滅論
靈魂其の物につきて説明せんとするに先だち、古來宗教上の一大問題たる、靈魂生滅論に關して述ぶる所なかるべからず、世人或は曰く、靈魂は全く消滅すべし、何となれば一たび死したるものの、再び還り來りしものあるを聞かず、誰ありて未だ死後の靈魂の存在を實驗したるものあらず、是れ靈魂の肉體とともに滅するに因ると、然れども此の如きは淺見の最も甚だしきものにして、
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熟睡せるものを見て、彼は旣に死せり、何者其の名を呼べども應ぜざればなりと論斷する輩と何ぞ擇ばん、然るに靈魂の不滅を主張せんとするものは、亦之に對して説をなして曰く、誰某は死後幽靈となりて其の形を現したり、何の某は死後再生したることあり、皆以て靈魂の不滅を證するに足ると、これも亦靈魂の何たるを知らざるの妄説なれば、兩者共に信を置くに足らず、先づ靈魂消滅論者のいふところを見るに、唯だ死後に靈魂なしといふのみにして、更に生時に靈魂あるや否やを究むることなし、蓋し靈魂とは吾人の心性なれば、死後の消滅はしばらく措き、生時の存在は誰人も必ず許す所ならん、然るに生時旣に存在したる此の靈魂が、死に至りて忽然として消滅すといふ、物豈に此の如き理あらんや、凡そ物時として形を變ずることあるも、全く消滅すること
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なし、一杯の水、熱すれば形を變じて蒸氣となるも、其の體全く消滅したるにあらず、若し一旦存在したりし靈魂が、偶然消滅することあるを得ば、これぞ怪しむべきの最も大なるものにて、靈魂は不滅なりといはんよりは、一層の奇怪といはざるべからず、又若し靈魂果して生時にありとせば、其の由て來る所は如何、卽ち過去に溯りて、其の由來をも考へざるべからず、然るに通俗の靈魂消滅論者は、死後靈魂なしといふのみにして、生前何處より來りしかを尋ぬることなきは、これ亦見ることの狹きものといはざるべからず、然れども之に對して不滅論者の再生幽靈等の説明の如きも、亦取るに足らざるは明なり、果して再生幽靈の證ありとするも、千萬億萬の死人中、僅に一二人にかゝることあるのみ、そは一般の例とはならず、先づ何故に此の多數の死人が、死後更
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に通信も交通もなきものにやとの疑問を説明せざるべからず、畢竟するに以上の二論は、共に靈魂其の物の性質を明にせざるより起る所の不道理の迷信に外ならず、若し靈魂其の物の性質を明にして推考するときは、死後の靈魂よりは、寧ろ先づ生時の靈魂を究めざるべからず、悲喜哀樂轉た相生じ、時としては唖然口を開きて大笑し、時としては潸然眼をしばたゝきて悲しむ、花を見ては美なりと呼び、音樂を聞きては快なりと感ず、此の不可思議なる千態萬狀の變化、皆是れ靈魂の作用にあらずといふことなし、靈魂果して如何なる妙力ありて此の妙用を呈するか、現時の靈魂の不可思議なる所以を知らば、死後の事の如きは亦容易に知了すべきのみ、獨り死後を論じて生時に及ばずんば、其の見の狹隘なる、未だ共に靈魂を談ずるに足らず、
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第八節 靈魂不滅論
今學術上の道理に照らして、靈魂の不滅なる理由を述べんに、第一には物質不滅、勢力恒存の理法に基くものにして、凡そ一物として偶然に生じ、一事として忽然滅するものあることなきは、今日學術上の實驗に照らして證明せられたる原理なり、物理學化學等一切の科學は、實に此の理によりて成立することを得、卽ち宇宙萬有は不滅なりとの考は、現時學術上動かすべからざる原理なりといふにあり、而して我が精神も亦現存して、旣に萬有中の一たる以上は、萬有を支配する所の此の原理に從はざる能はず、若し精神を以て唯物論者の如く、勢力の一種に過ぎずとせん乎、勿論勢力恒存の理法によりて、之を不滅とするより外なし、或は之
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を以て物質にもあらず、勢力にもあらず、全く經驗感覺以外のものなりとせんか、靈魂ありといふを得ると同時に、亦靈魂なしといふを得べし、此の理を以て探るときは、到底精神は不滅なりといふより外なし、第二には潛勢力顯勢力の關係によるものにして、生時に現に其の作用を呈して、死後には其の作用を止むといはゞ、生時にありしものゝ、死後には全く滅したるが如く思ふめれど、そは唯作用を現はしたると否との差別あるのみにして、所謂顯と潛との差異あるに過ぎず、例へば手を動かすが如し、手を動かすときに發する力は、其の時偶然生じたるにあらず、又之を止むるときには其の力忽ち滅して無に歸したるにはあらず、一は顯勢力となりて外に發し、一は潛勢力となりて内に存するのみ、又内包外發といふことあり、草木の種子之を地に種うれば芽を出して草
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木の形を成し、之を筐中に藏むれば依然として常に種子なり、然れども筐中の種子は、草木となるべき力なきにあらず、地に入りし種子は、草木となるべき力を俄に外より得たるにもあらず、筐中にては、其の力内包的に存して外に見えざりしも、地に入るに及び、種々の外緣に催されて、外發して草木の形をなすものなれば、其の有する所の力自身に於ては、彼此の間毫も差異あることなし、此の理によりて考ふるに、生時に精神作用の外發して、死時に空寂に歸するが如く思はるゝは、其の實外發の勢力再び内包に歸し、顯勢力一變して潛勢力となりたるものに過ぎざるべし、以上の二條の理由によりて精神の不滅なる所以を證すべし、然らば現在の靈魂と未來の靈魂とは、如何に異なるものなるか、そはまた別に論ぜざるべからず、
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第九節 靈魂の狀態
靈魂果して不滅とせば、死後の靈魂の狀態は如何、是れ又一大問題なり、之を生時の靈魂に比較するに、生時には肉身の内に包容され、肉體には五官あり、外物此の五官の窓より心面に映じ來ると雖も、死後の精神は旣に肉體を離れたる以上は、五官の窓より外界を見るが如きものにあらず、故に生時と死後との靈魂の差別は、第一に生時には感覺性のものなれども、死後は然らざるの異點あり、次に生時の精神作用は、意識に覺知して起る所なれども、死後は不覺識の境遇に入る、例へば晝間醒覺の時と夜間睡眠の時とは、精神に別あるにはあらざれども、一は覺識あり、他は不覺識の狀態に居るが如し、生死の精神の別亦此に同じ、之を第二の
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異點となす、第三は生時には何の誰と稱する所謂個體性の成立を有するも、死後には自己なる成立なく、卽ち無我平等の海に入るの異點なり、以上三點の區別より推測するに死後の靈魂なるものは、實に空々漠々渺々蕩々、苦もなく亦樂もなく、知もなく亦意もなき有樣ならざるべからず、果して然らば靈魂を以て不死とするも、死物と何ぞ擇ばん、彼の死後の極樂地獄成佛得道を説くが如きも、また唯だ方便に過ぎざるか、然るに宗教上に於ては、啻に靈魂の不滅を説くのみならず、死後の狀態に苦樂の兩境あることを論じ、已に佛教にては六道輪廻生死昇沈を説くが如きは、如何なる理によるものなりや、これ大に學者の攻究を要する所なり、抑も此の論は、唯物家より視ると唯心家より考ふるとは、おのづから異なるも、今一々其の論點を舉示する能はざれば、左に靈魂
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は死後猶ほ個體性を繼續すべき理由のみを述べんとす、
凡そ人の身心の關係は、一にして一ならず、二にして二ならず、所謂不一不二の關係を有するものなれば、其の一生の間、日夜になる所の一舉一動は、肉體上及び感覺上に關するも、皆其の精神に薫習して習慣性を構成し、反覆數回にわたれば、終に一種の固有性となるべし、然るときは死によりて肉體と靈魂と相分れて、靈魂は平等の海に入るべきも、一たび薫習せられたる習慣のために、再び一個格段の差別的成立を有することゝなるなり、されば生時の覺識は、絶息の後と雖も習慣性の力によりて、更に一種の世界を開現するに至るは、理の當に然るべき所なり、是を以て我靈魂は、死後苦樂の境に昇沈せざるべからず、これ佛教にて善惡因果を説く所以、六道輪廻を談ずる所以なり、然れども若し吾人
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生涯に利己私愛の慾念を脱し、純然たる良心の光を開發し、以て死後超然として平等の理界に進入するを得るに至らば、これ卽ち佛教の悟道なり、故に靈魂が其の固有の習慣性によりて、苦樂の兩境に昇沈する間は、所謂迷の境遇にして、此の迷を轉じて平等海に入るを悟となす、然らば悟界に入りたる佛陀の如きは、平等無差別、空寂無覺の體なるかといふに曰く然らず、此の點は各種の宗教の共に論ずる所なれども、今之を佛教に尋ぬるに、佛菩薩を以て無上の快樂、無上の智慧を有するものなりといふ、是れ果して如何なる道理によるや、亦一大疑問なり、斯の如きは固より今日の道理一邊を以て説くべきことにあらず、所謂絶對關内の風光なれば、宗教上天啓顯示を待たざるべからざるも、今此に論ずる所は、道理によりて説明するにあれば、聊か宗教學の理論に考
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へて、此の疑團を氷釋せんと欲するなり、
夫れ宇宙萬有の本體、精神思想の本源は、儒教之を大極と云ひ、佛教之を眞如と云ふ、而して眞如は、之を平等一方の裏面より視るときは、空寂無覺の體なるが如くなるも、差別の表面より視るときは、最上純全の覺知體となる、卽ち眞如に表裏兩面あることを知らざるべからず、凡そ天地間の生類は、宇宙進化の理法によるに、最初不覺の狀態より、漸く進んで覺知の光明を發顯し、愈々進んで益々其の光輝を増し、人間に至りて大に智光の赫々たるを見るに至れり、然れども此の光明は、決して人間にありて旣に其の全分を現はし盡したるものにあらず、これより益々進化せば、他日更に愈々輝くの時あるべし、同一人類にしても、下等の蒙昧なるものは、其の光明なほ薄く、智者學者は之に數倍せる智光を
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有す、是を推して之を考ふるに、是より更に進んで十倍百倍、或は千萬倍の光明を放つことあるに至らんも、決して想像し得られざるにあらず、而して此の所謂光明とは、知識精神の光明にして、肉體上より發する所にあらず、是れ實に心性の内部より放つ所の光明ならざるべからず、故に之を靈魂固有の本性となすも不可なきを覺ゆ、然るに動物と人類との別あるは、其の光明に差異あるにあらざれども、動物に於ては潛勢力となりて靈魂の内部に伏在して存し、人類は其の内包の光明の幾分を外に發顯したりといふに過ぎず、さりながら人間も亦未だ内包の光明を全く發顯し盡したるものにあらざれば、其の光明の量なるや蓋し無量なるべし、故に若し此の全量を外發するを得ば、實に無量の智、無量の德、無量の快樂となりて開現せらるべし、此の理を推して考ふるに、
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完全なる覺知の境遇、卽ち神佛の位置に達するの日あるも、亦決して疑ふべからず、されば佛教の所謂眞如も、之を解するに於て二樣の見解あることを記すべし、卽ち一方より見れば、眞如界は空々寂々、不知不覺、不苦不樂の境の如く見ゆれども、他方より之を考ふるに、眞如の體中に、完全なる無量の知識、無量の慈悲の光明を内包し、漸く開發して吾人の心中に智德の光輝を放つに至る、以上は眞如卽ち完全なる覺知の體なりと謂ふべし、換言すれば、眞如其者は消極と積極との二種の性質ありと知るべし、然らば假令靈魂の狀態が、今日にては晝夜覺眠の別ありと雖も、若し之を積極的に考へ來らば、他日其の内包の全分の知識を開發し、生死今昔一切の事、皆一心の鏡面に映現し來り、道德光明の新天地に遊ぶことあるべき理なり、然れども現在世界にありては、此
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の肉體の感覺に其の心を奪はれ、為に明々白々の心も、迷雲妄霧のために覆はれて、誰も其の眞相を見ること能はず、此の雲霧を宗教上にては、或は呼んで煩惱と云ひ、或は名づけて罪惡といふ、今若し我が身に善因を養ひ、道德を修め、以て愚昧の雲霧を一掃し來らば、此の時始めて無始以來内包せる光明の六合を照徹することあるべし、起信論の所謂本覺始覺の義は、此に至りて了解すべし、然るに世人は一般に靈魂も眞如も、之を獨り消極的に説き來りて、更に積極的に考ふることなく、外見的に評し去りて、内包的に論ずることなし、故を以て死後の靈魂は、枯木死灰の如く考へ、未來の地獄極樂は、愚民の迷夢に歸して、誰も怪むものなし、而して自ら有する所の心魂の識覺を有するは、何によりて然るやを詳にせず、是れ愚と呼ばずして何ぞや、王充論衡、論死篇
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に曰く、「夫死人不能為鬼、則亦旡所知矣、何以驗之、以未生之時旡所知也、人未生在元氣之中、旣死復歸元氣、元氣荒忽人氣在其中、人未生旡所知其死歸無知之本、何能有知乎」と、是れ畢竟未だ靈魂の内包的光明の何たるを知らず、單に消極的の理のみを見て、積極的の理を知らざるによる、然るに佛教は却て此の積極的道理によりて、成佛得道を説くものなり、さりながら此の點に至つては、最早物理的説明も、心理的説明も、共に與り知らざる所にして、實に不可知的、不可思議の玄境に入りて考ふるより外なし、余が所謂宗教は、不可思議の關門を開きて、絶對界内の風光を示すものなりとは、此の靈魂内包の積極的道理に本づくを知るべし、
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第十節 生靈、死靈、人魂、魂魄、遊魂の解
以上述ぶる所は、全く靈魂不滅論なり、是れより幽靈論そのものを結ばんとするに、先づ魂魄、死靈、生靈等の語を解説するを要す、左傳に、子産の言、「人生始化曰魄、旣生魄陽曰魂」とあり、杜預之を注して「魄者形也」と云ひ、また同書に「樂祁云、心之精爽、是謂魂魄」とあり、淮南子に「天氣為魂、地氣為魄」、或は「魄者陰之神也」とあり、禮記の祭儀に、孔子の語なりとて、「人生有氣有魂有魄、氣也者神之盛也、魄也者鬼之盛也、眾生必死、死必歸土、此謂鬼、魂氣歸天、此謂神」とあり、又「白虎通曰、魂者何謂也、魂猶云々也、行不休也、動於外、主於情、魂者白也、猶著人者也、主於性」とあり、又新井白石の鬼神論に、「されば人の知
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覺は魂に屬し、形體は魄に屬す、陽は魂に屬するが故に、陽を魂とし、陰を魄とす、いはゆる魂は陽の神にて、魄は陰の神なり、また氣を魂とし、精を魄とす云々」とあり、之を要するに、支那にては、陰陽二氣聚りて人を成すを以て、其の氣散ずれば元の陰陽に歸す、而して其の中陽を魂といひ、陰を魄と云ひ、天に歸するものは魂にして、地に歸するものは鬼なりとするなり、わが邦にては、靈魂に和御魂荒御魂の二種を分ち、和魂は善なり、慈なり、和なり、荒魂は惡なり、暴なり、勇なりとす、日本書紀神功皇后の巻に、「神有誨曰、和魂服玉身而守壽命、荒魂為先鋒而導師船」とあり、以て其の二魂の性質の異なるを知るべし、又紀の一書に、「吾是汝之幸魂奇魂也」とあり、又舊紀に「吾是汝之幸魂奇魂術魂之神也」とあるを見れば、魂の種類は總じて和魂、荒魂、
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奇魂、幸魂、術魂の五ありと知るべし、而して此の魂を授與するものは神なりとし、其の體は不滅なるものとす、浦田氏の大道本義に曰く、「以幽為宅、以顯為寓者、魂也、魂出幽而來於顯、則身生、魂去顯而歸於幽、則身死、幽顯分域而一魂居之、生死殊途而一魂涉之」と、是れ純然たる靈魂不滅論なり、之に對するときは、儒教は靈魂消散説にして、天地の氣相結んで人を生じ、人一たび死すれば、其の心散じて其の元に歸るとなす、故に貝原益軒の自娯集巻七に曰く、「天道流行、發育乎萬物、陰陽之運、乃天之道也、二氣聚散無窮、聚則生、散則死、二氣之靈在人身者、謂之魂魄、人身所受、二氣與魂魄、猶陰陽與鬼神、非有二也、蓋魂魄者、其主而靈者而已矣、故二氣消散、則魂魄亦隨而亡矣、然則身死後、魂魄豈復可留滯于天地之間乎」と、是に由つて之を觀るに、儒教
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は一般に靈魂消滅説なるが如きも、其の實不滅説なり、唯余が所謂消極的説明によりて積極的に考へざるのみ、若し又人心の本性を論ずるに至つては、其の不滅なること言を待たず、惺窩文集續稿巻一に、「夫天道者理也、此理在天、未賦於物曰天道、此理具於人心、未應於事曰性、性亦理也」と、又羅山文集巻二十四に、「理之所主謂之帝也、理之所出謂之天也、理之所生謂之性也、理之所聚謂之心也」と、又大鹽中齋の洗心洞剳記に、「有形質者、雖大有限、而必滅矣、無形質者、雖微無涯、而亦傳矣」是れ亦心識の本性の不滅なることを推究すべし、且つ又儒教にては、陰陽の氣の聚りて人の身心を成すや、其の死に臨みて、久しく其の氣の散ぜざることありとなす、朱子の説にも、「人鬼之氣、則消散而無餘矣、其消散亦有久速之異、人有不伏其死者、所以旣死而此氣不散、為
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妖為怪」とあり、是れ易に「精氣為物、遊魂為變」と謂ふ所以なり、佛者は遊魂為變を解して、輪廻説に比するも、儒者は其の所謂變とは、魂遊び魄散じて、漸く消變を成すを云ふも、前身人となり後身畜となるの説にあらずとなす、而して古來幽靈の其の形を現し、狐狸の人に憑るが如きは、皆遊魂の作用に歸せり、新井白石は、死後の境遇の一層神靈なることを示して曰く、「それ水は至つて清けれども、冰を結ぶときは明かならず、神至つて明かなれども、形を結ぶときは明かならず、冰解けては清にかへり、形散じては明に復る、故に覺むるは靈ならずして、夢は靈に生る、靈ならずして、死するは靈なり」と、是れ面白き言なり、此の魂魄の説明は、新井氏鬼神論及び平田氏鬼神新論を參見すべし、次に佛教は固より靈魂不滅論なれども、神儒二道とは稍異なる所あ
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り、其の所謂靈魂は、之を識心と名づく、此の識心は、因果の事情に從つて生滅變遷して、而してよく相續するものとなす、俱舍論に、「譬如燈焰雖剎那滅、而能相續轉至餘方、諸蘊亦然」とあり、唯識論に、「此識性無始時來、剎那剎那果生因滅、果生故非斷、因滅故非常、非斷、非常、是緣起理故」とあり、此の因果相續の理によりて、生前死後永く浮沈昇降して、六道の間に生滅輪廻することを説くもの、是れ佛教なり、故に弘法大師は、生れ生れ生れて生れの始を知らず、死に死に死んで死の終を知らずと云へり、是れ生滅門の上にて視るによる、若し不生滅の邊より論ずるときは、起信論の所謂心性不生不滅なり、「一切法從本已來、離言說相、離名字相、離心緣相、畢竟平等、無有變異、不可破壞、唯是一心、故名眞如」とある是なり、之を要するに、神儒佛三道、各靈魂不
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滅説を異にするも、人の死後に魂魄の作用を留め得るを説くに至つては互に一致すと謂はざるべからず、又其の靈魂の狀態を論ずるや、物質を離れて獨立せるものとなし、生時にありても、人の心が他人に憑附し得ると考ふるものあり、是を以て死靈生靈の人に憑附することを信ずる徒甚だ多し、又世間に人魂と云ふも、生靈死靈と同一物たるべし、然るに一團の怪火の空中を飛行するを見て、呼んで人魂となすは、愚民の妄想より出づるなり、遊魂につきては、先に旣に之を論ぜり、葢し我邦の狐憑神憑魔憑其の他祟の如きは、皆以上述ぶる説によりて解釋し來れり、
第十一節 靈魂論の歸納
抑も古來の靈魂談は固より一より十に至る迄、盡く取るべからず
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と雖も、亦一口に排斥すべからず、徂徠の論語徴に「剖樹以求花於其中、烏能見之、謂之旡花可乎哉」とあるは名言なり、平田篤胤は怪談を主唱する人なれども、其の言に「奇怪き事とて一向に懼れ惑ふも愚なり、よく其の信けべきと信うべからざるとを、辨へて惑はざるをこそ、眞に智の大なる人と云ふべけれ」と示せり、今余は更に西洋の靈魂不滅説に照して、先きに舉ぐる所の靈魂論を結ばんとす、古代にも靈魂不滅論あり、今日にも同じく不滅論あれども、古代は物心二元並存論に本づき、今日は物心二元一體論に本づく、今並存論によるに、左圖の甲は、物心相合して生活
物心二元並有論
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現象を示す所の狀態にして、乙は二元相離れて死したる時の有樣なり、若し又一體論によれば、左圖の如く、物心二元は、共に一
物心二元一體論
大元の中に存立するなり、而して其の一大元を理想眞如若くは大極と名づく、此の圖の甲と乙との別は、生と死とを示したるにあらずして、物心と理想との關係の異説を示したるのみ、西洋近世の哲學者にしてスピノザの如き、フィヒテの如き、ヘーゲルの如き、皆物心一體論によりて靈魂不滅を唱ふるなり、故に今日は此の一體論によらざるべからず、而して又一體論に於て物心の關係
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を論ずるに、左の如き説明を用ふるは、論理上甚だ難しとす、
一體論第一圖
之に反して左の圖式によらざるべからず、甲は生時にして、物質
一體論第二圖
の内部より心性の一部分を其の中心に開發し、乙は死したる時にして、心性は復び物質の内部に潛伏し、外面には物質のみを示す
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に至るなり、第一圖は一體論中の物心並存論にして、第二圖は心性内包論なり、此の内包の心性は理想其の者と體を同じうするを以て、獨り不滅なるのみならず、實に無限絶對なり、然れども其の作用は、物質によるにあらざれば示すこと能はず、恰も太陽の光線が、物に觸るゝにあらざれば、其の色を示さゞるが如し、故に余は此の内包論によりて、靈魂不滅を唱へんとす、方今哲學上種々の論派ありて、互に相爭ふも、獨り此の論に至つては唯物論も、共に一致せざるを得ず、唯心論の此の説に合するは勿論にして、唯物論も心性を以て物質固有の勢力に歸するときは、一種の内包論となるは明かなり、此の内包論によりて靈魂に本來覺知性を具有することを證すべし、何者、吾人の心は旣に覺知性を有する以上は、之を推して物質内包の心性の本源にも、覺知性の潛伏
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して存するを知るべきを以てなり、是れ余が靈魂論に歸結なり、
第十二節 幽靈の説
旣に靈魂論を講述し終れば、是より正しく幽靈の問題に移りて聊か説明を試みんと欲す、『桂林漫錄』に幽靈の事を述べて曰く、
唐山にて鬼と云ひ女の幽靈を女鬼と云ふ、萬葉集(巻十六)怕物歌
人魂仍佐靑有公之但獨相有之雨夜葉非左思所思
と詠みたれば、和訓には、ひとだまのさをなるきみとぞ云ふべき、覆溺して死せる者の鬼を、覆舟鬼と云ふこと海外妖怪記に見えたりと、櫟窓先生申されき、京師の畫工丸山主水(應舉)女鬼を畫がくに名あり、予が藏する物すぐれて妙なり、何より思を構へて畫がき初めたりしや、見る人毛髮竦然として竪ち、實に神
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畫と稱すべし、
其の他俗に所謂舟幽靈、ウブメの幽靈、雲隱のバケモノ等あり、幽靈はもと靈魂不滅論に本づき、純正哲學の問題にして、物理心理の關係する所にあらざるも、世間の所謂幽靈は、物心の間に其の形象作用を現示したるものをいふことなれば、其の説明も亦物理心理によらざるべからず、我邦從來の説明にては、多く儒教によりて前節に述ぶるが如く、死したる者の魂魄未だ消散せずして其の形を現ずるものとなす、先年國家學會に於ける谷子爵の幽靈談は、全く儒教の説に本づくものなり、又十返舎一九は『怪物輿論』に敍して曰く、
無情にして有情に化するものは、腐草化して螢となるの類、離形にして有形をなすものは、折枝を地にさすに自から根づくが
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如し、況や人の魂氣存して異形を露はし、靈をなすこと、各物に著するの情逼するが故なり、蓋し山谷幽陰の猿精狐怪、古家荒房の死鬼愁魂、俱に奇とす可く、亦奇とすべからざるものや云々、
是れ皆想像説にして、決して學術説明と見做すべからず、余此の事につき、曾て世人の注意を促したることあれば、左に其の文を掲ぐべし、
夫れ幽靈の談は時の古今を問はず、洋の東西を論ぜず、遍く世に傳はれる所にして、眞に之有りと信ずる者、現時にありても猶鮮しとせず、而も實際之を見たりといふ人に至りては甚だ稀なり、然らば彼の多數なる幽靈論者は、大抵實際に之を見し人にあらずして、古來の傳説、若くは世人の風説に聞き、依りて
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以て自己の信仰を固うしたる者なり、是を以て眞に幽靈有りと信ずる人に對しては、其の論の眞偽を質さんより寧ろ傳説風説の果して確實なるものなりや否やを質すを要す、卽ち幽靈有無の問題は、事實眞偽の問題に歸著するなり、今幽靈有りと論ずる者の論據とする所を考ふるに、靈魂不滅の説に外ならず、卽ち其の説に曰く、人の死するといふことは、唯其の肉體が生活作用を息めし迄にして、靈魂其の物の滅せしにあらず、旣に靈魂にして滅せざる以上は、一旦肉體を離れし後と雖も、如何にかして一種の形を現はし、人に其の存在を見すべき道理なり、故に死者が自家又は社會の事に就き執念を殘して、死後猶ほ安んずること能はざる場合には、幽靈となりて其の形を生存せる人に現し、其の懷ふ所を告ぐることを得るは疑ふ可からずと、
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然れども少しく考ふるときは、世に所謂幽靈と靈魂不滅論者の所謂靈魂とは、全く性質の異なれるものなることを發見するに難からざらん、何とならば、所謂幽靈には形あり色あり聲もあり重量もあり、而して所謂靈魂は人の精神を指すものにして、此等の性質を具へざればなり、若し幽靈にして果して靈魂と同一物ならんには、是れ卽ち精神其の者の體にして、一旦肉體を離れし後形色を具へて人の前に現ずべき謂なければ、世に其の形體を見しといふ人の眼前に現れし物は實に幽靈にあらず、又靈魂にもあらずして、之を他物と假定して可なり、且つ幽とは不可見の謂ならずや、而も之に形體ありとせば、論理上撞著の甚だしきものといはざる可からず、されば彼の幽靈論者の説く所は、道理上旣に靈魂不滅説と全く關係なきものと知るべし、
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且つ實際上に於ても、全く自家の經驗を根據とせるものなれば、之を事實として其の論を承認すること能はざるなり、たとひ一步を假して其の事實を確實とし、其の道理を精確なりと假定するも、猶ほ二三の考究を要する問題ありて、決して輕々に論斷を下すべからず、卽ち其の問題の第一は、一旦肉體を去りたる無形質の精神卽ち靈魂が、如何にして再び形質を具ふるに至りしかといふこと是なり、又第二は幽靈の現れし場合并に人の之を見し場合を考ふるに、種々の事情存せざるはなきことなるが、何故に幽靈の現はるゝには、かゝる事情を要せるかの點是なり、其の事情とは何ぞや、試みに之を左に列舉せんに、先づ之を主觀的と客觀的とに分つを便とす、其の客觀的には第一に幽靈の現ずるは薄暮或は夜中の如き事物の判明ならざる時に多き事情
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あり、第二に寂々寥々たる場所に多き事情あり、第三に死人ありたる家、久しく人の住まざりし家、神社佛閣、墓畔、柳陰の如き場所に多き事情あり、其の主觀的には、第一に幽靈は或一人に限りて其の形を見ること多く、衆人同時に之を見ること甚だ少き事情あり、第二は疾病或は心痛其の他の事情に由りて身心上に衰弱變動を生じたるか、若くは發狂したる場合かに於て多く現るゝ事情あり、第三に幽靈を見るは其の性質感動し易く恐怖し易く、概して智に乏しくして情に強き人に多き事情あり、第四に自ら一事を專念沈思する場合に多き事情あり、例へば寡婦が專ら其の亡夫を追慕して止まざる場合に於て其の幽靈を見るが如し、之を要するに以上列舉せしが如き種々の事情ありて始めて幽靈現はるとせば、何故に此等の事情が幽靈の現出に必
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要なるかは、決して研究を怠る可からざる要點ならずや、さはいへ予は決して幽靈なしと斷言せんとするにあらず、又決して幽靈ありと信ずる論者を攻撃せんと欲するにはあらず、唯世の幽靈論者が、僅々二三の事實に據りて直に之有りとの斷定を下さんとする傾向無きにあらざれば、此の如き論者に向ひて注意を乞はんと欲するに過ぎず、故に予は幽靈ありと信ずる論者に向ひて、其の斷定に到達するに先だち、余が上に列舉せし一二の問題に對し、十分なる解釋を與へられんことを希望して止まざるなり、
王充の論衡に述ぶる所實に一理あり、其の言に曰く、「朽則消亡、荒忽不見、故謂之鬼神、人見鬼神之形、故非死人之精也、何則鬼神荒忽不見之名也」と是に由て之を視るも、通俗の所謂幽靈の誤
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あるを知るべし、若し誠に其の幽靈を説明せんと欲せば、物理的心理的の二方によらざるべからず、若し物理的説明によらば、幽靈は固より世に存在すべき道理あるものにあらず、強ひて之を説明せんとせんか、或は一種の電氣又は精氣の作用に歸するより外なし、或は數學上之を第三大以上のものとなす人あり、第一大とは、單線の如き長さのみを有するものにして、第二大とは、平面性のもの、卽ち長と幅とを有するものをいひ、第三大とは、立方體にして、長幅の外厚さを有するものをいふなり、而して今吾人は唯耳官のみを有して、他の感覺なきものありと假定せんか、然るときは第一大以上を知るべからず、又眼官のみにて他の感覺なき者ありと假定せんか、第二大迄を知るも、第三大には及ばざるべし、然るに今日の人類は五官によりて三大までを知ると雖も、
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若し此上に六官七官を有しなば、なほ四大五大の知るべきものあるやも測るべからず、而して幽靈の如き妖怪は、卽ち此の四大以上の性を有して、人間の五官にては知り得べからざるものと想像するものもあれども、これ却て臆説空想の甚だしきものなり、或は又人間にも五官以上の官能具備したらんには、幽靈も亦辨じ得べきものなりと考ふるものあるも、これ亦一の想像にして、固より取るに足らざるべし、要するに物理上にては、到底幽靈の實に在りとの論には同意すること能はず、然れども心理上より考ふるときは、幻覺、妄想、注意、信仰、豫期、感情等によりて説明することを得べし、然れども此等は後に一々例を舉げて説明する所あるべし、
第十三節 幽靈の種類
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民間の幽靈には種々あること疑ひなければ、左に其の表を示すべし、
幽靈
虛偽 人為的 偶然的
事実
有形的
一人に限りて見るもの
衆人共に見るもの
無形的
一人に限りて感ずるもの
衆人共に感ずるもの
人為的とは、虛言訛傳等によりて其の實を誤るものを云ふ、偶然的とは、先に第一節に掲げたる二三の例の如きものを云ふ、此の二者は共に事實にあらざるを以て、之を虛偽と名づく、此の偶然的に屬すべきものに物理的妖怪あり、卽ち光線の反射屈折等によ
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りて人影を浮ぶるときに、之を幽靈と認むることあり、例へば高山幽谷などには虛影を見ることあり、又夜中ランプの光線が偶然物の影を人の形に現ぜしむることあり、之と等しき例に、信州小諸町小山勝助氏より報道せられし一項あり、卽ち左の如し、
我長野縣北佐久郡御影新田村若林時次郎の妾某、同村内に一家を借りて別居せしが、明治十九年九月某夜、便所に往き還りて室に入らんとせしに、今まで明かなりしランプの何となく朦朧として薄暗きを異み、不圖其のホヤを見れば、ホヤは人面と化して某を睨むものゝ如し、某之を見て驚き叫び、出でて隣人に告ぐ、隣人妄となし一人も之を信ずるものなし、是に於て某已むを得ず再び室に入りて其のホヤを檢せしに、ホヤの裏面に附著したる油煙明かに人面を現はせり、其の容貌男女の區別明か
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ならざれども眉目口鼻皆備はりて、頭髮の生際まで判然印現し、畫工と雖も及ばざる程巧みに見ゆ、是れ偶然油煙の附きし所が人面の如くに現はれしに相違なかるべきも、此の如く巧みに現はれしは奇と謂はざるべからず、或人之を御嶽講の先達に占はしめしに、時次郎の亡妻祟りを為すなりといひし由、尤も其のホヤは其の儘同家に保存しある由なれば、何人にても猶見ることを得べし、
是れ偶然の出來事なることは問はずして明かなり、又返響が人を驚かすことあり、深山などには殊に甚だしとす、要するに光線と音響とは妖怪を作り出す力を有するを以て、今後幽靈の形を見、若くは聲を聞きたるときには、餘程注意に注意を重ねて、其の原因を探究せざるべからず、
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又虛偽にあらずして、一般に幽靈の事實として世人の傳ふるものに、有形無形の別ありて、有形の方には陰火の燃え上り、或は怪火の空中に飛行するを幽靈となすものあれども、今此に論ずるものは、人の形體を示すものを云ふ、其の形體に手足五感を具備して、言語舉動更に生時に異ならざるものと、半身のみありて空中に懸り、或は頭のみを現し、或は運動のみありて言語を有せず、或は言語運動共に有せざるものとあり、之に反して無形の幽靈とは、目に形體を見ざるも、耳に語聲を聽き、或は足音を聞き、或は觸覺上亡者の體重を感ずるが如きを云ふ、世間の俗説には、幽靈が寺に參り、戸を開き鐘を敲く等、種々の音を聞くも、其の形を示さゞることありと信ずるなり、又此等の幽靈の一人の感覺のみに現ずるものと、衆人の耳目に現ずるものとの二種あり、左に
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二三の例を舉げて示すべし、先づ有形的幽靈の一人に限りて見たる例を舉ぐれば、
新著聞集巻五に曰く、江戸柳原の酒屋市兵衛と云ふ者の妻、天和三年の夏身まかりしに、其の頃の或夕暮に幽靈現はれて下女が袖を引きしかば、あなかなしやと伏し倒れ呼びしに驚き、人寄つて見れば絶死せり、顔に水をそゝぎ呼びけるに辛うじてよみがへりし、然るに彼が片袖切れて無かりしかば、不審して翌の朝亡妻の塚に詣で見れば、彼袖石塔の上にかゝりてありしとなり、
群馬縣福地載五郎氏の報に曰く、予が産地は上州前橋なるが、同地の緣家に余と同齡の男子某あり、予は父の四十二歳の時生れしより假りに棄兒とせられ、(俗に四十二の二つ子と稱して、四十二歳の人の子は禍ありといふ
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による、)某の父を拾ひ親と定めし事あり、加ふるに予が母乳に乏しかりしため、某の母に乳養せられ、十二三歳の頃迄は常に相往來し、予と某とは恰も眞の兄弟の如くに交れり、然るに余十三歳の時入京し、某と相見ざること數年の後、一度歸郷せしことありしも、常時某は或縣立學校に入學してありたれば、終に面會するを得ず、交情漸く疎にして、今は他人と異なること無き程迄になりたれば、某を思ふこと曾てなかりしが、明治十六年の暑中に一日の閑を得て郊外を散步せしに、途中にて圖らずも某に邂逅し、種々笑談の後某の著しく衰弱せるを異み、其の所由を問ひしに、某は過般來脚氣症の氣味ありしが、夏期に至り病勢増進して一時は步行すること能はざる迄に至りし故、湯治を兼ねて某所へ轉地せり、其の後漸く輕快に向ひ、一昨夜歸宅
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せし位なれば、病餘の疾憊猶ほ全く癒えざるなりと語りしに依りて、始めて某の病氣にてありしを知り、猶ほ大切にすべしと云ひて別れ、午時家に歸りしに、某の家より信書至る、輙ち開きて見れば書中某永々病氣の處、療養終に其の效なく、昨夜死去云々の語あり、此の訃音にして信ならば、今朝途中にて某に逢ふべき筈なければ、且つ驚き且つ怪み、一時呆然としてありしが、兎に角打棄て置くべきことにあらねば、直に某の家に至り尋ねしに、久しく病床にありて一時轉地せしことなどは、余が某に逢ひしとき聞きし所と毫も差はず、而して其の死せしは實に昨夜の事なりし由を聞き、さては今朝逢ひしは某の幽魂なりしかと思はず膚に粟を生じたり、因て思ふに、余と某との交情今日迄幼穉の時の如く親密なりしならんには、此くの如きこ
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となきにも限らざるべしと雖も、當時は久しく相見しこともなく、殆と絶交の有樣にて、曾て腦中に浮びしことすらなきに、而もかく亡靈に逢ひしは如何なる故にやと、疑團凝りて解けず、且らく記して後日に研究を待つ、
又衆人共に見たる例を舉ぐれば、谷子爵の國家學會にて演述せられし幽靈談の中に、白晝出でたる幽靈の事實あり、今國民新聞の雜報中より其の一節を轉載すれば、
頃は延寶二年の事なり、土佐の國に於ては浦々に浦奉行なるものありて九十九浦よりあがる税は先づ浦奉行に納めたり、此の浦奉行に岡野源兵衛なる者あり、源兵衛の配下に濱田六之丞と云ふ者ありしが、此の六之丞は夥しく金を取扱ふ故に終に不良の心を起し、只今ならば、監守盜ともいふべき罪を犯せり、其
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の頃の刑罰は極めて重く、濱田六之丞これがため死刑の宣告を受けたるのみならず、一家三族悉く落首となつて相果てたり、六之丞の弟に吉兵衛といふ者あり、紀州へ行いて劍道を學び居りしが、性得甚だ誠實にして學業の進みも早く、師家にては彼に皆傳を許さんと思ひ居る内、吉之丞は國元の便りを聞き大に驚き、それとなしに師家を辭して、土佐に歸り城下より一里ばかり離れたる洲崎といふ處へ上陸して、村役人の處へ至り、自らは先程監守盜の罪を犯して刑せられたる六兵衛の弟で御座る、何分の御仕置を願ひ奉ると届け出でたり、通常のものならば、一家の刑せられしを聞かば、逃げ去るこそ人情なるに、吉兵衛は他國より歸り來りてお仕置を願ふにより、村役人も感心して、繩をもかけず、添書をつけて目付役の處に至らしめ、當時の目
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付役源兵衛は其の旨を上申に及びたる處、土佐の政府に於ても、其の殊勝なる心に感じて種々の議論ありしが終に切腹を申付け、吉兵衛は通常ならば打首にも處せらるべき處、武士の面目を立てくだされ切腹を仰付けられたるは、此上なき有難きことなりと御受して潔く割腹して相果てたり、其の翌日の晝頃なりき、源兵衛の家に案内を乞ふものあり、源兵衛立出で見れば、昨日割腹したる濱田吉兵衛也、實は生前に申し殘したることあり、依つて御依賴の為め推參致したり、そは餘の儀にあらず、師家より傳書を贈り來る筈なるが、拙者かくなり果てし上は、つまらぬ者の手に渡るは必定也、さありては師家に對して信義の相立たざる次第なれば、何卒足下に於て御燒き棄て相成りたきもの也と、源兵衛は之を承知したる旨を告げ、濱田吉兵衛は喜ん
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で立去れり、此の幽靈は白日出で來りしのみならず、立派に足もありて、且つ水漬二杯の馳走を受けて立去れり、其の座にありし源兵衛の僕、平尾彌五郎、市田與平次の二人居合はせ、不思議に思ひ、あと追ひ駈けたれど終に影を見失へり、
又近江國大菅吉太郎氏の報に曰く、維新の前、彦根藩士に寺澤友雄(今猶生存せる人)といへる人ありしが、一夜同藩士某の邸邊を通行せし時、同邸の墻の邊に人あり、胴より上を見はし、頻りに頭を左右に振りて眄顧するものゝ如し、由りて月の光に照し其の面を熟視すれば、其の邸の主人某なり、當時某は江戸詰にして此處に在るべき筈なければ、之を異み、翌日其の家に至り具に見し所を告げしに、某の夫人も亦其の時刻に良人の影障紙に映せしを見たりとて、共に一驚せしが、其の翌日江戸より急報あ
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り、某熱病に罹り急に死すと、而して其の時日は恰も寺澤并に某の夫人が幻像を見し時日に合せり、是に由りて之を觀れば幽靈は形體あるものにや、
又保田守太郎氏の報に曰く、余本年四月下總國香取郡香取村に遊びし折、佐原小學校の教員數名と懇意になりしが、其の人々より同地近傍に隱れなき怪談なりとて、面白き一話を聞き得たり、今其の要領を記さんに、香取郡小見川町に皆花樓とて旅店と割烹店とを兼ねたる一樓あり、今より七年程前の四月中旬のことなりとか、一日客あり(當時郡書記を勤めたる者なるが姓名は憚りて言はず)此樓に宿せしが、其の夜十一時頃迄も眠りに就くこと能はず、衾を打被きながら書籍雜誌など讀み居たりしに、漸く睡氣附きて、やゝ華胥に遊ばんとする折しも、枕邊の方に物音して人の氣配する
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まゝに驚きて目を開き見れば、こは如何に、今まで幽かなりし燈火の光り煌々と四邊まばゆきばかり照り輝きて、あなたの壁際に年頃二十あまりとも覺しき女の鮮血に塗れて蓬の黑髮振り亂し、いと物怨めし氣に睨まへたる眼光の凄じさ、見るより客の驚きは譬へんに物なく忽ち五體打ちすくみて、覺えず一聲絶叫せしかば、樓下に臥したる宿の主人、此の物音に驚きて、いそぎ件の客の間に走り行き見れば、客は旣に面色土の如くなりて聲も得立てず、冷汗身を浸して打伏し居たりと云ふ、然るに此の事ありてより三年後、又偶々一客あり此の樓に宿せしが、此人は(是も當時郡書記を勤め居たる人)嘗て前の怪事を耳にしたることなかりしなり、さて其の夜床に入りて未だ眠りに就かず、ほの闇き燈火の光りに、四邊の屏風襖の繪など打ち眺め居たる折しも、立て
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切りある襖の間より白く細長き女子の腕現れ出でたり、宿の下婢などの戲れならんと思ひければ、只黙して注視し居たるに少時して陰れたり、然るに之と同時に隣室に泊り合せたる客人(縣會議員某)忽ち一聲高く叫びて急に人を呼ぶものゝ如し、前なる客は驚きて聲を掛け、往きて其の故を問ふに、隣客の答ふる樣、吾れ今夢に墓場を過ぎしに、墓石の間より白く細長き女子の腕現はれて我が袂を引くに驚きて振り放たまくすれども、五體すくみて動くこと叶はねば、思はず聲を揚げて人の救を求めたるなりと、因りて前に實見したる有樣を語りて互に其の奇に愕きたりと云ふ、さて其の後此二人の内孰れにかありけん、偶々彼の三年前に怪事に出逢ひたる人と相會したる折、ふと右の話を打ち出でたるに、前なる人、聞きて太く打愕き、吾も嘗て彼の樓
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にて怪異を見たることありしが、今想ひ出でて肌に粟する心地すとて前の話を備に語り出で、猶ほ互に其の月日を問ひ試みたるに、奇なる哉前後の怪事恰も同月同日に當りたりければ、孰れも再び其の奇に愕きたりと云ふ、かくて後、段々彼の旅店の來歷を穿鑿したるに、其の前代の主人、性頗る苛酷にして、嘗て一婢を虐待し遂に死に致したることありきとぞ、
次に無形的幽靈の一人のみにて感ずるものを舉ぐれば、
犬著聞に曰く、下野國那須の下蛭田村に助八と云ふ者あり、父は死し繼母ばかりなるを常につらくあたりしかば、母怨みかこち、汝今かくの如く、からき目にあはする共、物にはむくいあり、やがて思ひ知らせんものをと睨みし眼いと恐ろしかりき、其の後母わづらひつきて死しけるが、其の夜より怨靈來りて助
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八を惱ましければ、恐ろしさやるかたなく身の毛よだちて覺えける故、妻子を棄てかみをそり、湯殿山行人にさまをかへ、諸國修行せしより後、怨靈又も見えずなりしとかや、
又某氏の報知に、近江國愛知郡北蚊野村に宇野うめといへる者あり、其の母春野旣に死して今は獨身なるに、或夜のこと隣人宇野茂兵衛といへる人、うめの家の門前を通行せし際、家の中にて春野とうめとが頻りに談話する聲を聞き、立留りて猶よく之を聞けば、母の春野がうめの將來につき按じ煩ふ物語なりしより、益々不審に思ひ戸際より内を窺ふに、唯うめの獨り臥したるを見しのみ、然れども猶ほ談話は止まざりし由、
又衆人共に見たる無形的幽靈、或は衆人の夢中に現じたる幽靈を舉ぐれば、
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古事談巻六に曰く、むかし比叡の山千手院に廣清と云ふ僧ありけり、常に法華經を讀み奉りて極樂にまうでたるよし、人の夢に見えたる、没後にかの墓所に夜毎に經一部よむ聲怠らざりけり、改葬して其の墓所を他所に渡したりける時も、猶經の聲怠らざりけり、在生の時より執し奉れる故に、没後にも其の行怠らぬなり、善惡につけて執心ある事は、生を隔つれどもかゝるにこそ、
又越中國玄巢慶祥氏の報ずる所によるに、予が村は僻陬にて日用品すら急に購ふこと能はざる位の土地なるが、明治十七年十月某夜、村内の某老爺來り予に謂つて曰く、我砂糖を嘗めんと欲すれども偶々所蓄盡きたり、貴家若し蓄ふる所あらば願はくは少量を貸せと、余素より某爺の砂糖を好むを知る、且つ其家
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貧しといふに非ざれども、僻地のことなれば何心なく之を與へしに、爺の喜ぶこと一方ならず、大聲歡呼せしを聞くや忽ち其の影を失ふ、是に於て其の夢なりしを知り、再び眠りしに、翌朝人あり某老爺一昨夜來急病に罹り昨夜終に死せりと告ぐ、余且つ愕き且つ異み、他事に託して臨終の狀を問ふ、因りて死者將に瞑せんとするに臨み、我年旣に七十に近し、復何をか望まん、唯一塊の砂糖を嘗むること能はざるを遺憾となすのみと語りしを聞き、竊に夢の妄ならざりしに驚きしが、葬送終りて後、老爺の子某來り話緒亡父の事に及ぶ、某乃ち曰く、予頃日商用の為め越後國高田に赴き、父の病を知らず、一夕家父の砂糖を需むる夢を見たりしが、其の翌日家父死亡の電報に接し急に歸り來りて之を尋ぬれば、家父終焉の際、實に砂糖を需めたりと
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いふと、此の二夢は共に事實に合するものにして、頗る奇怪ならずや、
其の他幽靈の種類にウブメの幽靈、船幽靈等あれども、是れ雜部門に於て論ずる筈なれば此に掲げず、
以上の諸例は事實として掲げたるも、其の中に寸分も虛偽なきを保すべからず、余が今日迄の經驗によるに、十中七八迄は虛偽虛構に出づるを知る、果して然らば眞に事實として取るべきものは僅に二三のみ、其の中一人に限りて現ずるものは、幻覺、妄見、豫期、專制等の種々の精神作用に由ること疑ふべからず、又無形的幽靈も同じく精神作用に歸せざるべからず、獨り衆人共同して見る所の有形的幽靈に至つては、精神のみによりて説明し難しと雖も、若し人の想像豫期する所同じきときは、同一の幻象を感見
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することあれば、衆人共に見るものも精神作用に關係なしと云ふべからず、而して精神作用の説明は、心理學に屬することなれば、總論説明篇及び心理學心象篇に讓る、又兩人にて同一の夢を結び、或は同一の事を感じ、殊に同月同日に起り、二者眞に符合せりと傳ふるが如きも、決して信許すべからず、誰も明かに時日を記憶するものなきを以て、其の一時の想像によりて時日を定むるを常とす、故に余が今日まで時日符合のことに付き取調べたる中に、未だ一として確實なるものに接せず、大抵皆假定臆斷によるものなれば、確實らしきものも決して確實にあらず、又妖怪の原因の如きも、人々の豫想によりて定むるものなれば、是れ亦眞偽を知るべからず、例へば或る家に一怪事あるときは、此の事は必ず前に死したる人の怨恨を抱きしものあるより生ぜしならんと豫
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想して其の原因を求め、遂に數代前其の家に殺されたる人ありしことを發覺し、直ちに彼の怪事は怨靈の作用なりと速斷するが如きは、是れ決して公平無私、虛心平氣の判斷にあらず、且つ事物の上には必ず偶然の暗合はあるべきことにして、其の事は旣に理學部門第一講に述ぶる所なり、故に是れありとて何ぞ敢て怪しむに足らんや、又道に死したる友人に會し、互に相語りしことありと云ふも人は幻覺によりて實際虛無なることを其の實あるが如く感覺することあるのみならず、人の記憶其の物も、時によりて信據すべからざることあり、例へば四五日前に面會したりしことを昨日の如くに記憶し、甲の人に面會したりしことを乙の如くに記憶し、夢中に想見したることを實際經驗したるが如く記憶し居ることは折々ある事柄なり、以上の事情を参考する時は、世の幽靈
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實驗談は、如何に確實なるものにもせよ、絶對的に其の實を得たるものと稱するを得ざるなり、
第十四節 幽靈論の歸結
上來論述する所、之を要するに、余は幽靈有無論は靈魂不滅論に本づくものにして、靈魂は不滅なりと斷言して可なるを以て、幽靈も實在せりと許して然るべきが如しと雖も、通俗の所謂幽靈は、靈魂論と大に其の性質を異にするを以て、余は幽靈現存説を信ずる能はず、然れども余は世間の排斥論者の如く、一言の下に排斥するにあらず、凡そ今日民間に傳はる幽靈は、十中七八まで人為的及び偶然的にして、残餘の二三は精神作用に由るものとなす、唯余は從來世間に云ひ傳ふる幽靈談について、事實と虛偽とを判
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別すること能はざるを以て、一々説明を與へざるのみ、故に余が目的は、今後の幽靈につきて注意を與ふるにあり、先づ世人の幽靈に遭遇したるときは、必ず種々の原因及び事情あることを記せざるべからず、
幽靈
原因
内因(幽靈に就きて吾人の有する記憶觀念)
外因(幽靈の現象を引起すべき外界の事物)
事情
内情
一、疲勞、衰弱、憂患、哀痛、恐怖の場合
二、豫期、專思、熱情の場合
三、疾病、發狂、精神諸病の場合
外情
一、薄暮夜中の如き事物の判明せざるとき
二、山間深林の如き寂寥たる場合
三、死人のありたる家、若くは墓畔柳陰の如き幽靈の連想を有する場處
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故に若し今後幽靈に際會したるときは、必ず虛心平氣を以て、右の原因事情の外に、眞に幽靈と認めざるものあるか否かを審定すべし、然るに若し幽靈が、此等の原因事情によりてのみ成立するならば、余は之を名づけて假怪と云はんとす、而して眞怪と名づくべきものは、余は獨り靈魂其の者の本性實體あるのみと信ずるなり、是れ余が先に靈魂不滅論を述べたる所以なり、而して此の靈魂は、玄々たる絶對關門の内にありて存し、吾人の精神の上に其の光輝を放つのみ、決して物質的形體を有するものにあらず、之を名づけて靈妙不可思議と云ふ、豈に世の物質的奇怪的幽靈と同日に論ずべけんや、たゞ余は世人に哲學的智眼を開き來りて、奇怪的幽靈を破り、靈妙的幽靈を顯はされんことを望んで止まざるなり、
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第十五節 靈魂説の歸結
斯く幽靈論を結び來れば、亦靈魂論を結ばざるべからず、靈魂は吾人の生死の關する所にして、其の生滅は生死の迷路の分るゝ所なり、彼の唯物論者の如く、本來心靈なしとするも、猶ほ生死の途に迷なき能はず、未來の天堂も地獄も都て無しと信ずるもの、猶ほ死を恐れざる能はず、支那にありても揚朱の如きは唯物説なり、其の言に曰く、「萬物所異者生也、所同者死也、生則有賢愚貴賤、是所異也、死則有臭腐消滅、是所同也」、又曰く、「十年亦死、百年亦死、仁聖亦死、凶愚亦死、生則堯舜、死則腐骨、生則桀紂、死則腐骨、腐骨一矣、孰知其異」と、又晏平仲の言に曰く、「旣死豈在我哉、焚之亦可、沈之亦可」と、人よく此の言を信じて死を
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恐れざるを得るや、又生死は自然に一定せるものにして、人力のよく動かすべきにあらず、儒者は曰く、「死生有命富貴在天」と、佛家は曰く、「煩惱卽菩提、生死卽涅槃」と、人皆よく此の如く信じて死を恐れざるを得るや、余輩の甚だ怪む所なり、夫れ人の恐るゝもの死より甚だしきはなし、雷震を恐れ、病患を恐れ、猛獸を恐れ、毒蟲を恐れ、飢渇を恐るゝは、皆死を恐るゝより起る、而して人の迷も亦死を恐るゝより生ぜざるはなし、迷は實に苦の由て起る所なり、故に人若し苦を脱せんと欲せば、先づ迷を脱せざるべからず、余曾て世の金滿家に一言を進めたることあり、其の有する所の金は、もと死物なるも、一種の力を有す、其の力實に強くして且つ大なり、山も動かすべく、川も止めしむべく、腕力も之によりて生じ、智力も之によりて進み、權力も之によりて
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張り、威力も之によりて高く、其の力よく法律の權門を破り、禍福の冥路を啓く、諺に云ふ、地獄の道も金次第なりと、實に金は一種不思議の神力を有すと謂ふべし、其の力又よく智者を愚にし、才子を鈍にし、人を欺き、事を誣ふるも自在なり、實に金は一種奇怪の魔力を有すと謂ふべし、是れ世人一般に金を見て狂する所以なり、金滿家は何ぞ多幸至福なるや、此の不可思議の神力と、奇變妙怪の魔力とを有する金を其の一身に具す、實に人世にありて、最大幸福の地位を占むる者と謂ふべし、余輩其の人に向ひて賀せざるを得ざると同時に、又他方に向ひて弔せざるを得ざるものあり、卽ち無資無産の貧民窮生是れなり、是れ實に人世にありて、最大不幸の地位を占むるものと謂ふべし、誰か一方に此の如き最大幸福の人を作り、他方に彼の如き最大不幸の人を造りしや、
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上帝若し在さば、余輩其の法廷に向つて不公平を訴へざるべからず、然り而して神力、魔力を兼備せる金力の動かすべからざるもの一あり、金滿家は何程最大幸福の地位にあるも、此の一點に對しては最大不幸の人たるを免れず、之に反して無資無産の貧民窮生も、此の點に考へ來らば最大幸福の人たり、其の點は何ぞや、曰く、人の精神上の境遇なり、金滿家は肉體上にありては快樂を擅にし、幸福を專らにし、百事百物、意の如くならざるなきも、精神上にありては、亦頗る安樂の餘地に乏しきを見る、而してよく精神界中に、樂地を開く者は、學問と宗教なり、此の二者は精神世界を照らす燈臺にして、又精神境裏を窺ふ眼鏡なり、金滿家は大抵學問に乏しく、又宗教に暗し、故に大事に當りて迷ひ、病患にかゝりて恐れ、老い去り、衰へ來りて、目よく視るべからず、
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耳よく聽くべからず、舌よく味ふべからざるに至れば、恰も溪山深き處に、樵徑を失したるが如く、茫然として四顧向ふ所を知らず、又恰も終身禁錮の牢中にあるが如く、呻吟として唯其の心を苦むるのみ、斯くして日一日より死期に近づき愈々生死一別の境に臨み、無常の妄風吹き來りて、心燈將に滅せんとするに至らば、前途暗くして何れに向つて去るを知るべからず、顧みて往時を追想すれば、百事恍として夢の如し、進退是れ窮るも亦奈何ともすべからず、如何なる金滿家も此に至れば、其の憂悶實に言ふに忍びざる者あり、金力特有の神力も魔力も、此の境に臨みては、更に其の功力を見ず、而してよく此の際に大金剛力を奪ひ、以て百憂千悶を一拂し去る者は、獨り學問と宗教あるのみ、此の二者は人の精神に一種の高遠美妙不可思議の幸福快樂を與ふる者にして、
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平常茍も學問に志し、宗教に意ある者は、多少此の快樂を其の心に感受せざるはなし、然るに金滿家の缺點は、此の二者の思想に乏しきにあり、故に以て金滿家は肉體世界にありて、最大幸福を專有する人となるも、精神世界にありては、最大不幸の人となる、是れ余輩が金滿家の為めに、啻に其の不幸を弔するのみならず、此の不幸を轉じて幸福となす方法を示さんと欲する所以なりと、是れ余が曾て金滿家に呈したる一言なり、然るに古來聖人君子と稱せらるゝ者は、其の心常に明かにして生死の道に迷ふことなく、精神界裏に日月を浮べ、方寸城中に極樂を開き、安樂の別天地に遊ぶものなり、釋迦孔子の如きは論を待たず、陽明カントの如きも其の心實に日月より明かなるものあり、陽明時に死せんとす、門人遺言を問ふ、陽明微哂して曰く、「此心光明、亦復何言」と、
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頃刻ありて瞑目して逝けり、カントは病中にありて自ら死の近きを知り、人に語りて曰く、吾は死を恐れず、何者吾は如何して死するかを知ればなりと、碩學大家の生死に迷はざること實に此の如し、然るに凡庸の輩は戦々兢々として死を恐れ、終身苦海に一生を送る、是れ卽ち其の心自ら地獄を作り、煩惱の火中にありて苦しむものなり、誠に哀れむべきの至りならずや、蓋し宗教の世に起りしは、此の迷人を救はん為めのみ、
迷信と宗教終

大正五年三月十四日 印刷
大正五年三月十八日 發行
大正五年三月廿五日 再版
大正名著文庫 第二十四編
不許複製
迷信と宗教
定價金壹圓參拾錢
著者 井上圓了
發行者 加島虎吉
東京市日本橋區本石町三丁目十四番地
印刷者 渡邊為藏
東京市京橋區日吉町十番地
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